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星を隠さぬ君の隣で  作者: 最後に残った形


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第9章 第4話:やさしさと涙の、その先へ


 翌日の放課後、澪は校舎裏の花壇の前で、由良と向き合っていた。


 夕方の光はやわらかかった。

 白い小花が風に揺れ、葉擦れの音が小さく響いている。遠くの校庭からは部活の掛け声が聞こえていたけれど、この場所だけは少し静かだった。


 以前、由良と話した場所だ。


 やさしい恋の終わらせ方を、彼女が見せてくれた場所。

 好きだった時間を悪いものにはしないと、静かに言ってくれた場所。


 その言葉は、今も澪の中に残っている。


 そして今、由良はいつものように穏やかな顔で澪を見ていた。


「朝倉さん」

「うん」

「篠宮さんと話したんだよね」

「……うん」

「顔が少し変わってる」

「そんなに?」

「うん」

 由良は小さく微笑む。

「少し、背筋が伸びた感じ」


 澪は思わず自分の姿勢を意識した。

 昨日、凛花に言われた言葉が胸に蘇る。


 勝ったなら、ちゃんと隣に立ちなさい。

 怖いまま立てばいい。

 私たちは、朝倉さんを苦しめるために好きだったわけじゃない。


 厳しかった。

 痛かった。

 でも、まっすぐ背中を押された。


「凛花さんに」

 澪は言う。

「幸せを罪みたいに持つのは違うって、言われた」

 由良は静かに頷いた。


「うん」

「凛花さんの恋を、私の罪悪感に変えるのは失礼だって」

「……篠宮さんらしいね」

「うん」

「まっすぐで、少し厳しくて」

「うん」

「でも、ちゃんと優しい」

 その言葉に、澪は小さく頷く。


 凛花の優しさは、わかりやすく甘いものではない。

 背中を撫でるのではなく、前を向けと促す優しさだ。

 痛いけれど、逃げ道を塞ぐだけではなく、ちゃんと立つ場所を示してくれる。


「私」

 澪は花壇の白い花を見つめながら言った。

「まだ、星のチャームを外につけられない」

「うん」

「外につけたい気持ちはある」

「うん」

「でも、見られるのが怖い」

「うん」

「誰かに何か言われるかもしれないって思うと、手が止まる」

「うん」

「それで、また自分を責めそうになる」

 由良は静かに聞いていた。


 凛花の沈黙がまっすぐ向かい合う沈黙なら、由良の沈黙は包むようだった。

 言葉を急がせない。

 けれど、聞き流すわけでもない。

 澪が置いた言葉を、一つずつ丁寧に受け取ってくれる。


「朝倉さん」

「うん」

「幸せを、罰みたいに持たないで」

 由良の声は、とてもやわらかかった。


 けれど、その言葉は澪の胸の深いところに届いた。


「罰みたいに」

「うん」

「好きな人に選ばれたことを、誰かを傷つけた証拠みたいに持たなくていい」

「……」

「篠宮さんも、ひなちゃんも、私も」

 由良は少しだけ目を伏せる。

「神谷くんを好きだったのは、朝倉さんを苦しめるためじゃないよ」

 喉の奥が熱くなった。


 昨日、凛花にも同じようなことを言われた。

 でも、由良の声で聞くと、また違う痛み方をした。


「でも」

 澪は言いかける。

「でも、みんな傷ついた」

「うん」

「私が選ばれたことで」

「うん」

「それは、なくならない」

「なくならないね」

 由良は否定しなかった。


 その正直さが、少し苦しくて、ありがたかった。


「私も、傷ついたよ」

 由良は静かに言った。

「神谷くんが朝倉さんを見てるってわかってても、やっぱり寂しかった」

「……うん」

「どうして私じゃなかったんだろうって、思わないわけじゃなかった」

「うん」

「今でも、完全に何も感じないわけじゃない」

「うん」

「でも」

 由良は顔を上げる。

「だからって、朝倉さんが幸せを罰みたいに持っていたら、私は少し悲しい」

 澪は顔を上げた。


「悲しい?」

「うん」

「どうして」

「私の恋が、朝倉さんを苦しめるためだけのものになってしまう気がするから」

 その言葉に、胸が締めつけられる。


 由良の恋は、静かで、やさしくて、ちゃんとそこにあった。

 神谷朔と過ごした何でもない時間を大切にしていた恋。

 叶わなかったけれど、決して軽くない恋。


 それを、澪が勝手に罪悪感へ変えてしまう。

 それは違う。


「白瀬さんの恋は」

 澪は小さく言った。

「白瀬さんのもの」

 由良は少しだけ微笑んだ。


「うん」

「凛花さんにも言われた」

「そっか」

「私は、それを私の罰にしちゃだめなんだね」

「うん」

「ちゃんと受け取るけど」

「うん」

「抱え方を間違えちゃだめ」

 由良は静かに頷いた。


「そう思う」

 風が吹き、花壇の白い花が揺れた。


 澪はしばらく、その揺れを見ていた。

 自分の中にある罪悪感が、すぐに消えるわけではない。

 でも、それを誰かの恋の形として勝手に上書きしてはいけないのだと思った。


「朝倉さん」

「うん」

「幸せになることも、向き合うことだよ」

 由良は言う。

「前にも、似たことを言ったけど」

「うん」

「罪悪感でずっと下を向いているより、ちゃんと大事にして、ちゃんと笑っているほうが」

「うん」

「私は、嬉しい」

 涙が出そうになった。


「白瀬さん」

「うん」

「そんなこと、言わせてごめん」

 由良は少しだけ困ったように笑った。


「謝らない」

「……うん」

「でも、言いたい気持ちはわかる」

「うん」

「だから、受け取る代わりに」

「うん」

「次からは、少し減らしてね」

 そのやわらかい言い方に、澪は泣きそうなまま笑った。


「努力する」

「うん」

「それでいいよ」

 由良は微笑んだ。


 その時、校舎の角から明るい声が聞こえた。


「朝倉先輩!」


 ひなが小走りでこちらへ向かってくる。

 息を弾ませながら、けれど足取りは軽い。

 彼女は澪と由良の前で立ち止まると、少しだけ気まずそうに笑った。


「すみません。白瀬先輩と話してるところでした?」

「大丈夫」

 由良が言う。

「ひなちゃんも、話したかったんだよね」

「はい」

 ひなは頷いた。

 その目には、少し緊張があった。


 澪の胸も、少しだけ緊張する。


「ひな」

「はい」

「どうしたの?」

「星のチャームのことです」

 やっぱり、そこだった。


 澪は鞄を少し抱え直す。

 内側にある青い星が、見えない場所で揺れている。


「まだ、内側なんですよね」

「……うん」

「外につけようとしたけど、やめたんですよね」

「うん」

「神谷先輩も、内側」

「うん」

 ひなは少しだけ唇を結んだ。

 それから、まっすぐ澪を見る。


「朝倉先輩」

「うん」

「わたし、まだ少し悔しいです」

 その言葉は、明るくなかった。

 でも、まっすぐだった。


「うん」

「神谷先輩のこと、まだ時々かっこいいなって思います」

「うん」

「朝倉先輩と神谷先輩が並んでるのを見ると、胸がきゅってなる時もあります」

「うん」

「正直、星と月のチャームを外につけてるのを見たら、たぶん一回は悔しいです」

「……うん」

 ひなの声が少し震えた。


 でも、彼女は目を逸らさなかった。


「でも」

 ひなは続ける。

「応援してるのも本当です」

 澪の胸が熱くなる。


「ひな」

「はい」

「無理しなくていいよ」

「無理はちょっとします」

「またそれ」

「でも、壊れる無理じゃないです」

 ひなは少しだけ笑った。

 その笑顔には、涙の気配があった。


「わたし、ちゃんと好きだったから、ちゃんと悔しいです」

「うん」

「でも、朝倉先輩が逃げないで神谷先輩の隣に立つなら、ちゃんと応援したいです」

「うん」

「泣くかもしれないですけど」

「うん」

「泣きながらでも、応援します」

 その言葉に、澪はもう耐えきれず、目の奥が熱くなった。


「……ありがとう」

「お礼は受け取ります」

 ひなはそう言って、少しだけ鼻をすすった。


 由良がそっとハンカチを差し出す。


「ひなちゃん」

「ありがとうございます」

 ひなはハンカチを受け取り、目元を押さえた。


「泣かないつもりだったんですけど」

「うん」

 由良がやさしく言う。

「泣いてもいいと思う」

「白瀬先輩が優しいこと言うと、余計泣きそうになります」

「それは困ったね」

 由良が小さく笑う。


 そのやり取りに、澪も少しだけ笑えた。

 泣きそうなのに、笑える。

 痛いのに、あたたかい。


 ひなは涙を拭いながら、改めて澪を見た。


「朝倉先輩」

「うん」

「幸せになる約束、まだ有効です」

「うん」

「ちゃんと幸せになってください」

「うん」

「でも、幸せになるって、無理に笑うことじゃないです」

 澪は目を瞬かせた。


「ひな?」

「怖い時は怖いって言っていいです」

「うん」

「まだ外につけられないなら、それでもいいです」

「うん」

「でも、外につけたいって思ってるなら、その気持ちはなくさないでください」

 凛花と同じことを言われた。


 澪は胸が震えた。


「なくさない」

「ほんとですか」

「うん」

「朔と一緒に、いつか外につけたい」

 自然に、朔、と呼んでいた。


 ひなが少しだけ目を丸くする。

 それから、涙目のまま笑った。


「今、朔って言いましたね」

「……」

「自然に」

「ひな」

「すみません。でも、ちょっと嬉しいです」

「嬉しい?」

「はい」

 ひなは頷いた。

「朝倉先輩が、ちゃんと彼女の顔してたので」

 顔が熱くなる。


「そういうの、言わないで」

「言います」

「どうして」

「応援してるので」

 ひなは涙のあとが残る顔で、まっすぐ笑った。


 その笑顔を見て、澪は胸の奥にあった何かが少しほどけるのを感じた。


 由良が静かに口を開く。


「朝倉さん」

「うん」

「篠宮さんも、ひなちゃんも、私も、それぞれ違う気持ちでいると思う」

「うん」

「すぐに全部がきれいに整理されるわけじゃない」

「うん」

「でも、朝倉さんに下を向いていてほしいわけじゃない」

「うん」

「それだけは、たぶん同じ」

 ひなも大きく頷く。


「同じです」

「……うん」

 澪は胸に手を当てた。


 凛花の厳しい背中押し。

 由良のやさしい言葉。

 ひなの涙と応援。


 それぞれ違う。

 でも、みんな自分の恋をなかったことにせず、それでも澪を前へ押してくれている。


 それを重荷にしてはいけない。

 罰にしてはいけない。

 ちゃんと感謝として受け取りたい。


「私」

 澪はゆっくり言った。

「ちゃんと幸せになる」

 由良とひなが、静かに見ている。


「逃げないで」

「うん」

「朔の隣に立つ」

「うん」

「でも、怖い時は怖いって言う」

「うん」

「自分を罰にしない」

 言葉にしながら、自分にも言い聞かせる。


「凛花さんの恋も」

「うん」

「白瀬さんの恋も」

「うん」

「ひなの恋も」

「はい」

「私の罪にしない」

 ひなの目がまた少し潤んだ。

 由良は静かに頷いていた。


「ちゃんと、それぞれの大事な気持ちとして受け取る」

「うん」

「その上で」

 澪は少しだけ息を吸った。


「私の恋を、私がちゃんと選ぶ」

 言えた。


 由良はやわらかく微笑んだ。


「うん」

「それがいいと思う」

 ひなも涙を拭いながら、力強く頷く。


「はい」

「それがいいです」

 澪の胸がいっぱいになる。


「ありがとう」

 言葉は、それしか出てこなかった。


 由良は微笑んだ。

 ひなは少しだけ得意げに笑った。


「お礼、受け取ります」

「私も」

 由良が続ける。

「受け取るね」


 三人で少しだけ笑った。


 その笑いは、完全に軽いものではなかった。

 傷も、悔しさも、寂しさも、まだそこにある。

 でも、それだけではない。


 前へ進むためのあたたかさがあった。


 帰り道、澪は一人で校門を出た。


 今日は朔に先に帰ってもらっている。

 隣に彼はいない。

 けれど、不思議と一人きりではない気がした。


 鞄の内側には、青い星。

 胸の中には、凛花と由良とひなの言葉。


 負けた恋。

 やさしい恋。

 泣いてもまっすぐな恋。


 そのすべてが、澪の背中を押している。


 澪はスマート端末を取り出し、朔へメッセージを送った。


『白瀬さんとひなとも話した』


 少し歩くと、返信が来る。


『大丈夫?』


 その短い問いに、胸が温かくなる。


 澪は足を止め、少し考えてから打った。


『大丈夫』

『痛かったけど、あたたかかった』


 すぐに既読がつく。


『そっか』

『話してくれてありがとう』


 澪は画面を見つめ、ゆっくり息を吐いた。


『私、ちゃんと幸せになるって言った』

『自分の恋を、自分で選ぶって』


 送信する。


 返事は少しだけ間を置いて届いた。


『うん』

『俺も、ちゃんと隣にいる』


 その文字を見て、澪は空を見上げた。


 夕方の空に、薄く星が見え始めている。

 まだ頼りない光。

 でも、確かにそこにある。


 鞄の内側の青い星に、そっと触れる。


 まだ外には出していない。

 でも、もう外へ出したい気持ちを怖がるだけではない。


 その気持ちを、自分のものとして大事にしたい。


 澪はスマート端末を胸の前で握り、ゆっくり歩き出した。


 やさしさと涙の、その先へ。

 怖さを抱えたままでも、進める場所があるのだと、少しだけ信じられた。

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