第2章:グループLINEと約束の喫茶店
昼食を終え、教室に戻る。
周囲はいつも通りのざわめきに包まれている。
笑い声、雑談、椅子の音。
けれど、その中に――僕はいない。
自分の席に座り、静かにスマートフォンを取り出す。
唯一、“自分が存在している場所”。
グループLINE。
そこには、僕を含めた5人だけの世界がある。
家でも、学校でもない。
誰にも邪魔されない、小さな居場所。
画面に、新しい通知が表示された。
【福原愛莉】
「今日の夕方、いつもの喫茶店で集まれる?」
一瞬、指が止まる。
――“いつもの喫茶店”。
あの場所は、僕にとって特別だった。
誰にも干渉されず、ただ静かに過ごせる場所。
そして、4人と一緒にいられる数少ない空間。
すぐに既読が増えていく。
【柳瀬卓郎】
「おう!いいけど、何かあったの?」
【福原愛莉】
「詳しくは言えないけど、喫茶店で話したい。連れてきたい人がいるの。」
“連れてきたい人”。
その一文が、妙に引っかかった。
【仲村俊輔】
「了解!部活終わったら向かうわ!」
【宮下佳織】
「私は仕事終わったら向かうね!」
【福原愛莉】
「できるだけ早めにね!」
……いつもより、少しだけ急いでいる。
何かが違う。
僕は短く打ち込んだ。
【簗川隆】
「了解」
送信ボタンを押した瞬間。
胸の奥に、小さなざわつきが残った。
(誰だろう……)
愛莉が“連れてくる人”。
それは、ただの知り合いじゃない。
彼女は無駄なことをしない。
つまり――“意味がある”。
その意味が、分からない。
だからこそ、不安になる。
⸻
放課後。
僕は他の誰よりも早く、学校を出た。
足は自然と、あの喫茶店へ向かう。
考える時間が欲しかった。
――いや。
“覚悟する時間”かもしれない。
⸻
扉を開けると、いつものベルの音。
カラン、と静かに鳴る。
「いらっしゃい」
店長が、柔らかく笑う。
その表情だけで、少しだけ力が抜ける。
「今日は早いね」
「はい……少しだけ」
「いつもの、でいい?」
「お願いします」
オレンジジュースとショートケーキ。
変わらない注文。
変わらない空間。
――のはずだった。
店長は、少し声を落とす。
「今日は、あの子たちと一緒かい?」
「そうなると思います」
「そっか」
一拍、間を置いて。
「貸し切りにしてあるから、ゆっくりしていきな」
「……え?」
思わず顔を上げる。
「愛莉ちゃんから頼まれてね。今日は他のお客さん入れてない」
一瞬、言葉が出なかった。
貸し切り。
それはつまり――
“外に漏らせない話”。
「何か、聞いてますか?」
「いや、詳しくは。ただ……」
店長は少しだけ笑って、こう言った。
「大事な日になる、って顔してたよ」
――心臓が、少しだけ強く鳴る。
⸻
時計を見る。
まだ5時にもなっていない。
1時間以上早い。
でも、落ち着かない。
ジュースに口をつけても、味がしない。
ただ時間だけが、静かに流れていく。
⸻
扉のベルが鳴る。
「隆、もう着いてたの?」
最初に来たのは佳織だった。
少し驚いたように、でもすぐに笑う。
「1時間前から待ってる」
「さすがに早すぎるよ」
呆れたように言いながら、隣に座る。
「……緊張してる?」
「してない」
「嘘」
即答だった。
「隆、分かりやすいもん」
逃げ場がない。
「大丈夫だよ」
彼女は、優しく言う。
「何があっても、私たちいるから」
その一言で、少しだけ呼吸が楽になる。
⸻
続いて卓郎が入ってくる。
「お、もう集まってるじゃん……って」
店内を見回し、眉をひそめる。
「貸し切り?」
「らしい」
「マジかよ……」
彼は椅子に座りながら、小さく呟く。
「これ、ドラマなら確実に“何か起きる回”だぞ」
「縁起でもないこと言うな」
「いや、でもさ――」
卓郎は僕を見る。
「覚悟はしとけよ、隆」
その目は、いつもの軽さじゃなかった。
⸻
次に来たのは俊輔。
「悪い!部活長引いた!」
汗だくのまま、勢いよく入ってくる。
「……なんだこれ」
店内を見て、動きが止まる。
「貸し切りって聞いてねーぞ」
「俺も今知った」
「なんかヤバい感じじゃね?」
そう言いながらも、席に着く。
「でもまぁ、なんとかなるだろ」
タオルで汗を拭きながら笑う。
「俺ら5人いれば最強だしな」
その言葉に、自然と視線が集まる。
――5人。
当たり前のようで、当たり前じゃない関係。
⸻
そして。
時計が6時を少し回った頃。
扉のベルが、もう一度鳴った。
カラン――
静かな音なのに。
なぜか、全員が息を止めた。
入ってきたのは、福原愛莉。
そして――
その隣に立っていたのは。
誰もが知る存在。
テレビの中でしか見たことのない人。
国民的アイドル――湊川葵。
「お待たせ」
愛莉は、いつも通りに言う。
けれど、その“いつも通り”が、逆に異常だった。
卓郎が立ち上がる。
「……本物?」
俊輔も言葉を失う。
佳織は目を見開いたまま動かない。
僕は――
ただ、立ち尽くしていた。
現実感が、追いつかない。
⸻
愛莉が静かに言う。
「座ろうか」
その一言で、全員がゆっくりと席に着く。
空気が重い。
誰も軽口を叩かない。
葵は、僕の正面に座った。
そして。
まっすぐに、僕を見る。
逃げ場はない。
⸻
「初めまして」
静かで、でもはっきりとした声。
「湊川葵です」
分かっている。
でも、その言葉に現実が重なる。
――本当にここにいる。
「今日は……」
一瞬、言葉が詰まる。
それでも、彼女は続けた。
「どうしても、簗川君に伝えたいことがあって来ました」
店内が、完全に静まり返る。
時計の音すら聞こえそうなほど。
⸻
佳織が小さく息を飲む。
俊輔の手が止まる。
卓郎の視線が鋭くなる。
愛莉は――何も言わずに見守っている。
⸻
そして。
葵は、深く息を吸った。
覚悟を決めるように。
「簗川君」
名前を呼ばれる。
それだけで、鼓動が跳ねる。
「――僕と、付き合ってください」
⸻
時間が止まった。
本当に、音が消えた気がした。
⸻
「……え?」
最初に声を出したのは俊輔だった。
「ちょ、ちょっと待て」
卓郎も立ち上がる。
「いやいやいや、展開早すぎるだろ」
佳織は、何も言えずに僕を見ている。
そして――
愛莉だけが、静かだった。
⸻
「アイドルは恋愛禁止じゃないの?」
佳織が震える声で言う。
当然の疑問。
当たり前の現実。
でも。
葵は、迷わなかった。
「それでも」
その一言が、すべてだった。
「それでも、私は――隆くんが好き」
“簗川君”じゃない。
“隆くん”。
距離が、一気に縮まる。
「ずっと前から」
その言葉には、嘘がなかった。
作られたものじゃない。
本物の感情。
⸻
僕は、何も言えなかった。
理解が追いつかない。
でも――
胸の奥が、熱い。
こんな感覚、初めてだった。
⸻
(僕を……選んだ?)
あの世界の人間が。
何も持っていない、“僕”を。
⸻
「隆」
小さな声。
佳織だった。
「ちゃんと、自分で決めて」
逃げないように。
でも、縛らないように。
⸻
「隆」
今度は俊輔。
「お前がいいなら、それでいい」
シンプルな言葉。
でも、重い。
⸻
「隆」
卓郎が笑う。
「人生、面白くなってきたな」
いつも通りの言葉。
でも、背中を押している。
⸻
愛莉は、ただ一言。
「信じてあげて」
それだけだった。
⸻
僕は――
深く息を吸った。
そして、葵を見る。
逃げない。
もう、逃げない。
⸻
「僕で良ければ」
声は、震えていたかもしれない。
でも。
確かに、言った。
「よろしくお願いします」
⸻
その瞬間。
何かが、変わった。
⸻
孤独だった世界に。
誰かが、踏み込んできた。
⸻
そして――
僕の人生は。
確実に、動き出した。
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