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かげろうの村  作者: 壱崎ノル
第二章 揺籃
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第十四話 矢津千

大変遅れて申し訳ありませんでした...!



商店街を行き交う人々が、驚いて道を開ける。一人の小柄な男が猛スピードで駆け抜け、その後を一人の女が必死の形相で追いかけていった。


「そいつ、スリです!誰か捕まえてくださいぃ!」


なんて、叫んでみても、走りながらじゃ息も切れてまともな声なんて出ない。もっと体力をつけておけば良かった。


どんどん距離が離されていく。


かろうじて聞き取ってくれた何人かが逃げる犯人の前に立ちはだかって捕まえようとするが、小柄なそいつは私のバッグを持ったまま、するりと抜けてしまう。


逆に、捕まえようとしてくれた人が進行方向に出てきたせいで私が通りにくくなった。


事態を察知した住民たちも全速力で追いかけるが、それでも敵わない。後で聞いた話だが、その犯人はこの辺りで有名なスリ犯で、何度も被害が出ているがその都度捕まえることができなかったという。


押し分け掻き分け、追いかける人たちの先頭にやっと出ることができた。犯人の背中が小さく見えた。かなり遠い。


商店街中程で、その犯人は右の小道に入った。一瞬消えたように見えたが、目の良い人が叫んだので分かった。


そこは細くなっている、建物と建物の間の路地裏のような石畳の暗い通路で、人三人が並んで通れるギリギリくらいの広さしかなかった。


一番奥の開けた所の辺りに、逃走する犯人の背中がチラッと見えた。すぐにまた横の通路に消えたが、今度は私でも見えた。


逃すもんか。


私のなけなしの貯金で買った晩飯の食材だ。あれなくして家に帰るわけにはいかない。


私はもう一度駆け出した。


治ってきているとはいえ怪我もしてるし、今まで走り通しだったから既にくたくただが、卑劣な行為に負けてたまるかという正義感じみた信念が体を動かした。


羽織の裾が秋の涼しい風をはらんで上下に振れる。今まで出したことのないくらいの全速力で、その道を走る。


そいつの消えた通路を進むと、またT字路があった。どちらを向いても、手がかりになるようなものはない。


これではどちらに逃げたか分からない。


詰んだか、と思ったその時、頭上で金属が凹むような、がこっ、という音がした。反射的に見上げると、建物の壁に設置されたパイプをよじのぼり、屋上へと消える犯人の後ろ姿が一瞬だけ見えた。


迷わずその建物に入り、けたたましい音を立てながら錆びた鉄の階段を登っていく。二段とばしなんて慣れないことをしたせいで治りかけの腿がずきんと痛んだが、今はそんなこと気にしてられない。


一気に最上階まで駆け上がり、屋上に通じる鉄の扉のノブを回した。幸い、鍵はかかっていない。勢いよく回し、奥に向かって開け放った。



・ ・ ・



暗くなった空とコンクリートの床が視界に飛び込んできた。


しかし、どこの建物の屋上を探しても、誰もいなかった。


扉の段差から屋上に降りて、辺りを見回す。既に夜の帷が降り、視界も悪い。


既に逃げられてしまったのか...


そんな考えが頭をよぎった時、後ろで、たん、とかすかな物音。


「!」


私が振り向くと、そこには鉄の棒を振りかぶって、殺意すら宿した瞳でこちらを睨んだ小柄な男がいた。


私は頭を守ろうとして手を少し動かし、瞼をぎゅっと閉じることしかする時間はなかった。


そいつがにやりと笑う。口角が引き攣っただけなのかは、最後まで分からなかった。


黒く燻んだ、理不尽な鉄の棒が私の頭に向かって振り下ろされる。



・ ・ ・



...


......


.........


何かがぶつかる音はした。


「...?」


しかし、数秒待ったが、衝撃も痛みも来なかった。


恐る恐る瞳を開けると、そこにいた人物は一人ではなかった。


右手でバットを掴み、左手で小柄な男の頭を鷲掴みにする、もう一人の男。


「くっ...くそっ!はな...」


スリ犯が言い終わらないうちに、その男は左手に掴んだそいつの頭を持ち上げ、思いっきり地面に投げつけた。


止める間も無く、硬い屋上のコンクリに激突する。


きゅう、とだらしない声を出して、そいつは気絶した。仰向けになって伸びており、バットが遠くの方に寂しく転がった。ぶつけた頭には血が滲んでいる。大丈夫だろうか...



「殺してねぇからな」



その男は独り言のようにつぶやいた。思ったより若い声だ。


背丈は一九〇(センチメートル)はあるだろうか。青を含んだ暗灰色の、首元に大きなファーのついたコートを纏っているが、厚いそれを着ていてもその体格の良さは滲み出ている。くすんだ青色の肌で、頭部は角のようなものがいくつも生えており、竜頭を彷彿とさせた。


どういうことか分からないけど、私は助けられたらしい。とにかく助けてもらったならお礼を言わないのは失礼だと思い、


「あ、あの、助けてくれてありがとうございました...」


と語尾の消えかけた礼を述べた。


その人はスリ犯に目をやったまま私に背を向けてしばらくじっとしていたが、その後こちらを振り返って真っ直ぐ見つめてきた。


何秒か経ってから気まずくなってきて、つい視線を逸らしてしまう。失礼とはわかっていながらも。


私がそうすると同時に、その人は口を開いた。



「何かと狙われるな、あんたは。こんな短期間で二回も襲われるって」



静かだけど相手を威圧するような、気迫が篭っていた。


怒っているわけではないのは分かるのだが、なぜか恐怖を感じさせるような、そんな声。


少し不機嫌そうに言う。


二回目、と言われても、この人と私は初対面のはずなのだが...。


「!」


もしや。


村に登録する直前、路地裏でうっかりぶつかってしまった大きな男に襲われた時。結局、その時は相手の男を殺したのが誰かは分からずじまいだった。


しかし、思いあたる節はそれしかない。


私が質問するより早く、その人は続けた。


「"人間"は、ここじゃ珍しいんだ。一部のゲスい奴らはお前みたいなのには興味津々だろうな」


こいつみてぇに、と言って足元にくたばっているスリ犯を足で転がす。うめき声を立てるスリ犯。


「...もしかして一昨日助けてくれたのも、あなただったんですか...?」


「あいつは前から埋めてやろうと思ってたからな。ちょうどよかったんだ」


目を細めて顔を歪める。



やっぱり、そうだったんだ。


つまりこの人は、私の命の恩人ってことになる。しかも、あわよくば二回も。



「あんた、名前は?」



同じ質問をしようと思っていたところだったので非常に口ごもった。


「冥蓮はくれ、です。」


尻すぼみに答えた。


「白煉の花か」


何かを思い出すような目をしてから、男は言った。


「俺は拓巴(たくは)...矢津千(やずち)拓巴だ」



巴渦の拓き、剛神の宿木。印象通りの名前だ。



「俺は戻る。...もう暗ぇし、あんたはそろそろ帰れ」


その人は手を振って立ち去るよう言った。


確かに地面は真っ黒だし、空も東に星が見え始めている。


流石にまだ帰らないのは危険かもしれない。村の人たちは良い人ばかりだが、そうでもない人だっているって分かったし。


だが、肝心のバッグがない。犯人を気絶させてまで探したというのに...


しかしその時、閉まっていた屋上階段の扉が凄まじい勢いで吹っ飛んだ。


「はくれ、無事か!?」


煙と共に扉から出てきたのは零吉だった。


左手に私のバッグを持って、右腕に二人の異色の男を抱えている。


私の姿を見るなり二人の男を後ろ手に投げ捨て、駆け寄ってきた。


「本当に済まない...やはり同行するべきだった」


そして隣に立つ男にやっと気付いた。


「君が助けてくれたのか。大勢相手に大変だっただろう...感謝する」


「んなこと言われても、俺はこいつをぶっ潰しただけだぞ」


そう言って足元の男を指差す。


ぽかんとする零吉。


「...一人だったのか?今までの人数からして、少なくとも五人がかりくらいで攻撃されているかと思い込んでいたのだが」


「今までの人数、って?」


全然話が分からない。


「あそこの路地で一人、そこの路地で二人、で、ここの階段で七人だが」


八人だったか、と訂正する。


違う、数じゃない。というか何それ。


「俺を見るなり襲ってきたぞ。屋上には行かせないだの足止めされてもらうだの、分かりやすく解説してくれたのだが。てっきり、お前をどうにかするためにそいつらにとって俺が邪魔だったんだと思っていたのだが、違うのか?」


「なんだ、そりゃ?」


男が眉を(ひそ)めて言った。私も同意見だ。何だ、その策略じみた暴行は...


「違うなら良いんだ。こいつ一人でやれる自信があったってことだろう」


理解が追いつかなかったが、解決したならよしとするか...


バッグも零吉が回収してくれていたようだし、一件落着だ。



・ ・ ・



そう思ったその時、私たちのいる建物より三階分ほど高いビルの屋上、そこから影が降ってきた。


そいつが軽やかに着地する。十米の高さをものともせず、平気な様子で立ち上がった。


直後、十を降らない数の人影が、その人物を中心に屋上に着地。夜の暗さに紛れ、姿はよく見えない。


しかし、()()()()()()()()()()()ことは、その銃の独特のフォルムではっきり分かった。わずかな光に、鉄の筒が鈍く光っている。




ーー嫌な予感しかしない。







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