【第三夜】 アクアリウムの人魚(2)
どうしよう、とぼく。
どうしようか、とぼく。
水族館の外はすぐに海だけど。
でも水槽の中もとてもきれいだ。水は見えないくらいに澄んでいる。岩も珊瑚も本物で、鮮やかな赤や緑の海藻がゆるゆら揺れる。
「きみがいなくなったら、水族館のひとが困らないかしら」
そんなこと言わないで。わたしをたすけて。
赤いさかなは、赤くてきれいなひらひらしたひれを振って泣き出した。
これ以上ここにいたら、わたしきっと駄目になる。
小さな小さなさかなの姿のまま、海に焦がれて死んでしまう。
それじゃあしかたないよ。
だって死んでしまうより、逃げてしまうほうがずっといい。
ぼくらのように。
「わかったよ、どうしたらいいの?」
小さな器を見つけてきて。わたしがはいれる小さな器を。それに水槽の水を汲んで。
ばくらは一生懸命探して、ようやく小さな鉢をみつけた。
ぼくらが水槽の水を汲むと、小さなさかなはぴちりと跳ねて、小さな鉢に飛び込んだ。
小さな鉢は小さなさかなにぴったりだった。
ぼくらはふたりで小さな鉢を両手に持って、ゆっくり、ゆっくり暗い廊下を歩いて行った。
外は、いつの間にか風が強くなっていた。黒くて熱い風が、どう、どう、と吹き付ける。灰色の雲が固まりになってごうんごうんと渦を巻いた。その隙間から黄色いお月さまが、ちらりとのぞいてぼくらを見てる。
お月さま、お月さま。もうすこし顔を出していて。
ぼくらは赤い人魚を海に帰しに行くのだから。
細くて暗い歪んだ道をゆっくりゆっくり降りていって、ようやくぼくらは黒い岩場にたどり着いた。どおん、どおんと波が押し寄せ、冷たいしぶきがぼくらを濡らす。熱い風が、右から左から回り込む。
海は大荒れだ。
黒い海が太くねじれ、大きな白波が数え切れないほど光っている。水平線のあたりだけがぼんやり明るい。
海が怒ってるみたいだ。
止めようよ、とぼく。
今夜は怖いよ、とぼく。
けれど赤いさかなは長い尻びれを振りたてた。
わたしをかえして。青い海、広い海、あたたかな海に。
小さな器に閉じ込めないで。
あんまり熱心に頼むので、とうとうぼくらは波の間にさかなを放した。
小さなさかなはぴちりと跳ねた。
ありがとう。
これで帰れる、わたしの海に。わたしの自由に。
わたしのしあわせに。
高らかに、赤いさかなが叫んだ、そのとき。
わずかに差した月光の中。
黒くておおきなものが、赤いさかなを覆った。
赤いさかなは見えなくなった。
真っ黒のなにかが、大きな目でぎろりとぼくらを見、そのまま波に消えた。
波は黒く大きく強く、どおん、どおんと岩を打つ。
風は熱いかたまりになって、ごおごお鳴ってぼくらの耳と喉を塞いだ。
赤いさかなはどこにもいない。
青い海はどこにもない。
ぼくらはふたり、猛り狂う夜の海を見ていた。
震えながら見ていた。
夜の海は怖いものです。
そして、これはまだ宵の口なのです、