第7話 手合わせ
お茶会を終えたハシムは軽装の防具を着込み、訓練所の中央でティナが訪れるのを静かに待っていた。
「ソフィア様は、どちらを応援なされます?」
ハシムを心配そうに見つめるソフィアに、キュリーが尋ねる。
「そう言われても……。どちらも……、としか」
「ソフィア様はお優しいですなぁ……」
「おじいちゃん泣きすぎだって」
キュリーとエイナルを余所に、ソフィアはただ祈るようにハシムを見守っていた。
その一方で、アンジェとスレイは精神集中するハシムを眺めながら会話を交わす。
「隊長はティナ姫の実力を、どれくらいのものだと思ってますか?」
「さあ、見たことも戦ったこともないしなぁ」
アンジェはスレイの問いかけに適当に答える。
「王国兵の評判によれば相当な実力者で、手合わせして勝った兵士はいないそうです」
「そりゃそうでしょ。一国の姫相手に、手合わせとはいえ勝てはしないでしょ」
アンジェの当然の反応に、スレイは「そうですよね」と頷いた。
「来たようですね」
スレイが視線を向けた先には、防具を身に纏ったティナの姿があった。
「お待たせしました、殿下」
「いえ、こちらも精神集中の時間が欲しかったところですので」
訓練所中央の舞台で二人が向かい合うと、立会人のスレイがその間に立つ。
「改めて確認させていただきます。狙うのは武器と防具のみ。勝敗は相手の武器を無力化させるか、降伏を宣言させた場合のみとなります。よろしいでしょうか?」
双方が頷き、合意を示す。
「では、始めてください」
スレイの合図と共に、ハシムとティナはそれぞれ距離を取り、武器を構えた。
「ティナ様は、細剣をお使いになられるのですね」
「ええ、これが私の一番得意な武器ですから」
ティナは得意げに細剣を鋭く振る。
「殿下の剣は、曲がっているのですね」
「ええ。西方の砂漠の民が主に使う剣です。東方の刀とも違う、反りのある剣になります」
ハシムもまた、自身の剣を軽く翻した。
「まずは、軽めに参りましょうか」
「そうですね、軽めに」
ハシムの言葉にティナが応じると、互いの剣がぶつかり合い、キンという甲高い金属音が訓練所に響き渡った。
「良いですね、このまま参りましょう」
ハシムの言葉を受けたティナが、細剣を突き立てていく。ハシムも鮮やかに剣を返し、二人はまるでダンスを踊るかのように剣戟を繰り広げた。
「楽しそうだなぁ、殿下」
アンジェが呟くと、いつの間にか隣にいたライラが「そうですね」と短く返した。
「ライラ、妬いたりしてないよね?」
「私がそんなことしますか?」
笑顔で返されたアンジェは、それ以上何も言わず、そっと目を逸らした。
「なるほど、基礎は一通り教わっているようですね」
「はい。とある流浪の剣士に、一年ほど指南を受けたので」
しばらく斬り結んだ二人は、再び距離を取って向き合う。
「このまま殿下の指南を受けるのも良いですが、これは手合わせですので、もう少し踏み込んだ戦いをしませんか?」
「そうですね。もう少し強めに行ってもいいかもしれません」
ティナは裾を掴むように一礼すると、ハシムに向けて鋭い突きを放った。
「っ……!!」
素早く正確な突きがハシムの剣を弾き、攻撃を受けたハシムの体勢がわずかに崩れる。
「良い突きだ。アタシも殿下も、姫様の実力を甘く見ていたみたい」
アンジェが感心したように漏らす。
「なるほど……。これは気が抜けませんね」
ハシムは切り替えるように深く息を吐くと、左手を腰の裏に当て、剣を顔の前へと構え直した。
「殿下のあの構えは……」
「本気で攻撃を受け止めるつもりみたいだね」
ライラの言葉にアンジェが応じる。
「さあ、まだまだ!」
ティナはさらなる突きを繰り出すが、ハシムはそのすべてを冷静に受け流していく。
「さすがは殿下。師匠以外で私の突きを捌く人は初めてですよ」
「こちらも防ぐので手一杯ですよ。ティナ様の剣技には驚かされます。その師の教えが良かったのでしょう」
二人は久しぶりに、胸の高鳴りを感じていた。
「楽しそうですね、ティナ様」
キュリーに尋ねられたソフィアは、「そう……、ですね……」と小さく呟く。
二人だけで通じ合っているハシムたちの姿に、ソフィアは複雑な感情を抱いていた。
「殿下との手合わせはとても楽しいですが、そろそろ終わりにしましょう。今から、私が放てる最大級の一撃をお見せします。これを凌げれば殿下の勝ちとします」
「いいでしょう、いつでもどうぞ」
ハシムはティナを正面に据え、迎撃の構えを取る。訓練所にいる誰もが、固唾を呑んで見守った。
まばたきする一瞬の隙にティナが踏み込み、瞬速の突きが放たれる。甲高い金属音と共に、ハシムの剣が弾かれ、地面に突き刺さった。
「くっ……」
ハシムは衝撃で痺れた右手を抑え、膝をつく。
「それまで!」
スレイが宣言すると、王国兵たちが一斉に歓声を上げ、ティナを囲んだ。
「さすがです、姫様!」
「帝国に一泡吹かせることができましたな!」
一方で、跪くハシムのもとへライラやソフィアが駆け寄る。
「大丈夫ですか、殿下!」
「大丈夫です、少し痺れているだけです。……それよりも、ソフィア様には不甲斐ないところを見せてしまいました」
「いえ、決してそのようなことは……」
心配するライラの申し出を断り、ハシムは立ち上がると、ティナの方へと歩み寄った。
「見事な一撃でした、ティナ様」
差し出された手に、ティナも笑顔で応じて握手を交わす。
「私も、殿下との手合わせはとても楽しかったです」
手を取り合う二人を見て、訓練所には自然と拍手が巻き起こった。
「殿下が負けるなんて……。帝国の終わりだ……」
その光景に、アンジェだけは両膝をついて項垂れていた。
「隊長……露骨すぎますって。ライラさんに怒られますよ……。やめてください、隊長。ライラさんが笑顔でこっちを見てますから!」
スレイの予言通り、しばらくしてアンジェはライラにこってりと叱られることになった。
その日の夜、皆が寝静まる頃。一人で剣を振っていたハシムに、ある者が声をかけた。
「殿下、こんな時間に何をされているのですか?」
ハシムが視線を向けると、そこにはティナが立っていた。
「ティナ様こそ、どうしてこちらに?」
「夜風に当たりにきました。手合わせした時の火照りがまだ抜けなくて」
「そうでしたか」
ハシムは剣を止め、隣に立つ彼女が細剣を携えていることに気づく。
「月が綺麗ですね、殿下」
「ええ、見事な満月です」
ティナは一歩前に出て、ハシムの視界に割り込むようにして尋ねた。
「殿下。手合わせの際、手加減しましたね?」
その問いと同時に、雲が月を覆い、一帯が暗闇に包まれた。ハシムは動じる様子もなく沈黙を貫く。
「なるほど、その沈黙がなによりの答えですね」
ティナは納得した様子で続けた。
「従者の方々の態度があまりにも分かりやすかった……というのは置いておいて。突きを放った結果が、あまりにも理想的すぎたからです」
雲が晴れ、再び月明かりが辺りを照らす。
「私の突きを受けた者の武器は、普通は飛ばされます。ですが、相手の力の込め方によって飛び方は千差万別です。それなのに、殿下の剣の飛び方は完璧すぎました。まるで、これから来る突きの威力をあらかじめ知っていたかのように……」
ハシムが数回の打ち合いだけで、自分の全力を完全に見切っていたことを、彼女は確信していた。
「申し訳ありませんでした。ティナ様を不快にするつもりはなかったのですが……」
ハシムが頭を下げると、ティナは「やっと喋ってくれましたね!」と彼の顔を覗き込み、悪戯っぽく笑った。
「殿下の政治的な配慮だということは、戦う前から分かっていました。《《最初から》》、勝つつもりはなかったのでしょう?」
「はい……。余計なお世話かとも思いましたが」
ハシムは観念したように顔を上げ、ティナを見つめた。
「いえ、その配慮は有り難かったです。もし私が負ければ、王国兵の不満は高まったでしょう。それに『女は男に勝てない』という偏見を助長したかもしれません。だから謝らないでください。手合わせが楽しかったのは本当ですから」
「ティナ様がそう仰るのであれば……」
二人は改めて向き合い、目を合わせる。
「でも、殿下が罪悪感を抱いているのであれば、一つだけお願いしてもいいですか?」
「なんなりと」
ティナは真剣な眼差しでハシムを捉えた。
「本気で、手合わせしていただけませんか?」
ハシムはしばらく沈黙した後、「はい」とだけ答えた。
二人は再び訓練所の中央に立つ。
「殿下を本気にするために、今度はそこを狙わせてもらいます」
細剣を抜いたティナは、その先でハシムの心臓を示した。
「構いません。ご自由に」
ハシムも剣を構え、迎撃の準備を整える。
静寂のなか、二人の呼吸音だけが響く。雲が晴れ、月光が差し込んだ瞬間。それを合図にティナが突きを放ったが、同時に彼女の剣は激しく弾き飛ばされた。
「!!」
気づいた時には、ティナの喉元に短剣が突きつけられていた。
「なるほど……。その左手は、短剣を持つためのものだったのですね」
「はい。本気の時は、このように戦います」
ハシムは短剣を引いて距離を取ると、「不躾な真似を、お許しください」と頭を下げた。
「いえいえ、とても勉強になりました」
ティナは喉元を狙われた恐怖も見せず、「なるほど、短剣……」と考え込んでいた。
「殿下の短剣、凝った意匠をしていますね」
「これですか? 実家からの贈り物です。あまり使い込みたくはないのですが……」
「実家からの贈り物なのに、ですか?」
「これ以上は……」
問いかけられたハシムは、自身の鼻に指を当てて言葉を濁した。ティナは完全には納得していない様子だったが、それ以上は踏み込まなかった。
「殿下、今夜はありがとうございました。また強くなれそうです」
ティナが手を差し出す。
「こちらこそ。見事な突きでした。磨けばもっと光ると思います」
その手を握り返したとき、ティナは堪えきれないといった様子で口を開いた。
「我慢しようと思ったけれど、言っちゃいます。……殿下、ソフィアではなく私を、妻にしていただけませんか?」
予想外の告白に、ハシムは言葉を失う。
「お気持ちは嬉しいですが、私はソフィア様を迎えると決めておりますので」
「そう……ですか……」
予想していた答えではあったが、ティナは俯き、肩を落とした。
「殿下は、おとなしい女性が好きなのでしょうか?」
「そういうわけではありません。私の立場上、誰かを選べるわけではないのです。どうかご容赦を」
ハシムの言葉に、ティナは潔く諦める決意をしたようだった。
「代わりになるか分かりませんが、ある提案がございます。お聞きいただけますか?」
落ち込む彼女を見て、ハシムが声をかける。
「提案、ですか?」
「ええ。ティナ様さえ良ければ、私の――になってはいただけませんか?」
この提案が、レークランド王国の運命を大きく決定付けることになる。




