第57話 ハシム商会 #2
ミシェルをその場に放置した一行は、商館内へと足を踏み入れた 。内部には、異国情緒の漂う品々が所狭しと並べられている 。
様々な珍しい品物に目を奪われているソフィアの様子を見守りながら、ハシムは奥へと進んでいった 。
やがて、ハシム一行は応接室へと通される 。
「ソフィア様は、こちらにてお待ちください」
フェイに促され、ソフィアは「その……殿下は……?」と心細そうに尋ねた 。
「申し訳ありません、ソフィア様。商会の代表として、色々と書類に目を通す必要がありまして……」
「そう……ですか……」
ハシムの返答にソフィアが目に見えて落胆すると、すかさずフェイがフォローを入れる 。
「ソフィア様、どうかご安心を。退屈されることがなきよう、我らハシム商会の名誉にかけて、精一杯おもてなしをさせていただきます」
フェイが自身の胸に手を当てて気高く宣言すると、ソフィアも「分かりました、お言葉に甘えさせてもらいます」と笑みを浮かべた 。
「ありがとうございます……。お前たち、失礼のないようにな」
「はい! お任せください!」
部下たちの頼もしい返事を聞き届けたフェイが、ハシムに視線を送る 。ハシムは頷き、側に控える二人に声をかけた 。
「ライラ、アンジェ。姫様の側に」
「かしこまりました」
ライラが静かに頭を下げ、アンジェと共に部屋へと入っていく 。
その様子を見送ったハシムに、フェイが「さあ、参りましょう」と声をかけ、セイを伴って階段を上っていった 。
「しかし、殿下も凄まじいことをなさいますね。嫁ぎ先で戦争を起こすなどと……」
階段を上りながらセイが呆れたように呟くと、「ええ、まったく……。とんでもない騒動をしでかしてくれたものです」とフェイが深いため息をついた 。
「どれほど弁明に苦労したか……お分かりですか? すべて殿下の責任ですからね」
「その件については悪かったと思っている。だが、すでに我が兄クラークから散々絞られた後でな……。勘弁してくれ」
「なるほど、クラーク殿下が……。では、わたくしからの小言はこれくらいに留めておくとしましょう」
「言うことは言うんですね……」
フェイのちゃっかりした物言いに、セイは半ば呆れ気味に応じる 。
そんな軽妙なやり取りを交わしながら、一行は執務室へとたどり着いた 。
「スレイは外で待機だ。私の許可なく人を通すな」
「はい、殿下」
スレイにそう指示を与えたハシムは部屋へ入り、中央のソファに腰を下ろした 。フェイはその対面、机を挟んだ位置に座る 。
「さて……殿下。色々と書類が溜まっていますから、存分にお楽しみください」
フェイの不敵な微笑みに、ハシムはしばし沈黙したあと、大きなため息をついて口を開いた 。
「フェイ……お前が怒っている理由はよく分かった 。面倒を擦り付けたことについては謝罪しよう 。だが、お前には私に匹敵する権限を与えたはずだ 。一々、私に伺いを立てる必要はない 。それに、私は表向きの代表に過ぎず、この商会の実質的な主はお前だ 。もっと自由にやっていいんだぞ、フェイ」
ハシムの言葉を受け、フェイはしばらく考え込んだのちに答えた 。
「たとえそうだとしても、殿下はこの商会の最高責任者です 。わたくしは、ただの副代表に過ぎません 。仮に殿下に匹敵する権限があったとしても、越権行為はしたくありません 。……借金を抱えただけの商家の娘 。そんなわたくしを拾い上げてくださった、殿下の御恩に報いたいのです」
真剣な眼差しを向けられて気恥ずかしくなったのか、ハシムは頭を掻きながら苦笑する 。
「分かった……それを言われると弱いな 。まったく……堅物なところは相変わらずか」
「ええ、まったくです」
セイが我が意を得たりと同意すると、ムッとしたフェイは、セイの脇腹に向けて容赦のない肘打ちを一発お見舞いした 。
「ぐっ……! 今……殴られるような流れでしたか……?」
「さあな? それよりも、お前は例のアレを持ってこい」
フェイに促され、セイは「へいへい……」とぼやきながら金庫へと向かい、あるものを取り出した 。
「こちらをどうぞ、殿下」
セイが机の上に置いたのは、分厚い手紙の束だった 。ハシムはその圧倒的な量に思わず眉をひそめる 。
「約半年分の報告になります。どうぞお収めください」
フェイとセイが満面の笑みを浮かべると、ハシムは額を片手で押さえ、「ここぞとばかりに……」と恨めしそうに嘆くのだった 。
「フウカはいるか?」
ハシムが声をかけると、ソファの背後から「何?」とフウカがひょっこり顔を出した 。
「相変わらず、神出鬼没なお方ですね……」
フウカの突然の登場に、セイが困惑の声を漏らす 。当のフウカは背もたれを軽々と乗り越え、ハシムの隣に収まった 。
それどころか、机の上に置かれていた、ハシムのために淹れられたであろうお茶に遠慮なく口を付ける 。
「本当に自由な方ですね……。セイ、もう一杯殿下に」
苦笑するフェイだが、その声には若干の怒気が含まれている 。セイは「かしこまりました」と応じ、手早くお茶を淹れ直すために席を立った 。
「コイツに関しては、もう色々と諦めている」
ハシムが諦観を交えて呟くと、「そうですね……。それが賢明でしょう」とフェイも同意した 。
「殿下、こちらをどうぞ」
セイがお茶を差し出すと、「ああ、すまない」とハシムが手を伸ばすより早く、フウカがお茶を手に取る。
その破天荒すぎる行動に一同が呆れ果てる中、フウカは何食わぬ顔でお茶を口に運んでいた 。
「セイ、次からは毒を盛っておけ……」
「はい、そうします、殿下」
そんな冗談混じりのやり取りを経て、ようやく一行は本題へと移る 。
「お前も目を通しておけ、フウカ」
「……? 何に……?」
キョトンとするフウカに、「各地の諜報員からの報告だ」とハシムが呆れながら手紙を差し出す 。
するとフウカは「ふーん」と気のない返事をしながら、一枚の手紙を手に取って眺め始めた 。
「殿下、本当にこのような者を諜報の責任者にしておいて良いのですか?」
フェイの至極真っ当な問いかけに、ハシムは「確かにそう思うこともあるが、一応は使えるからな……」と、若干の不満を滲ませつつも答えた 。
「しかし殿下も、よくこのようなことを思いつかれましたね。商会の皮を被った諜報機関など……」
手紙に目を通しながら、セイが感心したように言う 。
「フッ、昔から使い古された手だ、大したことはない。それに所詮はヒシャーム家の真似事だ」
「そうですか? 実際に形にするのは、並大抵の苦労ではないと思いますが……」
セイがなおも言葉を続けようとすると、「今は黙って目を動かせ」とフェイが鋭く釘を刺した 。
その言葉に、セイは「へーい」と応じ、文字通り書類へと視線を戻すのだった 。
それから三十分ほどが経過した頃、一通りの作業が終わりを迎えた 。
「とりあえず今は、この程度で良いだろう……。残りはレークランドに送ってくれ」
「かしこまりました、殿下」
フェイが手際よく机の上に広がった手紙を集め始める 。その間、セイは再びお茶を淹れ直すために席を立った 。
「それで殿下、何か気になる記述はありましたか?」
手を動かしながら尋ねるフェイに、ハシムは「そうだな……」としばし考え込む 。
「いや、特に目立って気になる所はないな。どこも満遍なく不安定だ」
その言葉に、フェイは「なるほど、いつも通り……ですね」と納得の表情を浮かべ、ハシムも「ああ、いつも通りだ」とだけ短く返した 。
「お疲れ様でした、殿下」
「ああ、すまない。手間をかけさせたな」
ハシムが労いの言葉をかけると、セイは「いえ、お気になさらず」と返し、淹れたてのお茶を差し出した 。今度はハシムが無事にお茶を口に運ぶ 。
「あ、そうだ。これ、ヒューゴから来てたんだった」
唐突にフウカが思い出したように言い、懐から一通の手紙を差し出した 。あまりに大雑把な伝達に一同が呆れ果てる中、ハシムは乱暴にその手紙をひったくる 。
封を解き、中身を確かめたハシムは、大きく息を吐き出してソファに深くもたれかかった 。
「殿下?」
フェイが怪訝そうに声をかけると、ハシムは黙って手紙を差し出し、フェイとセイの二人は顔を寄せ合って目を通した 。
「まさか、ヒシャーム家が国外で……」
手紙を読み終えたセイが愕然と呟くと、ハシムは重々しく頷く 。
「ああ、奴らが国外で動くとはな……」
「やはり、皇帝陛下の指示でしょうか……?」
フェイの問いかけに、ハシムは「いや、違うだろう」と否定し、言葉を続けた 。
「今、父上はヒシャーム家と距離を置いている。それに、レークランド《《程度》》を相手にヒシャーム家を動員する理由が見当たらない」
しばらく考え込んでいたセイが、顎に手を当てながら推測を述べる 。
「であれば、ヒシャーム家の独断ということになりますが……」
「ああ、そうなるな」
ハシムは淡々とした口調で肯定した 。
「驚かれないのですね?」
表情を一切変えないハシムにフェイが尋ねると、ハシムは冷ややかな笑みを浮かべた 。
「フッ、奴らの策謀は今に始まったことではない。自分の娘や孫すら駒にしようとする連中だ。これくらいのことはするだろう……」
ハシムの皮肉に満ちた言葉に、フェイは「殿下……」と切なげに声を漏らす 。
「いずれにせよ、ヒシャーム家は今後数年の間に動き出す……。我々はそれに備えるだけだ、分かったか?」
ハシムの鋭い眼光に、フェイとセイは力強く頷いた 。その張り詰めた空気の中、フウカだけは呑気に欠伸を噛み殺していた 。
「さて、戻るとするか 。これ以上、ソフィア様を待たせるわけにはいかないからな」
「ええ、そうですね。ですが殿下には、もっと書類仕事をしていってほしい、とも思いますが」
「フェイ会長……流石にそれは……」
「ふふ、冗談ですよ。半分は、ね」
悪戯っぽく微笑むフェイに、セイは呆れたように苦笑いを浮かべた 。
「ふああああ……眠い……」
そんなやり取りを聞き流していたフウカは、再び大きな欠伸をすると、そのままソファにごろりと寝転がってしまった 。
「殿下、この者どうします?」
セイの問いかけに、ハシムは「放っておけ」とだけ吐き捨てる 。するとセイは、寝転がるフウカを見つめながら、以前からの疑問を口にした 。
「前から気になっていたのですが、フウカさんはどこの出身なのですか? 同じ東方系なのは分かりますが……それ以外が何とも掴めなくて」
「気にするだけ無駄だ」
ハシムがにべもなく切り捨てると、ムッとしたフウカが体を起こして抗議する 。
「なんでそんな風に決めつけるのさ。どこかの王族だったりするかもしれないのに」
「フッ……王族? ありえないな。フェイのような、高貴な血がお前を流れているとでも?」
ハシムが自然に放ったその一言に、フェイの表情が凍りついた 。ハシムも、言ってはならないことを口にしてしまったと気づき、ハッと黙り込む 。
「すまない、フェイ。探るつもりはなかったのだが……」
「いえ……。殿下であれば、知っているだろうとは思っていましたから……」
室内に気まずい沈黙が流れる 。フェイは冷や汗を流しているセイをじっと睨みつけ、ハシムに問いかけた 。
「このことは、セイからお聞きに?」
「いや違う、別のルートからだ。セイは関係ない」
「そう……ですか……」
ハシムの返答にフェイがわずかに安堵の息を漏らすのを見て、セイもホッと胸を撫で下ろした 。
「殿下は、わたくしの血筋を知った上で手を差し伸べてくださったのですか?」
「それは違う。信じられないかもしれないが、声をかけたのは珍しい東方系だったというだけだ。お前の血筋を知ったのは、そのあとの偶然に過ぎない」
ハシムの釈明を聞き、フェイはしばらく思案するように沈黙を保っていたが、やがて静かに口を開いた 。
「分かりました……。これまで見てきた殿下の言動と行動のすべてを鑑みて、殿下を信じることといたします。もし、この血が役に立つことがあれば、どうか遠慮なくお申し付けください」
フェイはそう告げると、隣のセイに視線を送る 。
「このセイ共々、お力になります」
そう言って、フェイは深々と頭を下げた 。セイもそれに合わせるように、共に深く一礼する 。
「分かった……機会があればぜひ力を貸してくれ、フェイ」
「はい、陛下」
固い絆を確かめ合う二人の会話を、フウカはソファに寝転がったまま、興味なさそうに聞き流しているのだった 。




