第58話 ハシム商会 #3
執飾室を出たハシムは、階段を下りて応接室へと戻った 。室内から騒がしい声が漏れ出る中、応接室の扉が開かれる 。
「で、殿下……」
開かれた扉の先にはソフィアが立っていたが、その格好は先ほどとは一変していた 。
露出の多いそのドレスは、まさに踊り子といった風貌であった 。
ハシムは恥ずかしそうに縮こまるソフィアから視線を移し、ライラへと向けた 。
「申し訳ありません、止めようとはしたのですが……」
「別に似合ってるからよくね?」
申し訳なさそうにするライラとは対照的に、能天気なアンジェが割り込む 。
額を押さえるハシムの背後から、フェイが姿を現した 。
「お前のせいか! ミシェル!」
激昂して声を張り上げるフェイに対し、ミシェルは悪びれる様子もなく応じる 。
「そう怒んないでよ。これもおもてなしでしょ?」
「この……阿呆が……」
フェイは怒りのあまり小刻みに体を震わせた 。
「会長、どうか落ち着いて……」
セイが必死に宥めている中、ハシムの目の前には、なおも恥ずかしそうに佇むソフィアの姿があった 。
「ど、どうでしょうか……? 殿下……」
上目遣いに尋ねるソフィアの姿を、ハシムは改めて見つめる 。
「とてもお似合いですよ、ソフィア様」
「そ、そうでしょうか……。もっと似合う方もいると思いますが……」
「どうかそのようなことを仰らないでください。今、私の目に映っているのは貴女だけです。他の誰か……などという話はしたくありません。どうか自信を持ってください」
ハシムの言葉を噛み締めるように、しばらく俯いていたソフィアだったが、やがて顔を上げて微笑んだ 。
「はい! ありがとうございます、殿下」
嬉しそうに微笑むソフィアの背後では、ミシェルがフェイに容赦なく締め上げられていた 。
「しかし、なぜこのような衣装がここにあるのだ?」
ハシムの疑問に対し、ミシェルはフェイに締め上げられながらも、元気に手を挙げて答えた 。
「あ、それについてはアタシから!」
「とりあえず放してくれる……? フェイ」
「はぁ……分かりました。では、また後で」
フェイの不穏な言葉に一瞬眉をひそめつつも、ミシェルは襟元を整えながら話し始める 。
「その衣装は元々、西から来た旅の劇団の所有物だったんだけど……。ある時の共同公演で、友好の証として貰ったんだ!」
嬉々として語るミシェルに、フェイが鋭く釘を刺した 。
「ですが、商会所有になっているということは……売ったのですね?」
「うっ……。で、でも、今こうして誰かに着られているのは、きっと良いことだよ! うんうん!」
ミシェルが必死に誤魔化すように声を高らかに上げると、フェイはただただ呆れた表情を浮かべるばかりだった 。
「ミシェル、もう満足したでしょう? 帰ってください」
「え〜、まだ居てもいいでしょ! ケチ!」
駄々をこねるミシェルを、フェイは「ケチで結構」と冷たく突き放す 。
「この後、ソフィア様歓迎の祝賀会を執り行う予定なのですよ。貴女に構う余裕はありません」
「あ、会長。そういった話をすると……」
セイのツッコミに、フェイはハッと自身の失言に気づいた 。
「あ……」
恐る恐る視線を向けると、そこには目を輝かせたミシェルの姿があった 。
やらかしたと言わんばかりに額を押さえるフェイを余所に、ミシェルが声を張り上げる 。
「宴会なら盛り上げ役必要だね!」
「宴会ではなく祝賀会です! ミシェル!」
「大して違わないでしょ?」
フェイの反論などどこ吹く風で、ミシェルは自信満々に言い放った 。
「盛り上げ役なら、我が劇団【天上の翼】にお任せあれ! とっておきの曲芸を披露しますよ!」
「曲芸は嫌いではなかったのか?」
ハシムがすかさずツッコむと、ミシェルは「うっ……。そ、それは時と場合によるかな……」と小声で視線を泳がせる 。
ハシムが呆れ果てていると、ミシェルは「とにかく! 劇団の皆に声掛けてくるから!」と言い残し、誤魔化すように商館を飛び出していった 。
嵐の去った後、ソフィアが楽しげに笑う 。
「なんだか、楽しくなりそうですね。殿下」
「ええ、そうですね……」
ハシムはソフィアにそう返しつつも、頭を抱えるフェイの姿を見て、さらなる嫌な予感を募らせるのだった 。
その夜 。ハシムは商館内での慎ましやかな食事を終え、外に出て夜風に当たっていた 。
商館の外では大きな篝火が焚かれ、樽に板を乗せただけの簡素な机に、数々の酒と料理が並べられている 。
あちこちで劇団員による見事な曲芸が披露され、近所の住人たちも巻き込んで、ちょっとしたお祭りのような賑わいを見せていた 。
ハシムはそんな光景を、ソフィアと共に少し離れた位置から酒を嗜みつつ眺めていた 。
「皆様、とても楽しそうですね」
「ええ。結果的にはミシェルに感謝……と言いたいのですが、どうにも感謝できる気がしなくて……」
かつてないほどに頭を悩ませて俯くハシムの姿に、ソフィアが声を掛けようか迷っていると、それを吹き飛ばすような大声が響き渡った 。
「よお! ハシム!」
大きく息を吐きながらハシムが見上げると、そこには第二皇子オズマが立っていた 。
「なぜ兄上がここにいるのです……。招待した覚えはありませんが」
「いやなに、タダで酒が飲めるとアンジェに聞いてな」
オズマの言葉に、ハシムは冷ややかな視線をアンジェへと向けた 。
アンジェは体をビクつかせ、誤魔化すように酒を呷る 。その隣では、スレイがその光景を見て呆れ果てていた 。
「俺は明日、帝都を発つ 。だからその前に一杯……いいだろぉ? ハシム」
肩に手を回してウザ絡みしてくるオズマに、ハシムが辟易していると、ソフィアが助け舟を出すように口を開いた 。
「殿下、私は構いませんが……」
「ですが……ソフィア様……」
「いいじゃねえの! 姫様が良いって言ってるんだし!」
力説するオズマの圧に、ハシムはついにため息を漏らして折れた 。
「はぁ……分かりました……」
「ただし、空にする酒樽は一つだけで」
ハシムが釘を刺すと、オズマは「おうよ!」とウキウキした様子で酒の元へと駆けていった 。
「す、すごいですね……。そんなにお酒に強いのですか?」
「ええ……信じがたいことに……」
オズマの乱入により、会場の混迷と喧騒はさらに増していくのだった 。
オズマの来訪からしばらく経ち、周囲に酔いが回り始めた頃 。
楽しげな演奏が始まると、自然な流れで人々が火を囲んで踊り始めた 。
その光景を羨ましそうに眺めるソフィアに気づき、ハシムは立ち上がってそっと手を差し出した 。
「さぁ、私達も参りましょう。ソフィア様」
「で、ですが……」
突然の申し出に困惑するソフィアに、ハシムは真剣な眼差しを向ける 。
「大丈夫です」
ソフィアは「は、はい……」と頷き、ハシムの手を取って立ち上がった 。
焚き火の前で互いの手を取り合うと、ソフィアが少し申し訳なさそうに囁く 。
「その……あまり踊りは得意ではなくて……」
「大丈夫です、ソフィア様。そう固くならず、それっぽく踊れば問題ありません。ここは社交場ではありませんので」
ハシムの優しい言葉に緊張が解けたのか、ソフィアはハシムと共にステップを踏み始めた 。
最初は緊張で強張っていたソフィアだったが、次第にその表情には笑顔が咲き乱れていった 。
そんな楽しげな光景を、商館二階のテラスからフウカが退屈そうに眺めていた 。
「なんの用?」
フウカが振り返ると、そこには料理の盛られた皿を持ったスレイが立っていた 。
「大した用じゃない 。これを持って行けとライラさんが……」
ライラの気遣いに対し、フウカは「そう……」とだけ素っ気なく返す 。
その態度にスレイは何か言い掛けたが、言葉をグッと飲み込んだ 。
「ここに置いておくからな」
スレイはそう言ってフウカの側の机に皿を置く 。感謝の一言もないフウカに、不満げな視線を向けながら続けた 。
「それと、足りなかったら取りに来い……そうライラさんが言っていた」
「そう……」
やはりフウカは一言返すのみだった 。
「確かに置いたぞ 。つまみ食いしたなどと言いふらしたら、締め上げるからな」
「フッ……。なにそれ、面白そう」
「おい……本当に言うなよ…… 。こっちは冗談のつもりなんだぞ……」
少し焦るスレイを余所に、フウカは皿から料理を一つ掴んで口へと運んだ 。
そんなフウカの様子を疑わしげに見つめていたスレイは、かねてより抱いていた疑問をぶつけた 。
「殿下の陣営において、私は新参の部類だが……お前は古参のようだな」
「なんのために殿下の側にいる? 忠誠を捧げているとも思えないが……」
スレイの問いに対し、しばらく沈黙を保っていたフウカだったが、やがて視線を戻して問い返した 。
「それを聞いてどうするの?」
「それは……」
言い淀むスレイを冷ややかに見つめながら、フウカはさらに言葉を重ねる 。
「殺すの?」
「殿下の判断を待たずに殺すことはない」
きっぱりと言い放つスレイに、フウカは淡々とした声色で返した 。
「そう……。なら、命令があれば殺すんだ」
「そんな極論……」
「そうかな? もし私が、ハシムを殺すためだけに側にいるって言ったらどうするの?」
「それでも殺さないの? ハシムの指示を待つの? その間に殺しちゃうかもよ?」
「っ! それは……」
完全に言い淀んでしまったスレイを他所に、フウカは小さく欠伸をした 。
「もういいよ……。つまらないから、帰って」
「私は! 真面目に話しているのだ!」
声を張り上げ、思わず剣の柄に手をかけたスレイ 。そんな彼に興味なさげな視線を向けたまま、フウカが口を開く 。
「さっさと行ったら? 早くしないと、愛しのアンジェがオズマに取られるよ?」
「何を言って……」
スレイは反論しかけ、思わず階下の様子を窺った 。するとそこには、案の定アンジェに言い寄るオズマの姿があった 。
「オズマ殿下……」
複雑な視線を送るスレイに対し、フウカはニヤリと不敵に笑う 。
「そんな心配しなくても、アンジェは断るよ。きっと……」
スレイが一瞬横目を向けると、フウカは「ほら」と顎で示した 。
視線を戻したスレイの視界に、オズマの誘いをあっさりと断ったアンジェが、ライラの手を引いて楽しげに踊り始める姿が映り込む 。
「……」
無言になったスレイに、フウカは「ほらね」と言い放った 。
完全にフウカに見透かされ、手のひらで転がされたスレイは、不服そうな表情を浮かべながらその場を去ろうとする 。
その去り際に、フウカが背後から声をかけた 。
「アンジェの足を踏まないようにね」
「余計なお世話だ!」
スレイはぶっきらぼうに返し、階下へと向かっていった 。
その後、スレイがアンジェに誘われて共に踊る光景を、フウカは欠伸を噛み殺しながら、一人退屈そうに眺め続けるのだった 。




