第56話 ハシム商会 #1
一夜明けた帝都。ハシムは自身の商会を目指し、ソフィアと共に歩みを進めていた。
しかし、その道すがらには、ハシムが想定していなかったとある人物が同行していた。
「殿下の商会、とても楽しみです」
「異国の品々を多数取り揃えていますから、ぜひ楽しみにしていてください」
そうハシムが語りかけると、ソフィアは「はい!」と元気よく答える。
「いやぁ……。アタシも久しぶりにフェイに会えるなぁ……」
そんな会話を交わす二人の背後で、ミシェルはしみじみと想いを馳せるように呟いた。
「なぜここにいる、ミシェル」
「今更それ聞きます? てっきり同行を許可してもらったものとばかり……」
「許可などしていない」
悪びれずつぶやくとぼけるミシェルに、ハシムは苛立ちを募らせる。
「そもそも、どうやってこの時間にここへ来ると知った?」
「ああ、それについてはアンジェに……」
「そうか、ありがとう。後で礼を言っておくといい……」
ハシムが冷ややかな視線を向けると、アンジェは身の危険を察したのか体をビクつかせた。
不穏な空気を察したソフィアが、「で、殿下、どうかお心を……」と宥めにかかる。
「失礼しました、ソフィア様。わたくしは至って冷静ですので、どうかご安心を。処罰は適切に下しますので……」
静かに言い放つハシムに、ソフィアは引きつった苦笑いを浮かべるしかなかった。
「いやぁ、しかし……ライラさんは相変わらず美しい。舞台に出る気はありません?」
「申し訳ありません。メイド以上のことをするつもりはありませんので」
「そんなぁ……。舞姫役とか絶対似合いますって!」
ミシェルのしつこい勧誘に対し、ライラは「お断りさせていただきます」ときっぱりと撥ね退ける。
「それじゃあ! スレイ君はどう?」
「自分に話を振らないでもらえると……」
スレイが困惑しながら返すと、「ええ……いいじゃん! その顔立ちなら人気出るよ!」とミシェルは食い下がる。
「人気など不要です。今の自分は果たすべき使命で手一杯なので」
「うーん、逸材だと思ったのになぁ……」
そのやり取りを聞いていたアンジェが、「舞台なら、またアタシが出てもいいよ」と立候補した。
「うーん……その申し出はありがたいけど、前の舞台での演技が……。槍の演舞は良かったけど、演技がなぁ……」
ミシェルが露骨に頭を悩ませると、アンジェは「そんなにひどい演技でしたか? 殿下?」とハシムに同意を求めた。
「私から言えることはないが、二度目は見ないとだけ言っておく」
ハシムの無慈悲な一言に、アンジェはショックのあまりがっくりと項垂れた。
そんな賑やかな会話を交わしながら、一行はとある建物の前に到着する。
「ここがハシム商会……」
看板に掲げられた文字を見上げて、ソフィアがぽつりと呟いた。
建物の前には数台の馬車が停められており、まさに荷下ろしの真っ最中といった活気に満ちていた。
「お、おい。あれ……」
「ま、まさか……」
作業をしていた数人がハシムの姿に気づき、一斉に視線を向ける。
「ハシム殿下だ!」
「おお、来てくださったのか!」
一人が声を上げたのを皮切りに、従業員たちが次々とハシムの周りに集まりだした。ハシムはいきなり囲まれても動じることなく、一人ひとりに丁寧に応対していく。
同じ頃、建物の中では一人の黒髪の女性が机に向かい、真剣な面持ちで書類の確認を行っていた。その側では、片眼鏡を掛けた黒髪の男性が補佐として控えている。
外の騒がしさに気づいた男性が窓際に立ち、眼下の様子を確かめた。
「どうやら、到着されたようで……」
「そのようだな……」
女性は椅子から立ち上がると、男性を伴って部屋を出た。
「ハシム殿下が来られたらしいぞ」
「まじか、生の殿下を拝めるのか!」
建物内でもハシム到着の報はまたたく間に広がり、従業員たちは慌てた様子で入口付近へと集まり、人だかりを作っていた。
「おい、見えないだろ。押すなって……」
騒ぎ立てる従業員たちの背後から、「前を開けよ!」と鋭い男の声が響く。その声に振り返った従業員たちは、蜘蛛の子を散らすようにすぐさま道を開けた。
そこへ現れたのは、毅然と腕を組んで立つ小柄な女性だった。彼女は開いた隙間を一瞥し、フンと鼻を鳴らすと、堂々たる足取りでハシムの前へと進み出る。
女性は少し見上げるような形で、値踏みするようにしばらくハシムを睨みつけた。
その場を包む一触即発の空気に困惑したソフィアは、場をとりなそうと口を開きかける。しかし、それよりも早く女性が声を発した。
「お久しぶりでございます、ハシム殿下」
「ああ、久しぶりだな。フェイ」
二人が短い挨拶を交わすと、フェイと呼ばれた女性が背後に視線を送る。それだけで、先ほどまで騒いでいた従業員たちが一糸乱れぬ動きで整列を始めた。
「従業員一同、殿下の来訪を心よりお待ちしておりました」
フェイは胸に手を当てて深く頭を下げる。他の従業員たちも彼女に続くように、一斉に頭を下げた。
その見事な統率力にソフィアは圧倒され、口をポカンと開けて見入ってしまう。
「いろいろと手間を掛けさせたようだ、フェイ」
「いえ、この程度……大した労力ではありません。多忙な殿下に比べれば……」
従業員たちが解散した後、ハシムはさっそくフェイから棘のある皮肉を浴びせられていた。
その様子を見て困惑するソフィアに気づき、フェイは居住まいを正して向き直る。
「失礼しました、挨拶がまだでしたね。わたくしはフェイ・ロウガ。ハシム商会の副代表をしております」
「そしてこちらの男が、主にわたくしの補佐を務めるセイという者です」
フェイが紹介すると、セイと呼ばれた片眼鏡の男が恭しく一礼した。
「ソフィア・レークランドと申します。よろしくお願いします、フェイさん、セイさん」
ソフィアが丁寧に挨拶を返すと、フェイとソフィアが言葉を交わす横で、ハシムはセイにこっそりと耳打ちした。
「なあ、フェイは怒っているのか?」
「はい、これ以上ないほどに……」
セイの迷いのない回答に、ハシムは額を押さえながら苦言を呈する。
「それを宥めるのが、お前の仕事だろう?」
「そう言われましても……。自分にできるのは、書類の補佐と、彼女の気まぐれに殴られることだけですので」
そんな男たちの密談を余所に、「フェイ! 久しぶり!」と声を弾ませながらミシェルが背後から抱きつこうとした。
しかし、無慈悲に手のひらで顔を押さえつけられ、あえなく撃沈する。
「ミシェル……。また貴女ですか……」
「うん、久しぶり〜」
顔を押さえつけられてフゴフゴと言いながらも、ミシェルは呑気に再会を喜んでいた。
「はぁ……ミシェル。帝都に来ているのであれば、まずは払うべきものを払っていただけますか?」
「え……いきなりお金の話? 友との再会を喜ぶとかさぁ……」
「友? 貴女とわたくしは、借金で繋がっているだけに過ぎません。速やかな返済を」
畳みかけるように言い放つフェイに、ミシェルは恐る恐る懇願する。
「今月だけは、ちょっと待ってほしいかなぁ……なんて……?」
「その言い訳は聞き飽きました。先月分の支払いは、劇団の皆様方が立て替えたそうですよ? 恥ずかしくないのですか、そのような醜態を晒して……」
フェイの暴露に、ミシェルは「え、まじ? だから催促がなかったのかぁ」と妙に納得して頷いた。
「はぁ……貴女には呆れ果てますね。今月の支払いは、きっちり貴女一人でお願いします」
フェイが冷ややかに告げると、ミシェルは途端に大慌てで声を上げた。
「ええ! 無理だって!」
「そうですか? 帝国劇場での公演があれば、十分に支払える範疇だと思いましたが?」
「うっ……それはそうかもしれないけど……」
ミシェルは恨めしげに周囲を見回し、ハシムとバッチリ目を合わせる。
「で、殿下! 代わりに払ってくれませんか!」
がしっと腕を掴んで縋りつくミシェルに、ハシムは心底呆れ果てた声を出す。
「阿呆かお前は。自分が、自分の商会に身銭を切ってどうする……」
そう言いながら、ハシムは冷徹にその手を引き剥がした。
「このような阿呆は放っておいて、参りましょうか。ソフィア様」
「よ、よろしいのですか……?」
地面に膝をついて項垂れるミシェルを横目に、ソフィアが恐る恐る尋ねる。
「問題ありません、ソフィア様。この者がこのような危機に陥るのは、初めてではありませんので……」
フェイは侮蔑すら混じった冷ややかな眼差しをミシェルに据える。
「フェイの言う通りです。気にせず参りましょう」
「は、はい……」
ソフィアは引きつりつつも、哀れなミシェルを一度振り返り、それから商館へと足を踏み入れた。
「いやぁ……殿下の周りは、癖のある女ばかりだなぁ。殿下には、女難の相が出てると思わない?」
アンジェがぽつりと零したその言葉に、ライラとスレイの二人は、まるで信じられない怪異でも見たかのような表情を浮かべるのだった。




