第54話 帝国議会
大図書館を見終えたハシムとソフィアは、そのままとある場所へと足を運んでいた。
「殿下、この建物は?」
「こちらは、帝国議事堂となります」
ハシムがそう告げると、ソフィアは改めて巨大な建物を見上げ、「議事堂……」と小さく呟いた。
「ここでは、何が行われているのですか?」
建物の中から微かに聞こえてくる熱を帯びた声に耳を傾けながら、ソフィアは尋ねる。
「この中では現在、帝国議会が開催されています」
「帝国議会?」
「詳しくは中で……。すぐに分かりますよ」
ハシムはそう言って建物の入り口へと進んだ。入り口に立つ衛兵は、ハシムの姿を認めると、慌てて体を引き締めて敬礼を捧げる。
「ご苦労。手間を掛けさせるつもりはない。傍聴席にそのまま通してくれ」
「はっ……!」
緊張した様子の衛兵は、すぐに道を開けてハシムたちを通した。
「傍聴席……。そして議会……」
二階を目指して階段を上るハシムの後ろで、ソフィアがその言葉を繰り返す。
「殿下、言葉の響きでなんとなく分かってきましたが……。私のような者が傍聴してもよろしいものなのでしょうか?」
「問題ありません。たとえ帝国市民でなくとも、適切な身なりをしていれば、誰でも傍聴することが出来ます」
ハシムの説明に、ソフィアは「それは凄いですね……」と感嘆の声を漏らした。
「到着です。さあ、ソフィア様、空いている席に座りましょう」
ハシムに誘導され、二人は二階の傍聴席の隅へと腰を下ろした。 ハシムの登場に傍聴席がにわかにざわめく中、ソフィアは興味深そうに議場内を見回す。 半円形の議場の中央には演説台があり、ちょうど一人の議員が熱弁を振るっているところだった。
「殿下、議会に出られている方々は、どのようにして選ばれているのでしょうか?」
「いい質問ですね。議場を見ていただくと分かりますが……、それぞれ五十席ずつ、右翼側と左翼側に分かれています」
「一方は民間から選出された者たち。そしてもう一方は、貴族や軍人といった、いわゆる体制側の者たちになります」
ソフィアはハシムの話に頷きながら、さらに疑問を口にした。
「なるほど……。ですが、どうしてそのように明確に分けられているのですか?」
「あえて対立させているのです」
「あえて……ですか?」
「ええ。より良い国作りには、多様な意見を出し合うのが一番ですからね。しかし、一つの意見に賛同ばかりが集まるようでは、いずれ国は腐敗してしまいます」
「そこであえて対立する構図を作ることで、互いに意見を戦わせ、それぞれの良い部分を取り入れたいいとこ取りを目指すのです」
ソフィアは「なるほど……、そのような深い意図が……」と感心しながら、真剣な眼差しで議場を眺めた。
「そして、席数が五十ずつに等分されていることにも、ちゃんと意味があります」
「もし仮に意見が完全に二分された場合、採決を取るためには相手陣営から賛同者を引き出す必要が出てきます」
「そうした政治的な駆け引きが、結果として国をより良い方向へ導くことにも繋がるのです」
「ですが当然の事ながら、脅迫や買収といった不当な行為は厳しく処罰されるため、その一線だけは皆、越えないように弁えています」
ハシムの言葉を真剣な表情で聞いていたソフィアは、「そうなのですね……。では、ここで決まった意見は……?」と先を促した。
「議会で上申された意見は、大臣や宰相が目を通した後、最終的に皇帝が承認するという流れになります」
「皇帝であっても、何でも好き勝手に決められるというわけではありません。それに、専門外の分野については、広く意見を仰ぐ必要がありますからね」
「こうした取り組みがあるからこそ、比較的健全な国家の運営が保たれているというわけです」
ソフィアは深く息を吐くと、「これが、帝国の強さ……、なのですね」と呟いた。
「なぜ帝国がこれほど強大な軍事力と経済を維持できているのか……。その強さの一端を垣間見た気分です」
そう語るソフィアに、ハシムは笑みを浮かべながら謙遜する。
「はは、それは少し大げさな気もしますが……」
「いいえ、大げさではありません。これらの仕組みは、健全な国作りと権力の暴走を止めるために作られたのですね」
ソフィアの鋭い指摘に、ハシムはしばらく沈黙した後、「ええ、その通りです」と静かに肯いた。
「これらの複雑な仕組みは、権力の一極集中を防ぐためのもの……」
「そして、宰相といった皇族に次ぐ権力者が置かれているのも、そうした事情があるからです」
「あまり言いたくはないのですが……。愚か者が一人で絶対的な権力を握るだけで、国というのは容易く腐敗してしまいますから……」
ハシムが紡いだ「愚か者」という言葉に、ソフィアは心当たりがあるのか、しばらく考え込む様子を見せた。 そして、恐る恐るといった様子で尋ねる。
「殿下の言う愚か者……。それは、ウェルシュの……?」
ハシムは肯定するかのようにしばらく沈黙した後、重い口を開いた。
「ええ……、その通りです。死者を悪くは言いたくありませんが……」
「かの者がエドワード王と同じ道を歩むつもりであれば、戦争は起きず、命を落とすこともなかったでしょう……」
「まあ……、直接手を下した私がどの口で言うのか、という話ではありますが……」
自嘲気味に悲観するハシムの姿に、ソフィアは心配そうに「殿下……」とだけ声をかけた。
その時、議場に厳かな鐘の音が響き渡る。
「おっと……、どうやら本日の議会はもう終わりのようです」
ハシムの言葉に従ってソフィアが議場の中央へ視線を向けると、そこには見覚えのある人物が立っていた。
「殿下、あの御方は……」
ソフィアの視線の先、壇上に立っていたのは、クラーク第三皇子だった。
「皆、ご苦労だった。今日も実りある議論が出来たと、私は思っている。ここでの意見は、我が父である皇帝に必ず届けよう」
クラークはそう告げると、議場全体に鋭い視線を送った。
「では、本日はここまでだ」
その言葉と共に、出席者は傍聴人も含めてほぼ全員が立ち上がる。その独特な光景にソフィアが困惑していると、クラークが再び朗々と口を開いた。
「帝国に栄光を!!」
クラークの掛け声に合わせ、議場内のほぼ全員が声を揃えて咆哮する。
「帝国に栄光を!!」
議場全体を震わせる地鳴りのような和音に、ソフィアは思わずビクッと肩を揺らした。困惑を隠せないままハシムを見つめる。 席に座り直したハシムは、「突然のことで申し訳ありません」と苦笑交じりに謝罪した。
「議会の終わりには、あのように掛け声を出す伝統がありましてね」
「そ、そうなのですね……。少し驚いてしまいました……。それで、その……。私は何もしなくて良かったのでしょうか?」
「ええ、大丈夫ですよ。ソフィア様はレークランドの御方。流石に唱えることを強制するつもりはありません」
ハシムの言葉に、ソフィアは「そ、そうでしたか……」とホッと胸をなだめおろした。
「さて……。もしよろしければ、兄上にご挨拶をして行きますか?」
「そうですね……。お話しする機会があるのでしたら、ぜひ」
ソフィアの返答にハシムは頷くと、「ライラ、兄上に連絡を」と言って、背後に控えていたライラを送り出した。
それからしばらくして、議場内の控え室にて、ハシムとソフィアはクラークとの面会を果たしていた。
「何の用だ、ハシム。こう見えて私は忙しいのだが?」
仏頂面のクラークが不服そうな声色で切り出すと、ハシムも引かずに言葉を返す 。
「それは分かっております。ですが、少しくらい良いではありませんか。可愛い弟が頼んでいるのですから」
「フッ……、お前に可愛げがあったのは五歳くらいまでだ。アホなことを抜かすな、阿呆め」
「私はまだ許していないからな。お前が勝手に戦争を起こしたことを」
クラークが冷ややかに言い放つと、ハシムは困惑気味に応じた。
「またその話ですか……?」
「またとは何だ。議会での弁明に、私がどれだけ苦労したと思っている?末席とはいえ、お前は帝国の皇子だ。それなのに、嫁ぎ先の国で戦争を起こすなど……」
「兄上……、晩餐会の時と言っていることが違いませんか? あの時は、もう追及はしないと……」
「あの時は祝いの場であったゆえ流しただけで、私個人の感情は別だ」
容赦なく言い放つクラークにハシムが呆れていると、クラークは二人の傍らで困惑しているソフィアの存在に気づいた。
「失礼。レークランドの姫君には、いささか酷な話でしたな」
クラークがそう気遣うと、ソフィアは「い、いえ……」と答え、少し前に出た。
「実は、貴女の御父上に、一度お会いしたことがありましてね」
「そ、そうなのですか?」
「ええ。一年ほど前、両国共同の鷹狩りの場にて……。豪胆な御仁ですが、非常に冷静な判断が出来る方だという印象を受けました」
「あの御方が健在であるならば、我が国との友好関係は不動のものになるでしょう」
「それは大いに国益に適うこと……。ですのでどうか、我が愚弟のことをよろしく頼みます、ソフィア嬢」
クラークがそう言って深々と頭を下げると、ソフィアも慌てて頭を下げた。
「こ、こちらこそ、よろしくお願いいたします、クラーク殿下」
そこへ、控え室の扉が開き、一人の若い女性が顔を覗かせた。
「クラーク殿下、お時間です」
「ああ、分かった。今行く」
声をかけてきた女性にクラークが応じる。ハシムはその様子を逃さず、女性の方へ一度鋭い視線を向けた。
クラークはハシムたちの前を通り過ぎようと足を動かし、すれ違いざまにソフィアを見て告げた。
「これにて失礼する。ソフィア様、帝国でのご滞在、存分に楽しんでください」
「は、はい。ありがとうございます」
ソフィアが礼を述べると、クラークは隣のハシムに向き直る。
「ハシム、後は任せる。やりすぎるなよ」
「ええ、兄上も」
短い言葉を交わし、ハシムとクラークはすれ違う。ソフィアは、そんな独特の距離感を持つ兄弟のやり取りを、興味深そうに見つめていた。
去っていくクラークの背中を目線で追っていたハシムは、再び入り口近くに立つ若い女性に視線を送る。
(兄上の従者……? それにしては、兄上の表情が随分と柔らかい気がするな……)
ハシムがそんな独り言を小さく漏らすのを聞き、ソフィアもそちらへ視線を向けた。その先では、普段は仏頂面のクラークが、心なしか優しげな表情でその若い女性と親しげに話していた。
「殿下、あの御方は……?」
「私の知らない者です……。従者……なのでしょうが……」
そう呟いたハシムは、しばらくの間、深く考え込む様子を見せた。そして、何かに思い至ったように低く溢す。
「なるほど……。もし、私の思った通りの人物であれば……」
「殿下……?」
ソフィアの怪訝そうな問いかけに、ハシムはハッと我に返った。
「失礼、少し考え事をしていました」
ハシムはそう言ってソフィアに向き直ると、優しく手を差し出した。ソフィアは若干の困惑を滲ませつつも、その手を取る。
「さあ、次の場所に参りましょう」
議事堂を後にしたハシムは、胸の内に確かな予感を抱きながら、静かに次の目的地へと歩みを進めるのだった。




