第52話 ヒシャーム家
ヴィクトルとの邂逅を終え、肝を冷やしたソフィアに、息を呑む間もなく次の声が掛けられた 。
「お久しぶりですね、ハシム」
柔らかい声色と共に、褐色肌の老婆が現れる 。その声に息を吐いたハシムが、ゆっくりと振り返った 。
ソフィアも共に視線を向けると、そこには他の有力者とは明らかに毛色の違う者たちがいた 。
その者たちは口元を布で覆っており、表情を窺い知ることはできない 。さらに、その服装にも大陸中央ではあまり見ない意匠が施されていた 。
中には背の高い大男がおり、とんでもない威圧感を放っている 。
そんな面々を前に沈黙を続けるハシムに、ソフィアは半ば答えを知りつつも、言葉を促すように尋ねた 。
「殿下、この方たちは……?」
「この者たちは、我が血族に連なる者たちです、ソフィア様」
ハシムがそう紹介すると、老婆が一歩前に進み出た 。
「では、まずはわたくしから……。マリヤム・ヒシャームと申します。ヒシャーム家の現当主をしております。よろしくお願いしますね、ソフィア姫」
優しい声色で語りかけるマリヤムに、ソフィアも頭を下げて応じる 。
「ソフィア・レークランドです。こちらこそ、よろしくお願いします」
ソフィアの挨拶を受けて笑顔を見せたマリヤムは、もう一人に前に出るよう促した 。
それに従って、褐色肌の中年代に見える女性が一歩前に出て一礼する 。それを見て、マリヤムが口を開いた 。
「この子はアーミラ、わたくしの娘になります」
「アーミラ・ヒシャームと申します。そこにいるライラの母親でもあります」
アーミラがそう挨拶すると、ソフィアはハシムの背後に立つライラに視線を向けた 。しかし、そこに立つライラは、複雑そうな表情で目を伏せている 。
そんな姿を見たソフィアは忍びないと思ったのか、視線を正面に戻すと、気になっていたことを尋ねた 。
「その……、マリヤム様は殿下の……?」
「ええ、祖母に当たります。そして、すでにお会いになったジダンは、我が兄となります」
そう話すアーミラに、ソフィアは重ねて尋ねる 。
「そうなると……、殿下のお母上は……」
「はい。我が姉ファティマは、母マリヤムの娘で、ジダンと私を含めた三兄妹となります」
「そうなると、ライラさんは……。殿下の……」
「はい……。殿下と私は、従姉弟同士になります」
背後に立つライラがそう告げると、ハシムはそれを、静かに目を閉じながら聞くのだった 。
「ごめんなさいね……。忙しい中、声を掛けてしまって……」
「い、いえ……。お気になさらず……」
ソフィアがそう気遣うと、マリヤムが親しみ込めて微笑んだ 。
「いつでも気軽に、御祖母様と呼んでもいいですからね……」
「は、はい……」
困惑気味に返すソフィアに、アーミラが苦笑しながら言葉を挟む 。
「もう……、お母様……。気が早いですよ?」
「ふふ、ごめんなさい。孫が出来たようで嬉しくて……、ついね」
微笑み合うマリヤムとアーミラに、ソフィアも笑顔で応じたが、隣に立つハシムはあまり気乗りする様子ではなかった 。
「ごめんなさいね、ハシム。いきなり押しかけて……」
「いえ……。こちらも実家の方に顔を出せず、申し訳ありません」
「良いのよ……。でも……、当主の引き継ぎの件は、考えてもらえないかしら?」
そう切り出すマリヤムに、しばらく考え込んだハシムは「申し訳ありません……」と断りを入れると、続けて言った 。
「今は、皇帝家の一員として振る舞うだけでも手一杯でして……。次代当主は……、ジダンが適任だと私は思います」
「そうね……、そう思う事もあったけど……。ジダンには子が居ないの……。ジダンのままでは、いつかは断絶してしまうわ……」
懇願するように言うマリヤムに、ハシムは観念した様子で答えた 。
「当主の引き継ぎの件に関しては、前向きに検討させていただきます……」
ハシムのその言葉を受けて、明るい表情に変わったマリヤムは、ハシムの手を強く握った 。
「ヒシャーム家の未来は貴方に託したわ。お願いね?」
マリヤムの圧に押されたハシムは、ただ一言、応じるしかなかった 。
「はい……」
「では、これで失礼するわね……。ソフィアさん、不器用な孫のこと、頼みます」
マリヤムはそう言うと、深々と頭を下げた 。その姿を見たソフィアは、慌てて声を返す 。
「は、はい……!」
「ライラ、殿のこと頼むわよ?」
「はい、お母様」
そう言葉を交わしたアーミラは、ハシムたちに一礼すると、マリヤムと共に去っていった 。
最後に残っていた大男は、ハシムをしばらく見つめた後、マリヤムの後に続きその場を去る 。
「ふう……」
ハシムが大きく息を吐くと、すかさずライラが声を掛けた 。
「大丈夫ですか、殿下?」
「大丈夫だ、ライラ。会うだろうことは想定していたからな」
そんな会話を交わすハシムたちを見て、ソフィアは、互いが従姉弟同士であるという事実を知り、複雑そうな面持ちで二人を眺めるのだった 。
同じ時、ハシムの背後で警備に立つアンジェとスレイも、密かに言葉を交わしていた 。
「あれがヒシャーム家……。異色ではありますが、外から見る分には普通の人たちに見えますね」
スレイがヒシャーム家の者たちを目線で追いながらそう呟くと、アンジェが低く応じた 。
「ま、見た目だけならね……。だけど実際は、五百年以上も中央大陸で暗躍を続けた秘密組織よ。奴らが皇帝家に取り入り、貴族に成り上がったとしても、本質は変わらない」
「今でも帝国各地……、いえ、大陸全土に網を張り、帝国の防諜を名目に、自分たちに有利な状況を作り上げようとしている……」
そう話すアンジェに、スレイが納得したように答える 。
「そして、それに立ち向かうのが殿下と……」
「スレイ、あまり大声で言わないでね? 誰が聞いているか分かったもんじゃない」
「ええ……、分かっています……」
スレイはそう返すと、気になったことを口にし掛けた 。
「ですがそうなると……、ライラさんは……」
「そこまでよ、スレイ……。それ以上は殿下の逆鱗に触れる」
真剣な表情でそう告げたアンジェの圧に押され、スレイは「は、はい……」と口を閉ざした 。
「さて……、これからどうなるやら……」
そう嘆いたアンジェは、改めて遠ざかっていくヒシャーム家の面々に冷ややかな視線を向けるのだった 。
ヒシャーム家との戦いを覚悟しているハシムであったが、その道のりは果てしなく険しいものであった 。




