第51話 帝国の者たち #3
次々と訪れる有力者の挨拶を受け、ソフィアに疲れの色が見え始める中、ある人物が二人に声を掛けた。
「お久しぶりですね、ハシム」
「マリア皇妃……」
ハシムが緊張した声色で視線を向けた先には、一人の妙齢な女性が立っていた。
「こ、皇妃様……」
そう呟いたソフィアは、ハシムの緊張につられるようにして立ち上がり、背筋を伸ばして頭を下げた。
「あなたがソフィアさんね?」
マリアは落ち着いた声色でソフィアに話しかける。ソフィアは緊張しながらも、慌てて挨拶を返した。
「は、はい……。わ、わたしはソフィア・レークランドと申します、皇妃様」
服の裾を掴んで頭を下げるソフィアに、マリアは微笑みながら言葉を返す。
「わたくしは、マリア・フォン・アンダルシアと申します。一応皇妃をしているの。よろしくお願いしますね、ソフィアさん?」
茶目っ気のある挨拶を向けられ、ソフィアは緊張が解けないまま「は、はい」とだけ答えた。
「ふふ……、可愛らしいお嬢さんね。ハシム、大切にするのよ」
「はい、皇妃様」
ハシムが胸に手を当ててそう返すと、マリアはその答えに満足したように頷き、そのまま皇帝の方へと歩みを進めていった。
「あの御方が皇妃……。なんと言いますか、とても素敵な御方ですね」
マリアの背中を見送りながらソフィアがそう呟くと、ハシムが静かに応じた。
「ええ、私にはもったいないほどの御方です」
「その……、殿下の御母上は……」
どこか寂しげなハシムの様子に、ソフィアは思わず尋ねていた。
「ええ……。ジダンからお聞きになった通り、私は他の兄弟とは違い、腹違いの生まれになります」
「それだけでなく、側室の子であり、異民族の血も流れている……。そんな子どもに対して、あそこまでの愛情を注いでくださるなど、私にはとても……」
遠い目をして語るハシムは、「それでも、あの御方は……」と何かを言いかけたが、すぐに言葉を飲み込んだ。
「失礼しました。自分一人で語ってしまったようで……」
「い、いえ、お気になさらず……」
ソフィアはそう返したが、内心では、腹違いという事実がそれほどまでに大きな違いを生むのだろうかと考えていた。
同時に、自分自身も腹違いの兄を持つ身として、ハシムの境遇を理解できれば、兄テオドールのことも理解できるかもしれない――ソフィアはそんな思いを抱くのだった。
皇妃との対面を終えた二人のもとに、今度は第二皇子オズマが声を掛けてきた。
「よぉ、忙しそうだな」
その声を聞いた瞬間、ハシムはあからさまに嫌そうな顔を浮かべる。傍らのソフィアは「オズマ殿下……」と小さく呟いた。
「クク、そう嫌そうな顔をするなよ」
オズマは笑いながらハシムの肩に腕を回す。ハシムは不快感を隠そうともせず、オズマを睨みつけた。
「兄上との顔合わせは、すでに済んでいます。これ以上何を話すことがあるのですか?」
「確かにそうだが、コイツとはまだだろ?」
オズマが視線を向けた先には、苦笑いを浮かべた一人のメイドが立っていた。そして、そのメイドの背後に隠れるようにして、もう一人の人影があった。
「まったく……、何をしているのだ。はやくこっちへ来い」
メイドに背中を押される形で、一人の女性が前に進み出た。彼女は目を伏せ、猫背気味に身を縮こまらせている。
「お久しぶりでございます、クラウディア様」
ハシムが先んじて挨拶を述べると、女性はか細い声で答えた。
「あ……、はい……。お久しぶりでございます、ハシム殿下……」
「我が妻のクラウディアだ」
オズマはそう言って、クラウディアの肩に手を置いた。その様子を見ながら、ソフィアも一歩前に出て挨拶を交わす。
「ソフィア・レークランドと申します」
「よ、よろしくお願いします……。ソフィアさん……」
クラウディアが差し出してきたか細い手を、ソフィアも優しく握り返した。
控えめな性格同士、どこか通じ合うものがあったのか、ソフィアとクラウディアはしばらくの間、和やかに談笑を交わしていた。
そんな二人の光景を眺めながら、オズマは再びハシムの肩に手を回す。
「クラウディア……、いい女だろ? お前もソフィア嬢ちゃんを大切にしろよ?」
「そう言うのであれば、まずはご自身の娼館通いを慎むべきでは?」
ハシムに手厳しい指摘をされ、オズマは「む……、それはまぁ……、あれだよ……」と言い淀んだ。
「一番に愛しているのは、当然クラウディアと我が子だ。だがな、世の中にはまだ見ぬ美女も多い……」
「そんな美女たちを一度も見ずに死ぬなんて、そんな空虚な人生は嫌だろ?」
真顔で同意を求めてくるオズマに、ハシムは冷淡に言い放った。
「そんな人生、クソ喰らえ……ですよ」
「おいおい……。皇族がクソなんて汚い言葉を使うなよ。もっとお上品に振る舞いなさい」
どの口が言うのかとばかりに叱ってくるオズマに、ハシムは呆れ果てた様子で問い返す。
「娼館に通っていて、クラウディア様には怒られないのですか?」
「いや? あいつはあんまり怒らないし、俺も最後はあいつのところに戻るから、それで満足なんだろう」
「それに、娼館に通うからって、一線を越えるつもりは無い。それは、お前も同じだろ?」
オズマの独特な理屈に、ハシムは「それはそうかもしれませんが……」と、不本意ながらも少し納得しかけてしまう。
「それにな? あいつは夜が一番凄いんだぜ?」
「知りませんよ……。そんな、夜の夫婦事情なんて……」
完全に呆れ返ったハシムの様子を見て、オズマは豪快に笑いながら、彼の背中を強く叩くのだった。
その後、オズマとクラウディアの夫妻と別れた二人の前に、今度は第三皇子クラークが姿を現した。
「兄上の下品な声は、どこまでも響くな」
クラークがそう声を掛けると、ハシムは「ええ、そうですね……」と同意し、共に去り行くオズマの背中を冷ややかな視線で追った。
自然な流れで並び立つ二人の兄弟を前に、ソフィアは若干の困惑を覚え、声を掛けあぐねていた。それに気づいた二人がソフィアを振り返る。
「失礼、第三皇子のクラークだ。よろしく頼む、ソフィア嬢」
「は、はい……。ソフィア・レークランドと申します……」
クラークが極めて自然な動作で手を差し出し、ソフィアはその手を握り返した。
「兄上……、これは商談ではないのです。あまりその様な事務的な振る舞いは……」
「お前が私に指図出来る立場か? 勝手に戦争など起こしやがって……」
クラークが冷たく突き放すと、ソフィアが思わず二人の間に割って入った。
「そ、それは殿下のせいでは……」
「そうですか……。ならば、レークランドには相応の賠償をして頂きましょうか?」
クラークからの突然の要求に、ソフィアは「そ、それは……」と言い淀んでしまう。
「兄上……、いい加減にしてください。これ以上ソフィア様を困惑させるのであれば……」
ハシムが明確な怒気を含んだ声色で制すると、クラークは「ふっ」と鼻で笑った。
「冗談だ、半分はな? 戦争はコイツが責任を持って終わらせた。ならば、私が父上を差し置いて言う事など無い」
「まあ……。もし三ヶ月で終わらなければ、軍の動員を父上に打診するつもりではあったがな……」
クラークが淡々と告げたその言葉の裏にある冷徹さに、ソフィアは思わず背筋が寒くなるのを覚えるのだった。
「さて……、私はもう行く。最後に、結婚おめでとう、ハシム」
「兄上……, その言葉自体は嬉しいのですが、正式な婚姻はまだです……」
「そうか。ならば先取り……とでも思っておけ」
ハシムは小さくため息を漏らし、「分かりました、兄上……」と力なく返した。
「それで良い。それと最後にもう一つ、伝える事がある」
「それは……?」
ハシムが聞き返すと、クラークは「ああ……、簡単な話だ……」と前置きし、静かに口を開いた。
「私の琴線にだけは触れるな」
その言葉を受けたハシムは、しばらくの間、身を硬直させて考え込んでいたが、やがて言葉を絞り出した。
「ええ、分かっていますとも……。あなたを怒らせると、我が兄ヴィクトルよりも恐ろしい」
「分かっているじゃないか」
クラークは満足そうに応じると、どこか上機嫌な様子でその場を去っていった。
「なんと言いますか……。少し変わった御方ですね……」
「ええ……。あれでも本人は、完璧主義を貫いているそうですが……」
二人の間に少しだけ和やかな空気が戻ったのも束の間、背後からまるで氷のような冷気を纏った声がハシムを呼び止めた。
「おい……、ハシム」
その声に一瞬だけ体をビクつかせたハシムは、警戒を孕んだ動きでゆっくりと振り返った。
「兄上……」
ハシムの視線の先には、彼の兄であり、次代の皇帝となる第一皇子ヴィクトルの姿があった。
そのすぐ側にはニコルとノエルの双子、さらにもう一人、女性が静かに佇んでいる。
「ヴィクトル・フォン・アンダルシアだ。一応、ハシムの兄でもある。見知り置き願おう、レークランドの姫よ」
自然な立ち振る舞いの中に圧倒的な威圧感を孕ませながら言い放つヴィクトルに、ソフィアは恐る恐る頭を下げた。
「れ、レークランド王国第三王女、ソフィア・レークランドと申します……」
「この者とは既に面識があったのだな? ニコル、ノエル」
ヴィクトルが淡々とした口調で問いかけると、二人の子どもは「は、はい」と同時に短く答えた。
「そうか。ならば、これ以上の挨拶は不要だな……。後はお前だ、タチアナ」
ヴィクトルに促され、タチアナと呼ばれた女性が一歩前に進み出た。
「た、タチアナと申します……。よろしくお願いします……。ソフィア様……」
「は、はい……。よろしくお願いします……」
ソフィアがそう返すと、その場を何とも言えない重苦しい沈黙が支配した。
「挨拶が済んだのであれば、これ以上の馴れ合いは不要だ。そうだろう? ハシム殿下?」
「はい……、ヴィクトル皇太子殿下」
互いに痛烈な皮肉を込めながら言葉を交わした後、ヴィクトルはハシムを鋭く睨みつけ、それ以上は何も語らずにその場を去っていった。
これまで見てきたどの兄弟のやり取りとも明らかに異なる、底冷えするような確執を孕んだ空気に、ソフィアは胸の奥で一抹の強い不安を覚えるのだった。




