第5話 王城探訪 #3
ソフィアの案内を受けたハシムが中庭にたどり着くと、そこではアンジェがハシムの近衛兵たちに訓練をつけている最中だった。
「遅い! もっと速く!」
アンジェは、様々な方向から飛びかかる兵士を、華麗な槍捌きであしらっていく。
「全員で来い!!」
その言葉を受け、兵士たちが互いに目配せしたあと、一斉に襲いかかった。 アンジェは目を閉じ、深く息を吐いて槍を構える。次の瞬間、目にも止まらぬ速度の突きを全方位へ繰り出し、すべての兵士を突き飛ばした。
「そこまで」
訓練場の端に立つ青年が告げると、兵士たちは一礼して下がっていった。
「な、何が起きたのか分かりませんでしたけど……凄いということだけは分かります……」
「ええ。アンジェの槍捌きは、帝国でも屈指ですから」
ソフィアはアンジェの技量に深く感心した様子を見せる。
「あの方も、殿下の……?」
「ええ。私の警護をしているアンジェです。我が近衛師団の隊長でもあります」
「とてもお強い方なのですね」
ソフィアが敬意を表す一方で、訓練場の端には複雑な思いを抱く者たちがいた。
「帝国兵はあんな異邦人の訓練を受けるのか」
「いかにも能力主義の帝国、といった感じだな」
「我ら王国の訓練所で帝国兵が訓練とは、嘆かわしい」
王国兵たちが漏らす不満の声を聞きつけたのか、アンジェはニヤリと笑って声をかける。
「あなた方も! 一緒にいかがですか!」
声が届いていると思わなかったのか、王国兵たちは一瞬たじろぎ、無視するようにその場を立ち去った。
「歓迎したのに……」
槍を肩に乗せ、残念がるアンジェが視線を巡らせると、ハシムたちの姿を見つけた。
「あ、殿下だ」
その言葉に帝国兵たちは一斉に立ち上がり、拳を胸に当てて敬礼する。 ハシムが同様に敬礼で返すと、アンジェはまるで主を見つけた犬のように駆け寄ってきた。
「殿下! 来たんですね!」
「ああ。このあとここで手合わせだからな。ソフィア様に案内を頼んだのだ」
ハシムがソフィアを振り返る。ソフィアは、遠目では分からなかったアンジェの長身に威圧されたのか、思わずハシムの後ろへと身を隠した。
「アンジェ、ソフィア様が怯えています。上から覗き込むのはやめなさい。不敬ですよ」
ライラに釘を刺されたアンジェは慌てる。
「ライラ、ごめんって……。じゃあ、こうかな?」
アンジェがしゃがみ込み、無理に目線を合わせようとしたため、ソフィアはさらに後ろへと引っ込んでしまう。
「アンジェ。姫様は犬ではないのです。安易にしゃがみ込むのはもっと不敬ですよ」
「じゃあ、どうしろと……」
不満げなアンジェに、ハシムが簡潔に命じた。
「そのまま、立っていろ」
アンジェはその場に直立不動となった。
「ソフィア様、このデカブツが無用な恐怖を与えたようで申し訳ない」
「い、いえ。私の方こそ、殿下の配下にご無礼を……」
固まっているアンジェの姿に恐怖も和らいだようで、改めて挨拶を交わすことになった。
「初めまして、姫様。殿下の警護をしてます、アンジェって言います」
「気軽にアンジェって、呼び捨てで構いませんよ!」
「よ、よろしくお願いします……。呼び捨ては気が引けるので、アンジェさんでよろしいでしょうか?」
「呼び捨てでいいけど、姫様がそう言うならそれで」
気軽すぎる態度のアンジェに、ハシムは額を抑え、ライラは笑顔のまま静かに怒気を漂わせた。
「隊長、まだ訓練中です。勝手に離れないでください」
アンジェの後ろから、一人の青年が顔を覗かせる。
「あ、姫様。ついでに紹介しときます。この隣の堅物が副長のスレイです」
「堅物ではなく、真面目と言っていただきたい」
スレイと呼ばれた青年はソフィアの前に出ると、胸に手を当てて綺麗な一礼をした。
「スレイと申します。殿下旗下の近衛で副長をしています。どうかお見知りおきを」
「よろしくお願いします……」
今度は怯えないソフィアを見て、アンジェはスレイに小声で囁く。
「やっぱ顔なのかな? イケメンだから?」
「ふざけたこと言ってないで戻りますよ」
スレイに引っ張られ、抵抗しながらもアンジェはハシムに声をかけた。
「殿下も訓練一緒にどうですか!」
「必要ない」
ハシムが一蹴すると、アンジェは「そんな~」と嘆きながら連行されていった。
「よろしかったのですか? この後の手合わせを考えたら、今ここでの鍛錬も必要かと思いますが……」
心配そうなソフィアに、ハシムは穏やかに返した。
「問題ありません。それに、感覚は常に研ぎ澄ませています。いつ何が起きようとも対処できますよ。我が配下たちも同様に」
ハシムが訓練所を指差すと、鋭い剣戟の音が響いた。それが明らかに金属同士のぶつかる音だと気づき、ソフィアは目を見開く。
「木剣は使われないのですか!」
「はい。刃は研がれていませんが、帝国軍は訓練において鉄製の剣を使用します。もちろん、新兵などは木剣で慣らしますが、実戦に近い感覚を重視しています」
「な、なるほど……」
ソフィアが感心していると、訓練所の端では石弓の射撃訓練が始まった。
「帝国軍は石弓を使うのですね」
「ええ。弓に比べれば劣る点もありますが、少ない訓練期間で農民でも扱えるのが利点です。帝国兵は入隊すると必ず扱いを教わるので、全員が歩兵であり射手でもあるのです」
「そうなのですね。ティナにこの話をしたら、すぐに王国軍でも導入しようと言い出すかもしれません」
「はは、確かにそう仰るかもしれませんね」
ハシムは笑って返し、しばらく兵士たちの訓練を眺めていた。
「殿下、訓練の邪魔になるかもしれません。移動しませんか?」
「そうですね。次の場所へ案内をお願いできますか?」
「はい!」
大陸最強と言われる帝国軍の一端を垣間見たソフィアは、もし帝国と戦うことになったらと一瞬想像し、背筋に冷たいものが走った。
「次はどちらへ?」
「裏庭はどうでしょう? 母と姉様が世話をしていて、とても綺麗なんです」
「それはいいですね」
裏庭を目指して廊下を歩きながら、ソフィアは気になっていたことを問いかけた。
「その……殿下。先ほどのアンジェという方は、異国の……?」
「ええ。彼女は南方大陸の出身になります」
「南方大陸……あまり耳にすることのない大陸ですね」
「人類誕生の地とは呼ばれていますが、国家は存在せず、様々な部族が土地を治めているそうです」
ソフィアは言葉を選びながら、核心に触れる。
「南方大陸の出身となると……やはり……」
「ええ。元奴隷です」
「奴隷……」
その言葉に、ソフィアは考え込んでしまう。
「この国では、奴隷は違法でしたね」
「はい。建国時に初代国王が定めました。奴隷がいない……それがこの国の誇りでもあります」
「ソフィア様は、奴隷制度がお嫌いですか?」
うつむいていたソフィアが顔を上げ、ハシムを見つめた。
「嫌いです。人種差別の典型例ですから」
「差別を無くしたい。そう思っていらっしゃるのですね」
「はい。我ながら子供っぽい理想論だとは分かっているのですが……。それでも……」
ソフィアは黙り込む。思案するハシムに、彼女は問いを重ねた。
「殿下はどうして差別が生まれるのか、お分かりになりますか?」
「そうですね……歴史的な原因で言えば、大帝国の崩壊が一因にあると考えます」
「大帝国の崩壊? それが関係しているのですか?」
「はい。かつて存在した大帝国は白人が興した国です。それが周辺の異民族を取り込み、奴隷として使役し、千年以上の時間をかけて国を築きました」
ハシムは静かに語り続ける。
「しかし、自分たちより劣っていると思っていた東方人に敗れ、国は滅びました。さらには騎馬民族に全土を蹂躙されるといった屈辱の歴史が、無意識的な形で今に継承されているのかもしれない……。私はそう考えています」
「なるほど……。そういった歴史的な背景もあるのですね」
感心するソフィアに、ハシムは話を続けた。
「無意識という繋がりで、とある学説をご存知ですか?」
「どういったものでしょうか?」
「集合無意識というものです」
「集合無意識……ですか?」
聞き慣れない言葉に、ソフィアは困惑を見せる。
「難しそうな響きですが、意外と単純な話ですよ。人は太陽が出ている時間を昼、沈んだ時間を夜と認識しています。ソフィア様は、この概念を誰かに教わりましたか?」
ソフィアは首を横に振った。
「いえ……生まれたときから、そういうものだと思っていました」
「それが集合無意識と呼ばれるものです。昼と夜という概念は、国や人種を超えて不変です。では、これと差別がどう繋がるか。……人には最初から、差別するという本能が備わっていたのです」
「最初から……。ですが、それは……」
ハシムの言葉を受け入れがたいという表情のソフィア。ハシムは構わず言葉を重ねる。
「たとえ世界が同じ人種で統一されていても、人は容姿や財産など、様々な理由で優劣を決めるでしょう。人は差別する側とされる側を決めなければ生きていけない……。人とは、そのような業を背負った生き物なのかもしれません」
ソフィアはうつむき、沈黙した。ハシムは一呼吸置いてから、優しく語りかける。
「たとえ差別が人の本能だとしても、それを無くす努力を放棄すべきではありません。時間はかかるでしょうが、人の意識は変えられる。私はそう信じたいと思っています」
ハシムはソフィアに手を差し出した。
「ソフィア様、どうか顔を上げてください。あなたの理想、どうか私にも共に歩ませていただけませんか?」
「殿下……ありがとうございます。私からも、お願いします……」
ソフィアはその手を取り、理想の実現へと進む覚悟を新たにした
「いい話ですね……」
後ろをついて行くメイドのキュリーが、小さく呟く。
「姫様も、立派になられましたなぁ」
従者のエイナルも感動し、涙を拭っている。
「エイナルもいまや立派なおじいちゃんだね。もう思い残すこともないね」
「キュリー、私はまだまだ生き続けますよ」
そんなやり取りをよそに、差別の厳しい現実を知るライラだけは、難しそうな顔で考え込んでいた
裏庭にたどり着くと、雪積もる山脈を背景に、雪の残る地面から様々な花が咲き誇っていた。
「とても美しいですね。春が近いのを感じます」
「そうですね……。雪が少し残って光り輝いている今が、一番好きかもしれません」
二人は石畳の小路を歩く。遠くでは、王妃ウルスラと長女イリーナが花の手入れをしていた。
「あのお二方が手入れをされているのですね」
「はい。母上が特に気に入っていて、大雨のときでも庭に出るほどですから」
「それはなんとも……筋金入りですね」
裏庭の端で、ソフィアは城壁の縁に手を置き、風を感じていた。
「ソフィア様、風に当たりすぎると体を冷やします。戻りませんか?」
「お気遣いありがとうございます。でも、これくらいなら平気です。昔の私なら風邪を引いたかもしれませんが、今の私は《《大人》》ですから」
風に髪を揺らしながら自信に満ちた表情を見せるソフィアは、どこか大人びて見えた。
「立派になられて……」
「エイナル、それさっきやったから。もういいって」
感嘆の声を漏らすエイナルに、キュリーが呆れたようにツッコミを入れる。
「そろそろ、日が一番高く昇る時間ですね」
ハシムは空を見上げながら呟いた。
「そうですね。もっと案内をしたかったのですが、この後はティナに譲ることにします」
ソフィアは少し残念そうな表情を浮かべる。
「ソフィア様、本日はありがとうございました。とても有意義な時間でした」
「こちらこそ殿下。色々な方と知り合えて、とても楽しかったです」
二人は握手を交わした。ソフィアがキュリーたちの元へ歩き出し、一礼するライラとすれ違う。
「殿下……その、最後に一つ聞いてもよろしいでしょうか?」
ソフィアが振り返る。その視界には、並んで立つハシムとライラの姿があった。
「答えづらいかもしれませんが……」
「構いませんよ」
意を決したようにソフィアが問う。
「お二方は……その、御姉弟でいらっしゃるのでしょうか……?」
予想外の質問に、ハシムとライラは硬直した。二人の反応に、ソフィアはしまったという顔をする。
「ご、ごめんなさい……。こんなこと聞くべきではありませんでしたよね……」
「い、いえ。そのようなことは。……少し戸惑ってしまっただけです」
ハシムは一呼吸置いて答えた。
「私とライラは姉弟ではありません。同じ一族の血を継いではいますが、それだけです」
「そうなのですね。西方系の方に会うのは初めてなので、つい勘違いしてしまったようで……」
「そう……でしたか……」
重苦しい雰囲気が漂い、ソフィアは「申し訳ありません」と謝罪を残して、足早に去っていった。
ハシムは沈黙し、ライラを見つめて口を開く。
「ライラ……私とお前は……」
「殿下が考えているようなことは、あり得ません」
ライラがその言葉を遮った。
「そう……だな……」




