第49話 帝国の者たち #1
帝城前に横付けされた馬車から、ソフィアがハシムの手を取って降りてくる。
地に足を付けたソフィアは視線を上に向けると、巨大な帝城に圧倒された様子で、口を半開きにしながら見つめていた。
「お待ちしておりました。皇帝陛下がお待ちです」
頭を下げた使用人に「ああ、分かった」と答えたハシムは、ソフィアに向き直った。
「さぁ、参りましょう」
ハシムの先導に従い、ソフィアは着飾った姿で整列する衛兵の間を進む。その光景に圧倒されつつも、ハシムに付き従って帝城内へと入っていった。
丁寧に磨かれ、埃一つない大理石の柱と床が広がる廊下を、ソフィアはハシムの背を追って進む。
しかし、美しく磨かれつつも豪勢とは言えない内装を見て、ソフィアは以前ハシムから聞いていた話を思い出した。
以前に王城を案内した際、ハシムは皇帝家が質素倹約を重んじていると話していた。その言葉通り、どこか控えめな内装を見つめつつ、ソフィアは歩みを進めるのだった。
玉座に座る皇帝ジェラールの表情をうかがい知ることはできない。そんな中、ハシムが一瞬だけ視線を後ろに送ると、それを合図に従者たちが一斉に跪いた。その光景に一瞬呆気にとられたソフィアとキュリーも、少し遅れて跪く。
「ハシム・フォン・アンダルシア。皇帝陛下の命により、レークランド王国より、ただいま帰還いたしました」
遠くまで届く声でハシムが告げると、ジェラールは肘を突いたまま、低い声で応じた。
「うむ。ご苦労だった、ハシム。……そなたが、レークランドの姫君だな?」
ジェラールに視線を向けられたソフィアは、俯きながら声を絞り出した。
「は、はい。レークランド王国第三王女、ソフィア・レークランドと申します。この度は、帝国へ招待していただき、厚く御礼申し上げます」
緊張した声色で挨拶したソフィアに、ジェラールが言葉をかける。
「そうか、遠路はるばるご苦労であった。今宵、宴席を設けている。存分に楽しまれるとよい」
「は、はい……。お気遣い感謝いたします」
ソフィアがそう答えると、ジェラールは満足そうに玉座に座り直した。
「ハシム、後はお前に任せる」
それだけ言うと、皇帝はそれ以上口を利かなくなった。ハシムは「お任せください」とだけ返し、立ち上がってソフィアを連れ、謁見の間を後にした。
緊張の瞬間を終えて廊下を歩くソフィアだったが、想像以上に簡潔な謁見だったことに、若干の割り切れなさを募らせていた。
そんなソフィアの様子を察したのか、ハシムが足を止めて振り返る。
「申し訳ありません、ソフィア様。父上がそっけない態度を見せてしまいまして……」
謝罪するハシムに、ソフィアは慌てて首を振った。
「そんな、殿下が謝るようなことは何も……」
「言い訳になってしまいますが、あの態度には理由がありまして。実のところ、謁見時の皇帝に求められているのは威厳だけなのです。父上はそれに応えようとしているだけにすぎません。大帝国の皇帝ともなると、ベイザル王のような親しみやすい立ち振る舞いはできないのです。どうかご理解を……」
ハシムの話を聞いたソフィアは納得したように頷いた。
「そうですね……。冷静に考えてみれば、とても腑に落ちる立ち振る舞いだと思います」
「ありがとうございます。決して冷酷な御方ではないのです、決して……」
ハシムが安堵の表情を浮かべ、ソフィアと言葉を交わしていると、廊下の遠くから声が掛かった。
「あ!お兄様だわ!」
その声につられてハシムたちが視線を向けると、廊下の向こうに二つの小さな人影が見えた。
「ノエルはまた適当なこと言って……」
呆れた様子の少年が呟くと、少女は「適当じゃないわよ、ほらあっち!」と指を差す。その先にハシムの姿を捉えた少年は、途端に目を見開いた。
「お兄様!」
「あ!ずるいわよニコル!」
少年が勢いよく飛び出すと、少女もその後を追いかける。背後からは「いけません!ニコル様、ノエル様!」と呼び止めるメイドの声が響いた。
しかし、二人は気にする様子もなく走る速度を緩めず、まっすぐハシムへと突き進む。
勢いよく飛び込んできた二人は、ハシムの腰に抱きつく。ハシムは難なくそれを受け止めたが、その衝撃に小さく声を漏らした。
「おっと……。廊下を走ると危ないですよ、ニコル皇子、ノエル皇女も」
ハシムはぶつかってきた二人に向かって、優しく微笑みながら窘めた。
「えへへ……、ごめんなさい。でも、会えたのが嬉しくて……。本物ですよね……?」
少年が顔を上げて尋ねると、ハシムは「ええ、本物ですよ」と穏やかな声で答え、その頭を撫でる。少年は嬉しそうに破顔した。
その姿を見た少女が、少し気取った風に言い放つ。
「もう……、まったくニコルは子どもなんだから」
「ノエルだって、思いっきり抱きついてるじゃん!」
少年に反論され、少女は慌てて言い訳を並べた。
「うっ……。こ、これは、お兄様に怪我がないか確かめるためで……」
ハシムの足を触りながら弁明する少女に、少年がジト目を向ける。
「その割には、さっき思いっ切り抱きついてたよね?」
鋭いツッコミに少女がたじろぐと、ハシムが間に割って入った。
「お二人とも、その辺りで。ノエル様には心配をかけてしまいましたね」
ハシムが少女の頭も優しく撫でると、少女も「えへへ」と声を漏らして嬉しそうに微笑む。その様子を見て、少年は何か言いたげに口を尖らせたが、言葉を飲み込むことにしたようだった。
「改めて……、お久しぶりでございます。ニコル皇子、ノエル皇女」
二人から解放されたハシムは一歩下がると、自身の胸に手を当てて跪き、礼を尽くした。
「ふふ、ハシム。わたくし、少し見ない間に立派な淑女になったでしょ?」
ノエルは服の裾を掴んで優雅に一礼してみせると、その場でクルリと回った。その姿にハシムが「ええ、ご立派です」と頷く。
「淑女……、フッ」
ニコルが鼻で笑うと、ノエルは「ニコル!」と怒って殴る素振りを見せた。少年は慌ててハシムの背後に隠れる。
「はは、ニコル殿下もお元気そうで何よりです」
ハシムは微笑みながら立ち上がった。ニコルはその腕を掴んで見上げる。
「お兄様、また剣の稽古をつけてくれませんか? オズマの稽古は乱雑で……、もう二度と御免です……」
すがるようなニコルに、ハシムは苦笑いを浮かべながら答えた。
「是非に……、と言いたいところなのですが。今回は一時的な帰国なのです。この方を国賓としてご案内する役目がありまして」
ハシムが視線を向けると、釣られるようにして子供たちもソフィアを見つめた。
ずっと蚊帳の外だったソフィアは、急に注目を集めてハッとした後に頭を下げた。
「レークランド王国第三王女、ソフィアと申します……」
「そう……、あなたがレークランドの……」
ノエルはソフィアに近づくと、値値みするようにじっと覗き込んできた。困惑したソフィアが顔を上げて問いかける。
「な、何でしょうか……?」
「顔はまあまあね。優雅さはわたくしに劣るけれど」
悪びれずに言い放つノエルにソフィアが苦笑いを浮かべていると、すかさずハシムが口を開いた。
「ノエル様、失礼ですよ。まだまともに挨拶も交わしていないお方に対して、検分の真似事など。御父上に叱られますよ」
ハシムの鋭い指摘に、ノエルは言葉を詰まらせた。
「う……、それは……」
「やーい、怒られてやんの」
ニコルがすかさず茶々を入れる。煽られたノエルがムッとした瞬間、ハシムが満面の笑みをニコルに向けた。
「ニコル様も、ですよ?」
「うう……」
ぐうの音も出ないといった様子でニコルがうつむく。それを見たノエルが、ここぞとばかりに勝ち誇った嫌味な笑みを浮かべた。しかし、ハシムがその笑顔をそのままノエルに向けると、流石にこれ以上はまずいと察したのか、彼女も大人しく顔を伏せた。
うなだれる二人の背後に回ったハシムは、それぞれの肩に手を置いてソフィアの方を向かせた。
「さぁ、お二人ともご挨拶を」
ハシムの無言の圧力に負けたのか、顔を上げた二人がしぶしぶと、しかししっかりとした所作で挨拶を口にする。
「第一皇子ヴィクトルが長子、ニコル・フォン・アンダルシアと申します」
「さぁ、ノエル様も」とハシムに促され、ノエルが一歩前に出た。
「わたくしは、ノエル・フォン・アンダルシアと申しますわ。よろしくね、ソフィアさん」
服の裾を掴んで優雅に一礼したノエルに、ソフィアも丁寧に返す。
「こちらこそ、よろしくお願いします、ノエル様」
挨拶を終えた二人が背後のハシムを振り返ると、彼は小さく笑みを深めた。
「お見事でした。御父上に言いつけるのは止めておきましょう」
その言葉にホッと胸を撫で下ろした二人だったが、その刹那、背後から冷ややかな声が掛けられた。
「お前たち、何をしている」
声のした方に視線を向けると、そこには帝国の第一皇子ヴィクトルの姿があった。
「う……。父上……」
ヴィクトルの姿を見たニコルは、心底嫌そうな声を漏らす。ノエルも眉を顰めて黙り込んだ。
「お二人とも……。これ以上は……」
背後に控えていたメイドが、恐る恐るといった様子で子供たちに声をかける。
それで観念したのか、二人はメイドに促されるままハシムから離れていった。ハシムとソフィアは、そのどこか寂しげな後ろ姿を静かに見送るのだった。
「賑やかなお二人でしたね」
「ええ……。見ての通り双子で、普段はあのように明るい性格なのですが……。実のところ、我が兄ヴィクトルの命により、私との接触を禁止されておりまして……」
ハシムの告白に、ソフィアは困惑気味に聞き返した。
「家族の間で、なぜそのようなことを……?」
「申し訳ありません。これは我が家の問題になります。ソフィア様を巻き込むわけにはまいりません。どうかご容赦を……」
そう言って一線を引いたハシムに、ソフィアはそれ以上何も尋ねることができなかった。
「さぁ、参りましょう」
ハシムは気持ちを切り替えた様子で歩き出し、ソフィアはその背を追った。
沈んだ空気を変えようと、ソフィアは歩きながらハシムに声をかける。
「殿下がなぜ、私に子どものように接するのか、その理由が分かった気がします。あのお二方の影響ですね?」
そう問われたハシムは頬を掻き、苦笑いを浮かべた。
「はは……。気づかれてしまいましたか。ソフィア様と接していると、どうにもあのお二方の姿が思い浮かんでしまって……。一人の女性相手に失礼だとは分かっているのですが、どうにも……」
頭を掻きながら弁明するハシムに、ソフィアが微笑みを返す。
「いえ……。殿下の優しさの根源が分かった気がして、とても嬉しいです」
「そう……ですか? そう言っていただけるのはとてもありがたいのですが……」
まだどこか負い目を感じている様子のハシムに、ソフィアは一歩近づき、小声で囁いた。
「では……、私もお兄様と呼んでも良いでしょうか?」
そう囁かれたハシムは「それは……」と呟き、顔を上に向けてしばらく考え込んだ。
「そうですね……」
ハシムの返答を待ちながらソフィアが頬を染めていると、今度はハシムが距離を詰めて囁き返す。
「夫婦になるまでの間なら、良いかもしれませんね」
今度はソフィアがハシムを見つめたまま言い淀む番だった。
「そ、それは……」
「夫婦になれば、また呼び方も変わりますからね。それまでの間だけ、二人の時はその呼び方にいたしましょう。それともソフィア様は、《《夫婦》》になった後も、そうお呼びになりますか?」
ハシムにそう問いかけられ、ソフィアは「うう……」と声を漏らし、耳まで真っ赤に染めて黙り込んでしまった。
思わぬ反撃を食らったソフィアは、しばらく沈黙した後、「よ、よろしくお願いします……」と蚊の鳴くような小声で返し、ハシムから「お兄様」呼びの了承を取り付けるのだった。




