第47話 帝都の外れにて #2
天幕から出たソフィアがふと横を見ると、そこには槍を抱えたアンジェが胡座をかきながら寝息を立てていた。
「……っ!!」
そこにいるとは思わなかったソフィアは、危うく声を上げそうになる。しかし、自身の口を両手で塞いでなんとか抑え込んだ。
「どうされました?」
そう尋ねたキュリーに、ソフィアは指でアンジェを示す。すぐさま状況を理解したキュリーは頷き、ソフィアと共に静かにその場を去ろうとした。
「この近くに、夜遊びできるような場所はありませんよ、姫様」
しかし、去ろうとするソフィアとキュリーの背後から、目を閉じたままのアンジェが声を掛けてくる。
「気づかれてしまいましたね……」
ソフィアはそう言って肩を落とした。
「殿下の側でなくてよろしいのですか、アンジェさん?」
「殿下のことであれば、心配は不要です。これ以上ないというほど護衛が側にいますから。それに、殿下自身の危機察知能力は獣すらも超えますから、ご心配なく」
そう話すアンジェに、ソフィアは若干困惑気味に返した。
「そ、そうでしたか……」
「それでお二人はどちらへ? 用を足す場合でも側に……。殿下からそう命令を受けています。どこまでもお供しますよ。たとえレークランドに帰るとおっしゃったとしても」
アンジェの強い言葉に、ソフィアは慌てて言い繕う。
「そ、そこまでは……。ただの散歩を……」
「そうでしたか。では、お供を……」
アンジェがそう言って立ち上がると、ソフィアとキュリーは顔を見合わせ、仕方ないといった様子で互いに頷き合った。
アンジェを伴って宿営地の中を進む。人がいるとは思えないほどの静寂が辺りに広がる中、キュリーが口を開いた。
「アンジェさんは、いつ頃から殿下の側に?」
「そうですね……。あれは殿下が十二歳くらいの頃だったと思います。当時十五だったアタシは、中央大陸南方のとある都市国家で奴隷剣闘士をしていました。そこから、一応買い取るという形で、殿下の側仕えになったんです」
アンジェの話を聞いたキュリーは、驚きの声を漏らす。
「そ、そんなことが……」
「それからは、ライラに色々と礼儀作法を仕込まれたり……、地獄の……」
そう嘆くアンジェは、死んだ目で空を仰いだ。その姿にソフィアとキュリーは困惑しつつも、談笑しながら宿営地を歩いていく。
宿営地の端へと到達したソフィアに、背後からアンジェが声を掛けた。
「あー……、姫様。これ以上先へはちょっと……」
「そうですね……、流石に宿営地の外へは……」
「いえ……、なんと言いますか……。それもありますけど……」
言い窩み、要領を得ないアンジェの言葉にソフィアが困惑していると、キュリーが声を掛けた。
「姫様、あれを……」
キュリーが視線を向けた先には小高い丘があり、そこには一人の大男が立っていた。
「あのお方は……」
そう呟いたソフィアは、導かれるように丘を登っていく。その後ろでは、心配そうに見守るキュリーと、「やらかした」という思いから額を押さえてため息を吐くアンジェの姿があった。
「おや、起こしてしまいましたか?」
月を背に立つジダンが振り向くと、ソフィアは慌てて首を振った。
「い、いえ……。そのようなことは……」
「はは、そうでしたか。てっきり聞こえてしまったものと……」
ジダンはそう言うと、手に持つ槍の柄を地面に突いた。その時、ソフィアはジダンが手にしている槍を見て驚愕する。
先ほどアンジェの槍を見ていたソフィアにとって、それは槍と呼べるのか分からないほど、柄も穂先も倍近く太かった。
「そ、それも槍なのですか……?」
ソフィアは思わずそんな疑問を口にした。
「ええ、一応槍ではあります。流石にこの太さの槍を使うのは、自分だけでしょうが……。ですが、この槍のお陰で剛槍のジダンという異名で呼ばれることがあります。面映ゆくはありますが……」
ジダンはそう言うと、得意げな様子でその槍を慣れた手つきでクルクルと回した。
「剛槍……。昔、父上とティナが話していた記憶があります。今の帝国軍で最強は誰か、と。その中で、その異名は聞き及びました」
そう話すソフィアに、ジダンが頭を掻きながら答えた。
「はは……。お恥ずかしい限りですな。自分なんかより、オズマの方が強いと思いますが」
「オズマ殿下ですか……?」
そう聞き返したソフィアに、ジダンは「ええ」と頷いて話し始める。
「あやつも一応、剛剣の異名を持つ男です。斬馬刀……と言っても、あまり分からないと思いますが。大剣を担いで暴れる姿は、まさしく強者といった風貌で……」
上機嫌に話すジダンに「は、はぁ……」と、思わず声を漏らしてしまったソフィアは、ハッとして口を塞いだ。
「し、失礼しました……」
「はは、お気になさらず。どうにも自分は、若い世代と話すのは苦手なようで。子を持てば、まだマシだったのかもしれませんが……」
ジダンがそうぼやくと、ソフィアは尋ねた。
「お子様はいらっしゃらないのですか?」
「ええ……。母からは散々催促されましたが、わたしの子が幸せになることはないでしょう。ヒシャーム家で生まれた以上は……」
悲しげに言うジダンの姿を見て、ソフィアは思わず聞き返す。
「どうしてそこまで……。ヒシャーム家というのは……」
「ヒシャーム家に関して、自分の口からはなんとも……。ハシム殿下が実家のことを嫌っていることは、既にご存知の通りだと思いますが、そうなるのも仕方ない事情が一応あります。ですが、その先は……」
言葉を選びながら話すジダンを見て、しばらく考え込んだソフィアが口を開いた。
「実家の事情……。それはハシム殿下の母親に関わる事柄なのでしょうか?」
ソフィアの指摘に、ジダンは一瞬驚いた様子を見せるが、何も言い返さない。その沈黙を肯定と捉えたソフィアは続けて言った。
「なるほど……。殿下の御母上に関わる話が出ないということは……、既に……」
その指摘に、ジダンは沈黙を破った。
「ええ、お察しの通り、既に亡くなっています。ハシムを産むと同時に」
「そ、そうでしたか……」
半ば予想できた答えではあったが、ハシムに母親がいないという事実に、ソフィアは心を乱される。
「それならば……殿下は……」
何か言い掛けるソフィアに、ジダンが止めに入った。
「ソフィア様、それ以上は……。殿下が既に言ったかもしれませんが、これ以上は帝国や皇帝家の暗部にも関わる事柄です。酷なことを言いますが、ハシムの婚約者であっても、今の貴女には関わりのないこと……」
「ただの王女でいたいのであれば、これ以上の詮索は無用です。ハシムの内心を探りたい気持ちは分かります」
「ですがそれは、後戻りできないほどの業を背負う茨の道……。少なくとも今の貴女は、無垢な乙女でいるべきでしょう。ハシムの駒として消費されたくなければ、ですが……」
ジダンの話を聞いたソフィアは、小さく呟いた。
「駒……」
ソフィアはしばらく考え込んだが、答えは出なかった。
「姫様、これ以上の夜更かしは明日に響きます。それに、アンジェの心労にも悪そうですし」
ジダンの言葉にソフィアが振り返ると、アンジェが死んだ目でうわ言を呟いていた。ハシムとライラに怒られる未来を想像しているようだった。
流石に気の毒に思ったソフィアは、服の裾を掴んで一礼する。
「色々とありがとうございました、ジダン団長」
「いえ……、お役に立てたのであれば幸いです」
自身の胸に手を当ててそう返したジダンに、ソフィアはさらに尋ねた。
「最後に一つ、よろしいですか?」
「答えられることであれば……」
ジダンの言葉を聞き、ソフィアは意を決したように向き直ると口を開いた。
「殿下も、貴方方ヒシャーム家も。一体どこまでやるつもりですか?」
ソフィアの問い掛けに一瞬驚き、目を見開いたジダンだったが、前置きを挟みつつ言い放った。
「そうですね……。自分の立場からでは確実なことは言えませんが……。おそらく、どこまでも……でしょう」
ジダンの言葉にしばらく沈黙した後、ソフィアは俯きながら呟いた。
「そう……ですか……」
落ち込むソフィアを見て、ジダンはしばらく考え込んだ後に口を開いた。
「ソフィア様。これから先、我が国は否応なしに激動の時代に突入するでしょう。そしてそれは、貴女の国レークランドも同様です。慰めになるかは分かりませんが……殿下は、ハシムは、最善を尽くそうとするでしょう。そして、あいつには必ず守りたい者たちがいます。その中には確実に貴女がいる、そう私は考えます。ですのでどうか……、あの不器用な甥を最後まで信じてやってください」
そう言ってジダンが深々と頭を下げると、ソフィアは強く頷いた。
「はい、必ず」
ソフィアが去り、一人残ったジダンは月を見つめて呟いた。
「さて……、俺も覚悟を決めないとな……」
その後、キュリーと頭を抱えるアンジェを連れて天幕に戻ったソフィアは、拭いきれない不安が心を包み込む中、ただ夜明けを待つのだった。




