第45話 国境門にて
ハシムとソフィアを乗せた馬車列は、アンダルシア帝国とレークランド王国の国境門を目指して進んでいた。
先頭を進むアンジェとスレイの背後に、ハシムとソフィアを乗せた馬車が続く。
そこからさらに後ろには、帝国側の従者を乗せた馬車があった。
屋根にフウカを乗せたその馬車の中には、ライラ、カタリナ、ラル、シシリーの四人が同乗していた。
「いやぁ……。三月に訪れてからもう半年かぁ……」
ラルの対面に座るカタリナが外を見ながらそうぼやくと、「色々ありましたからね……」とラルが答えた。
「事件に次ぐ事件に、果ては戦争ですからね……」
ラルの隣に座るシシリーがそう言って嘆く。そんな中、ライラはカタリナの隣で静かに話を聞いていた。
「まぁでも……、しばらくは政争から離れられそうで、一安心かな?」
そう言ったカタリナに、「むしろ逆では?」とラルがツッコむ。
「帝国ほど、政争に塗れた国は無いと思いますが……?」
「うっ……、忘れかけてた……。たしかにそうだったわ……」
そう嘆いて額を抱えるカタリナに、シシリーが言葉を掛けた。
「でも、カタリナさんに政争はあまり関係ないのでは?」
「ぐっ……、それはそうかもしれないけど……」
言い淀むカタリナに、「たしかに、帝城の司書に政治は無縁ですね」とラルがトドメを刺す。
「ちょっと、そんな好き勝手に言わないでよ……。これでも一応、司書見習いの時から政治は得意分野なんだから!」
カタリナがそう言って声を張り上げると、「ですがその政治が、貴女の首を締め掛けた事をお忘れですか?」とライラが吐き捨てる。
「うっ……。その事は言わないでよ……、ライラ……」
「あれは貴女の自業自得です。反帝国主義などと……」
ライラがそう言い掛けたところで、「だからやめてって!黒歴史なんだから!」と、カタリナは慌てた様子で取り繕った。
「なんとなく聞いた事はありましたけど……、カタリナさんって……」
シシリーが隣のラルに小声でそう尋ねると、「はい……、なんというか……」とラルが言い淀む。
その後、ラルはさらに小声で返した。
「処刑されかける程の、過激な主張をしたそうです……」
「ちょっと!そこ!小声で話さない!」
カタリナはシシリーたちのやり取りを見て、思わずそうツッコむのだった。
「とにかく、此度の外遊で貴女の役割はありません。帝都で存分に本に塗れると良いでしょう……」
ライラがそう言ってカタリナを突き放すと、「そんな……、わたしにも出来る事の一つや二つ……」と言い掛ける。
しかしライラはそれを遮った。
「ありません」
とだけ返して黙らせる。
辛辣な対応をするライラに、ラルが尋ねた。
「本当に何も無いんですか?」
「ありません。そしてこれは、殿下からの命令です。カタリナ、貴女は帝都にて待機です」
「そしてラル、貴方も補佐として待機するようにと……、殿下が仰せです」
ライラの話を聞いたシシリーは、「殿下の名指し……」と呟く。
「殿下の名指しなら、仕方ないですよね……?」
ラルはそう言ってカタリナの顔色を伺う。するとカタリナは大きく息を吐いた。
「わかったよ……。それが役目……、なんでしょ?」
諦めた様子のカタリナに、「はい、殿下の命令は絶対です」とライラが返す。
馬車内でのそんなやり取りを知ってか知らずか、フウカは欠伸をしながら寝転ぶのだった。
それから数時間経った頃、一団は国境門へと到着した。簡易的な手続きを終えたハシム一行は、帝国側へと足を踏み入れる。
そしてしばらく馬車を進めたハシムの前に、帝国軍が立ちふさがった。
「うそでしょ……」
先頭にいたアンジェがそう声を漏らし、隣のスレイは信じられないものを見たように驚く。
その後、アンジェは後方に馬を走らせ、ハシムの馬車に横付けした。
「殿下……、その……。帝国から迎えの者が来ております……」
神妙な様子でそう話すアンジェに、「その様子……、また兄上か?」とハシムは問う。
「いえ……、なんと言いますか……。近くはあります……」
歯切れの悪い返答に、「分かった……、会おう」と言ったハシムは馬車を出た。
「殿下?」
ソフィアが心配そうな様子を見せると、「大丈夫です、ご心配なく」とハシムは言うのだった。
その後、馬車を降りたハシムはアンジェを伴い、列の先頭へと向かう。
そして列の先頭へとたどり着いたハシムは、馬に乗るある人物を見つけた。
「あ、あなたは……」
その者を見たハシムは思わず声を漏らす。その者はハシムを見ると、馬を降りてハシムの前に跪いた。
「お待ちしておりました、ハシム皇子殿下」
そう言った大男は顔を上げて、その褐色肌を見せると続けて言う。
「ジダン・ヒシャーム、只今参上仕りました」
「ジダン教官……。いや……、第三軍団長自ら迎えに来たのか……?」
跪くジダンを名乗る大男にハシムが思わずそう言うと、ジダンは応じた。
「フッ……、教官か……。そう呼びかけるという事は、士官学校時代の教訓を、今でも覚えているという事ですな」
そう言ったジダンは上機嫌な様子で、その長身を見せつけるかのように立ち上がる。
すると、アンジェは小声でボヤいた。
「こっちの気も知らないで……」
そう言ってハシムの後ろに隠れ続ける。
「ふふ、久しいなアンジェ。今でも槍の稽古は怠っていないだろうな?」
「ぐっ……、当然ですよ……。あなたには血反吐吐くほど鍛えられましたから……」
アンジェのその答えに、「はは、そうかそうか」と、上機嫌な様子をジダンが見せる。
「スレイも久しいな、殿下の近衛への配属を聞いた時、流石に驚いたが……。だがその様子だと、順調な様だな?」
「は、はい!教官の教えの賜物です!」
緊張した様子のスレイが声を張り上げて敬礼すると、ジダンもニヤリと笑った。
「しかしなぜ……、ジダン団長自ら此処へ……?」
「ふふ、簡単な話だ。送迎を任されたのだ、皇帝陛下の命でな」
ジダンの話を聞いたハシムは、「父上自ら……」と呟く。
「まぁ……、それだけ重要視しているということだ。レークランドとの同盟をな……」
「ですが……、護衛なら我が近衛だけでも……」
ハシムがジダンにそう尋ねると、「ああ、その辺りは当然お前達に任せる。我らはあくまで、帝都までの護衛だ」と返される。
「お前も知っているだろう?我が第三軍団は帝都への駐屯を禁じられている。第一と第二の役割を奪わない為にな」
「おぬし達が帝都内に入れば、そこからは他の軍団任せになる。そして、これが式典の計画書だ」
そう言ったジダンは、側に立つ部下から書類を受け取り、ハシムに差し出した。
「ジダン、これは?」
「帝都での歓迎式典の段取りとなります。ちゃんと覚えておくようにと、クラーク殿下からの言伝です」
その言葉に動揺したハシムは、「ま、まさか……、この計画書……。兄上が……?」と、思わず聞き返す。
「はい、クラーク殿下の創案です。そして、蔑ろにしない様に……、と皇帝陛下からのお言葉です」
しばらく沈黙したハシムは、「なんという事だ……、もっと静かな帰郷と思ったが……」と嘆く。
「はは、良いではありませんか。国賓の歓迎なのですから、多少は派手でないと」
ジダンはそう言って上機嫌に笑う。頭を抱えるハシムに、背後から声が掛かった。
「で、殿下、その御方は……?」
ソフィアはキュリーを伴い、背後からそう声を掛けた。
「ソフィア様、この者は……」
ハシムがそう言い掛ける前に、大きく一歩前に出たジダンが胸に手を当てて、頭を下げる。
「アンダルシア帝国軍第三軍団を率いている、ジダン・ヒシャームと申します。どうぞお見知りおきを……」
呆気に取られたソフィアはハッとすると、挨拶を返した。
「レークランド王国の第三王女、ソフィアと申します……。よ、よろしくお願いします……、ジダン団長」
そう言って差し出されたか細い手を、ジダンの無骨な手で握り返す。
握手を終えて背を伸ばしたジダンを見たソフィアは、「帝国の皆様は誰もがあの様に、背が高いのですか?」と、思わず聞いてしまう。
「い、いえ……。一部の者だけで、大した違いは無いかと……」
そうハシムが言うと、「それに、この者は血筋が特別ですから……」と、続けて言う。
「たしかに褐色の……」
ソフィアがそう言ってジダンを改めて見ると、ハシムと見比べるように視線を動かした。
「はは、お察しの通り、わたしもハシム殿下と同じ血族となります」
視線を見て察したジダンがそう言うと、「そ、そうなのですね……」とソフィアが返す。
「ハシム殿下は、我が姉の子……。つまり殿下と自分は、甥と叔父という関係です」
「そうなのですね……。殿下のご実家に関して、あまり聞いていなかったもので……」
「はは、そうでしたか。どうやら殿下はご実家の事が、相当お嫌いのようで……」
ジダンがそう皮肉めいた言葉を発すると、ハシムは「フッ」と笑い、口を開いた。
「ライラを監視役の様に送り込む者達など、好きになれるわけあるまい?そうだろう、ジダン?」
怒気を若干含んだ声色でそう話すハシムに、「はは, それは耳の痛い話ですな」とジダンは半笑いで答える。
複雑な関係を匂わせるハシムの姿に、ソフィアは一抹の不安を覚えるのだった。
「さて……、これ以上の長話は不要でしょう……。そろそろ、参りましょうか、殿下?」
そう言ったジダンに、「ライラに挨拶せぬのか?」とハシムが問う。
「はは、それこそ不要というもの。これ以上殿下の気持ちを逆なでする程、愚かではありませぬ故……」
ジダンはそう言って、わざとらしく一礼を返すと馬に乗った。
睨みつけるような視線を送ったハシムは、背を向けて馬車の元へと戻る。
「殿下……、その……」
何か言い掛けるソフィアに、「申し訳ありません、ソフィア様」と返すと、ハシムは続けて言った。
「我が実家の事に関して、これ以上の詮責は無用です。これ以上先は、わたくしの在り方そのものに関わる事柄」
「もし知りたいというのであれば、一生破棄できぬ血の誓いを立てる必要があります」
「申し訳ありませんが、ここは婚姻止まりにしておくのが無難でしょう……」
ハシムにそう言われ一線を引かれてしまったソフィアは、それ以上何も言えなかった。
心配そうに見つめるライラを横目に、ハシムはソフィアを先に馬車へ入れた後、改めて列の先頭へと振り向く。
ハシムはその視線の先に映るジダンの姿を見て、いずれ越えるべき壁だと認識していた。
そしてハシムはジダンという壁を、いずれ壊さなければいけない事を既に覚悟していた。




