第42話 招待状
帝国暦四九八年九月。
ハシムはソフィアを伴い、帝国で収穫された小麦の北方諸国への引き渡しを見届けるため、帝国とレークランドの国境門へと足を運んでいた。
国境門は両国が共同管理する場所となっており、門中央部に引かれた境界線を挟み込むようにして、両国の兵が見張っている。
そして今、その境界線を、小麦を積んだ馬車の一団が越えようとしていた。
「殿下、終わりましたよ」
カタリナがそう声を掛けてくると、ハシムが応じた。
「もう一度……今度はライラと確認しておけ。密航や密輸があっては困る」
「はぁ……分かりました。ですが、もう帝国と王国で二回も検疫、さらには北方諸国でも検疫……。さすがに、そこまで慎重にならなくても……」
そう嘆くカタリナに、ハシムは「国の信用に関わる問題だ、いいな?」と強い圧力を送る。
渋々といった表情をしたカタリナは、ライラを伴ってその場を去っていった。
「それにしても凄い馬車列ですね……。草原の向こうまで続いています」
ハシムの隣にいるソフィアがそう声を漏らすと、ハシムが答えた。
「そうですね。今日は約五十台……といったところでしょうか」
「ご、五十……。そんなにも……」
ハシムの言葉に思わず声を漏らしたソフィアは、続けて呟いた。
「しかし、どうしてまたこんなにも……」
「本来であれば、収穫が終わってからすぐに送られるのですが……。先月まで戦争で情勢が不安定でしたから、発送が遅れてしまったのです」
ソフィアはハシムの言葉に、肩を落とし言葉を詰まらせる。
「そう……でしたか……」
「そのように落ち込まれなくても大丈夫です、ソフィア様。結果的に戦争は終わり、小麦を届ける見通しは立ったのですから」
ソフィアはハシムのその言葉に、複雑そうな表情を浮かべた。
「たしかにそうかも知れませんが……」
そう返すと、続けて言葉を紡ぐ。
「もし、今も戦争が続いていたら……そう考えてしまって……」
「そうですね。今も戦争が続いていれば、それは二カ国だけの問題では収まらなかったでしょう。特に帝国の小麦は北方諸国にとって、その年に出る餓死者を数万人単位で減らすことのできる、まさに生命線です。もし他国の戦争で小麦の輸入が滞れば、北方諸国は軍を送ることを検討するでしょう」
ハシムの話に、ソフィアは驚きを隠せない様子で問い返した。
「そ、それほどのことなのですか……?」
「ええ。非情な判断にも思えますが、自国と関係のない戦争のせいで、自国民から餓死者を出すなど許容できる君主はいません。自国から餓死者を出すくらいなら、戦争で敵国の人間を殺してでも食料を確保する……そういった判断をする君主はいくらでもいます」
「そしてそれは、我が帝国も同様です。同盟国である北方諸国が危機であれば、軍を送ってでも救済しようとするでしょう。たとえそれが、レークランドとの戦争を意味するとしても……」
ハシムの話を聞いたソフィアは、言葉を失い俯いてしまった。
そんな彼女に、ハシムが優しく声を掛けると、ソフィアは顔を上げた。
「どうかご安心ください、ソフィア様。先ほどのは最悪の場合の話です。ベイザル王は賢明な御方、帝国や北方諸国とも良好な関係を築いておられます。さらに、わたくしとソフィア様の婚姻同盟が成れば、北方地域の安定は確実でしょう」
「ウェルシュが敗北した今、北方地域を脅かす敵は存在しません。ですから……どうかこの手を取り、わたくしと永遠の平和を実現してみませんか?」
ハシムがそっと手を差し出す。
「はい!」
強く頷いて答えたソフィアは、そのしっかりと手を取るのだった。
「いやぁ……お二人さん。いつもながらお熱いですなぁ」
そう茶化しながら声を掛けてきたのは、北方諸国の傭兵隊長であるゼインだった。
「なんだ、来ていたのか」
「そりゃあ来るだろ? これは俺たちの生命線だからな」
盗み聞きを匂わせるゼインに、ハシムは呆れながら問い詰める。
「いつから聞いていた……」
「さてな? 最初からかもしれないし、実は聞いてないかも……?」
とぼけるゼインに、ハシムは「お前は相変わらず……」と言いながら拳を合わせる。
ソフィアがそんな二人の親密な様子に羨ましそうな視線を送っていると、ハシムへ声が掛けられた。
「あ、殿下! ちょっといいですか?」
アンジェがそう言いながら、帝国側から駆け足で近寄ってくる。
「どうした? 密航者でもいたか?」
「い、いえ。そうではなく……」
アンジェはハシムに近づき、そっと耳打ちした。
「実は、帝国側の責任者が殿下に会いたいと……」
耳打ちされた言葉に、ハシムが「それは……」と声を漏らして考え込むよりも先に、豪快な大声が門全体に響き渡った。
「よう!! ハシム!! 元気してるか!?」
その大声に、ハシムをはじめとする全員の視線が集まり、王国側の衛兵すらもそちらを振り向いた。
「あ、兄上……」
ハシムがそう呟き視線を向けた先には、背に逆光を浴びて立つ、一人の大柄な男の姿があった。
「兄……。なるほど……。あれが、剛剣のオズマ……」
ゼインは大男を見て思わず声を漏らす。その一方で、ソフィアはまだ状況があまりピンと来ていない様子だった。
「ちょっと! せっかく殿下の許可を貰いに来たのに、それより先に声を掛けちゃダメでしょ……!」
「そんな細かいこと、どうでもいいではないか、アンジェ。弟に会うのに、いちいち許可がいるのか?」」
大男はそう言いながら前に進み出ると、境界線の手前で足を止めた。
「フッ……ちゃんと元気そうで良かったよ、ハシム」
「ええ。兄上こそ、無駄に元気が有り余っているようで……」
「まあたしかに、最近は戦争もないしなぁ。だから戦場を駆け巡れたお前が羨ましいよ」
「不謹慎ですよ、兄上。ここには王族の方もいらっしゃるのですから……」
ハシムの言葉に、大男は「おっと、そうだった。すまんすまん」と返し、ソフィアへと改めて向き直った。
「初めまして、王女殿下。アンダルシア帝国第二皇子オズマと申します」
大男のオズマがその巨体で跪く様子を見て、呆気にとられていたソフィアだったが、ハッと我に返って口を開いた。
「は、初めまして……レークランド王国第三王女のソフィアと申します……」
若干の困惑を残しつつもソフィアの挨拶を受け、オズマが立ち上がる。
しかし、立ち上がったオズマの圧倒的な体格を前に、ソフィアは思わず少し後ずさりしてしまった。
「兄上……あまり脅かさないでいただきたい。ソフィア様が怖がっています」
ハシムの言葉に、オズマは白い歯を見せて笑う。
「そうか? 結構愛嬌のある顔だと言われるがな」
「その顔が……ですか……?」
そう呟いたハシムは、改めて兄の顔を見つめる。
古傷の多い厳ついその顔立ちは、まさに歴戦の戦士といった風貌そのものだった。
「まあとにかく、これからもよろしく頼むよ、弟のことを」
そう言いながら、オズマは大きな手を差し出してソフィアに握手を求める。
「は、はい……。こちらこそよろしくお願いします……」
ソフィアはおずおずと、オズマの大きくて無骨な手を握り返した。
「はは、なんというか。境界線上での握手なんて変な感じですなぁ」
オズマが愉快そうに言うと、ソフィアは言葉を選びながら応じた。
「そ、そうですね……」
「兄上、もういいでしょう。そんな風に手を握られていると、本当に握り潰されてしまいそうで……」
ハシムの言葉に、ソフィアは思わずパッと手を離した。
「はは、酷えこと言いやがる。もしかして嫉妬させちまったか?」
オズマが楽しげに茶化す。
「わたしは純粋に心配しているだけです」
ハシムが真面目な顔で返すと、オズマは「はは、そうかそうか」と上機嫌な様子でハシムの肩を叩いた。
「それでハシム、その後ろの者は?」
オズマが視線を向けた先にはゼインがいた。その視線に気づいたハシムは「ああ、紹介する」と言ってゼインを手招いた。
「北方諸国から来た、傭兵隊長のゼインだ」
「初めまして、オズマ殿下。北方諸国にて傭兵を率いているゼインと申します」
ゼインが綺麗な一礼をすると、オズマも一礼を返し、手を差し出した。
「ああ、よろしく頼む」
「なるほど、北方諸国の人間だったか。今回は色々と手間を掛けさせるな。本来であれば、我ら帝国軍が責任を持って届けるのが筋なのだが……」
「いえ、お気になさらず。今は北方紛争時代ほど不安定というわけではありませんから。外交問題になってまで、帝国軍に手間を掛けさせるわけにはいきません。今後も持ちつ持たれつの関係でいたいと、皆思っております」
ゼインの話を聞いたオズマは、しみじみと頷いた。
「なるほど……北方諸国の方はそのように思われているのですな。その言葉、この胸に深く刻み込んでおきます」
握手を終えたオズマは、胸に手を当てながら真摯に応じるのだった。
「それで兄上は、一体どのようなご用件で? 国境門に自ら赴くなど……。まさか、祝宴に出たいなどと言い出すわけではないですよね?」
「はは、それも良いかもしれんな。だが、俺が祝宴に出ると国庫も酒蔵も空にしちまうから、今回は遠慮しとぜ」
オズマはそう言いながら、胸元から手紙を取り出した。
「これは、父上からお前宛てだ、ハシム」
差し出された手紙をハシムが受け取ると、オズマは続いてもう一通の手紙を取り出し、ソフィアへと差し出した。
「こ、これは……?」
「貴女宛ての、帝国からの正式な招待状です、ソフィア王女。我が帝国に貴女を招待したい……そう、皇帝陛下が仰せです」
オズマは自身の胸に手を当て、厳かに頭を下げるのだった。
その招待状は、ソフィアの数ヶ月に及ぶ帝国探訪の始まりであり、彼女にとって初めての外遊への誘いでもあった。




