第41話 隣国の王子 #3
ウェルシュ王国の第三王子、ダミアンの突然の来訪によって生まれた重々しい空気は、一転していた。
その夜に開かれた歓迎の宴席は、終始和やかな空気に包まれている。
前向きな結果で終わった和平交渉と、元々厭戦派閥で構成されていたダミアン王子の外交団の影響によるものだった。
それにより、未だ正式な戦争状態であるにもかかわらず、両国の人間は険悪な様子を見せることなく会話を弾ませていた。
テオドールはそんな光景を、眉をひそめて不愉快そうに眺めていた。
「て、テオドール王子……。ご、ご機嫌はいかがでしょうか……?」
たどたどしい様子で声をかけてきたのは、エンベルト大臣だった。
「大臣? 何用だ?」
露骨に不機嫌そうな声色でそう話すテオドールに、エンベルトは恐る恐る顔色をうかがう。
「い、いえ……。用というほどのことではないのですが……」
そんなエンベルトの姿を見たテオドールは、ため息をついて口を開いた。
「はぁ……、大臣。どうせ父上に気にかけておけとでも言われ、何も考えずに来たのであろう?」
「そ、そのようなことは……」
エンベルトは大げさな身振り手振りを交えて弁明する。その姿に苛立ちを募らせたテオドールは言った。
「いい加減、その中途半端な態度を改めよ、エンベルト大臣」
「そ、そんな! 中途半端などと……、わたくしはいつでもテオドール王子の味方です!」
そう話すエンベルトの態度に、疑問を覚えたテオドールが聞き返す。
「本当にそうなのか?」
「も、もちろんです……」
エンベルトがそう答えると、テオドールはさらに視線を鋭くした。
「ならば、帝国の味方をするようなことはないのだな?」
「て、帝国の味方など……、あ、ありえませぬ!」
「そうか。ならば、あの光景についてお前はどう思う?」
テオドールが視線を向けた先にはハシムがおり、大勢に囲まれて談笑していた。その姿を見たエンベルトが尋ねる。
「ハシム殿下ですか……?」
「ああ。ヤツがこの国に来た時、歓迎する者は少なかった。だが今では、かつてウェルシュになびいていた者たちすら取り込んで、一大勢力を築いている」
「ヤツがいる限り、この国の分断は加速するであろう。やはり、そうなる前に……」
そう言いかけるテオドールを遮り、エンベルトが声を張り上げた。
「そ、それはなりませぬ!」
エンベルトが声を張り上げるのは珍しいことで、テオドールは一瞬驚く。
「し、失礼しました、王子……。ですが、それだけはなりませぬ……。少なくとも、ベイザル王陛下がご存命の間は……」
引き止めるようなエンベルトの言葉に、テオドールは驚きながら言った。
「大臣……、お前がそこまで言うとは思わなかったぞ……」
「きょ、恐縮です……」
エンベルトは小さく縮こまる。
「そ、それで……王子。先ほどの話は……」
「ああ、分かっている。一時の気の迷いだ。気にするな」
テオドールに若干の疑念と心配を向けつつ、エンベルトはその場を去るのだった。
その後、ダミアン王子の歓迎の宴席は終わりを迎えていた。そんな中、ハシムは大広間の二階で夜風に当たっていた。
「失礼します、ハシム殿下」
夜風を浴びるハシムに、ライラが声をかける。
「どうした」
「ダミアン王子が、殿下にお会いになりたいと……」
ライラにそう言われたハシムは、しばらく考え込んでから「分かった、会おう」と返した。
その後、ライラの案内を受けたダミアンは、見覚えのある男を連れてハシムの前に現れる。
「どうかされましたか? 主賓がこのような場所に……」
「いえ、大したことでは……。ただ、夜風に当たりたくなりまして」
そう言ったダミアンに、ハシムは「そうでしたか」と答え、横に退いて彼を招き入れる。
ハシムの好意に会釈を返したダミアンは、その隣に並び立った。しばらくの間、静寂が辺りを支配する中、ダミアンが先に口を開く。
「どこで見ても、星の綺麗さは変わりないのですね」
「ええ。この空を見ていると、自分という存在がどれだけ小さいのかがよく分かります」
ハシムがそう返すと、ダミアンは向き直った。
「ハシム殿下とは、初めまして……ですね」
「ええ。ですが、ここ数日の間、盤面を挟んで向かい合っていたような気もします」
「ええ、わたくしも同じ気分ですよ」
ダミアンはそう返し、右手を差し出した。
「ウェルシュ王国第三王子のダミアンと申します。以後よろしくお願いします、ハシム皇子殿下」
ハシムも胸に手を当てて応じる。
「アンダルシア帝国第四皇子。ハシム・フォン・アンダルシアと申します。こちらこそ、よろしくお願いします、ダミアン王子殿下」
ハシムはそう答え、その手を握り返した。
それからしばらくの間、二人は談笑を交えつつ酒を飲んでいたが、ダミアンはハシムに向き直り、真剣な眼差しを向けた。
「あまり長話しても退屈でしょうから、本題へと行きましょう」
「ええ、そうですね」
ハシムも居住まいを正して向き直る。
「ですが、その前に人払いを……」
「その必要はありません」
ダミアンの言葉をハシムが遮る。
「ここにいるライラは我が腹心の部下。生きるも死ぬも一緒です」
ハシムの言葉を聞いたダミアンは目を閉じ、しばらく考えると「分かりました」と言い、本題を切り出した。
「まず最初に、レークランド側には伝えていませんでしたが……。今回の和平交渉をするにあたり、次代の王である我が兄ジェイクの許可は得ていません」
「それは……」
ハシムは思わず声を漏らす。
「完全なる越権行為です。帰国すれば、すぐにでも処罰されるでしょう……。ですが帰国後、わたくしは兄の元に帰るつもりはありません。反省を名目に我が領地に籠もり、内戦に備えます」
「ハシム殿下、わたくしの言いたいこと……お分かりになったでしょうか?」
黙ってダミアンの話を聞いたハシムは答えた。
「ええ、よく分かりました。第四皇子という立場では口約束でしかありませんが……。その時が来れば、帝国は貴方を支持します」
「ありがとうございます、ハシム殿下」
ダミアンが深く一礼する。しかし、ハシムは現実的な問いを投げかけた。
「ですが、内戦に加担する以上、見返りが必要です。大国である我が帝国に、利益のある提案はあるのでしょうか?」
ハシムが当然の疑問を呈すると、しばらく考え込んだダミアンが口を開く。
「ええ、そうですね。その疑問は当然のことだと思います。利益のない戦争など、無意味に等しい……。ですが、この提案であれば帝国の利益にも必ず繋がると確信しています」
「内戦を我が陣営の勝利で終わらせた暁には……。ウェルシュ王国は帝国の属領としての併合に同意いたします」
ハシムはその話を聞き、黙り込んで思考を巡らせた。
「なるほど……。それほどの覚悟がおありなのですね」
「はい。我が国は此度の戦争を受け、完全に寝たきりの病人と同じになりました」
「もはや立つこともままならず、ただ死を待つのみ……。それでも貴族をはじめとした者たちは病気として、国という名の体を蝕み続ける……」
「ならば、残る手立ては一つ。蝕まれた箇所を切除するのみ……!そして、残った綺麗な部分は、貴方方帝国に差し上げましょう」
そう話すダミアンに、ハシムは意を決したように言った。
「お気持ちは分かりました。その時が来れば、必ず兵を送ることを我が身命に懸けて誓います」
自身の胸に手を当てたハシムがそう告げると、ダミアンは安堵の表情を浮かべる。
「ありがとうございます、殿下……。さて、悪巧みが一通り終わったところで、我が手足を紹介させていただきたく」
気持ちを切り替えたダミアンがそう言うと、背後に立つ長身の男が前に出た。
「この者はディエゴと申します。殿下とはすでにお会いになっていますね」
「ああ……、例の誘拐犯の仲間か」
ハシムが不機嫌そうな声色で言うと、ディエゴは苦笑交じりに前に出た。
「どうも、お久しぶりです。いやぁ……。あの時は大変でしたねぇ。まさかあんな杜撰な誘拐作戦が成功するとは……」
他人事のように言うディエゴに、ダミアンが声を落とす。
「それに関しては、わたくしからも謝罪を……」
「ダミアン王子が頭を下げることではありません。その謝罪はソフィア様に向けてするべきものです。わたくし相手では……」
ハシムに正論を突きつけられ、ダミアンは言葉を詰まらせる。
「ええ、そうですね。いずれ機会があれば必ず……」
「そうですよ、ちゃんと謝ってくださいよ、王子」
ディエゴの相変わらず他人事のような態度に、ダミアンは低く呟いた。
「貴様があの時、姫の側にいれば……」
「俺にそう言われても……。もし誘拐犯と一緒にいたら、ハシム殿下に斬られて、今頃あの世行きですよ……」
嘆くディエゴに「そうなればよかったのだ」と、ダミアンは辛辣な言葉を返す。
「失礼……、話が逸れたようで申し訳ない。改めて、このディエゴが連絡要員を務めることになります。どうぞ存分にこき使ってやってほしい」
ダミアンがそう言うと、ハシムも応じた。
「ならば、こちらも……」
ハシムがフウカを呼び出すと、彼女は頭上からふわりと降ってきた。
「もっと、まともな登場はできないのか……」
呆れながら言うハシムに、フウカはあくびを交えながら苦言を呈す。
「せっかく寝ようとしてたのに……。わたし暇じゃないんだけど……」
「まったく、この阿呆は……」
ハシムは呆れながらぼやいた。
「とにかくお前は、この男と帳尻を合わせておけ」
「ええ……、またオッサン……? もういいよ、飽きた」
そう嘆くフウカに、ハシムは脅すように言う。
「必要なら、もう一人オッサンを呼ぶぞ」
「はぁ……。分かったよ、ハシム」
観念した様子のフウカは、ディエゴに向き直った。
「ディエゴだっけ? 一応よろしく……」
「今度はガキのお守りなんて……、勘弁してくださいよ……」
ディエゴがダミアンに不満そうに耳打ちすると、すかさず一蹴される。
「黙って、やるべきことをやれ」
その後、ディエゴは意気消沈しながら、不本意そうな様子でフウカの手を握るのだった。
この日の会談は口約束でしかなかったものの、やがて大きな意味を持つことになる。
それはアンダルシア帝国だけでなく、ウェルシュ王国、レークランド王国などの大陸諸国の命運を左右することになるのだった。




