第38話 平和への道
祝勝の宴が開かれた夜、ウェルシュ軍への夜襲があったことすら知らぬまま王都は一夜を明かし、朝日が差し始めていた。
予想外の来訪者を迎えた王城では、朝から慌ただしく人が行き交っている。
一人の男が、衛兵に挟まれながら城内を進んでいた。途中通り抜けた大広間では、使用人たちが昨夜の宴の後片付けに追われている。
その光景を横目に廊下を進んだ男は、大きな扉の前で足を止められた。側についていた衛兵が目配せをすると、重厚な扉が開かれる。
謁見の間へと入った男は、敷かれた赤い絨毯の上を進み、玉座の前で跪いた。
「おぬしは、モーゼス……だったか?」
玉座に座るベイザル王がそう問いかける。モーゼスは頭を垂れたまま答えた。
「はい、陛下。ウェルシュ軍にて下士官をしております」
「単騎での乗り込み……。見事な覚悟であるが、一体何用だ?」
そう重ねて問われ、モーゼスは淡々と応じる。
「大したことではございません。エドワード王とカーチス王子の首を返還していただきたく」
その大胆な要求に、側に控えるマルセル将軍が声を張り上げた。
「何を言うか! あれは我々が苦労して手に入れた勝利の証! そう易々と手放せるわけなかろう!」
すかさずベイザル王が手を挙げ、将軍をいさめる。
「静まれ、将軍」
王は一呼吸置くと、静かに言葉を続けた。
「将軍の言うことにも一理ある。だが、自国の王が敵地で埋葬されるなど、納得できる者などおるまい。ワシが同じ目に遭ったとき、納得できる者がこの場におるか?」
ベイザル王が鋭い視線で見渡すと、謁見の間は水を打ったように静まり返った。
「よろしい。この沈黙が答えだ。殿下も、それでよろしいですかな?」
王に話を振られたハシムは、自身の胸に手を当てて応じる。
「はい、陛下。カーチス王子の半身は、すでに戦場にて埋められています。ならばもう一方は故郷に返すのが人の道理というものでしょう」
ハシムの言葉にベイザル王は深く頷き、玉座から立ち上がった。
「将軍、殿下もそう言っている。納得してくれるか?」
問われたマルセル将軍は、悔しさを滲ませながらも頭を下げる。
「……はい、陛下」
「そういうことだ、モーゼスよ。首は返還いたす。丁重に葬られるとよい」
王の寛大な処置に、モーゼスは深々と平伏した。
「ありがとうございます、陛下」
「モーゼスよ、単騎での帰還は難しかろう。それに、馬一頭で壺を二つも抱えての移動は負担になる。そこで、おぬしには馬車と護衛を付けたいのだが……」
言い掛けるベイザル王を遮るように、ワルター大使が声を上げた。
「それに関しては、こちらで承ります」
「大使……。そうか、おぬしがそう言うのであれば一任しよう」
ベイザル王が告げると、ワルター大使は恭しく一礼する。
「ありがとうございます、陛下」
その後、モーゼスはワルター大使と共に王城を後にした。衛兵に囲まれながら、二人は並んで廊下を歩いていく。
「いやぁ……助かりました、大使。この地に味方はいないものと思っていたので」
「どうかお気になさらず。わたくしも、本日中に首の返還をお願いしようと思っていたところでしたから」
声を潜めて会話を続けながら、ワルター大使がふと視線を向けた。
「ところで……モーゼス殿、でしたか?」
「はい、何でしょうか?」
「ここには本当にお一人で?」
「ええ、もちろん。ここには自分の意志で……」
「誰か、上官の了承は得ているのですか?」
その問い掛けに、モーゼスはしばらく沈黙した。やがて、探るような目で聞き返す。
「なぜ、そのようなことをお聞きに?」
「そうですね……。単騎で敵地に乗り込むのは、並大抵の勇気ではございません。ですが、もしあなた一人の判断だとしたら、それは英雄的な行いとして称賛されるべきでしょう……」
「しかし同時に、それは指揮系統を無視したということにもなります。失礼を承知で申し上げれば……。モーゼス殿には、そのような気概を持ち合わせているとは思えないのです……」
「さらには、下士官のあなただけを送り込むというのは、貴族軍の性質を考えるとあまり納得がいきません。今のあなたに上官はおられるのですか?」
ワルター大使に見透かされたような問いを投げかけられ、モーゼスは再び長い沈黙を挟んだ。そして観念したように口を開く。
「さすがは大使……。エドワード王が見込んだだけのことはありますな。お察しの通り、私の上官はほぼ戦死しました」
「なぜ、そのようなことに……」
ワルター大使は困惑の色を隠せない様子で問いかけた。
「実は昨夜、宿営地が正体不明の勢力に奇襲されましてね。結果だけ言えば、前線に出ていた将校はほぼ戦死。残った兵士も、おそらくはそれぞれ独自に敗走して、散り散りになっているでしょう」
「なんということだ……。王たちの死だけでも痛手だというのに……」
ワルター大使は額に手を当てて狼狽した。
「それで……、あなたは一体なぜ、王都まで単騎で?」
「いやぁ……何と言いますか。これがまた、成り行きでして……」
モーゼスは苦笑を浮かべながら語り始める。
「実は奇襲を受けた後、慌てて馬に乗って出立したのですが、自分は極度の方向音痴なもので。間違えて王都ケルンへの道を進んでしまいましてね。それで、一か八かの賭けとして首の返還を要求したというわけです。もちろん、失敗したときは大人しく捕虜になるつもりでしたが……」
「なるほど……。そういった設定にされているのですね」
ワルター大使の鋭い指摘に、モーゼスはしばらく沈黙を落とした。
「あー……何と言いますか、大使……」
言い淀みながらも、周囲を警戒するように言葉を続ける。
「それ以上は、人のいないところで……」
「ええ……そうですね」
ワルター大使はそれ以上追及せず、短く応じた。
その後、衛兵に不審がられながらも出立の準備を整えた二人は、無事に王都を出発した。
街道を進む馬車の中で、モーゼスとワルター大使は会話の続きを始める。
「それで、ワルター大使。先ほどの続きですが……」
モーゼスが切り出す。
「本気なのですか?」
「ええ。これから先、我が国ウェルシュには、否応なしに争乱が訪れるでしょう。その際、国を背負って立つ御方は二人しかおられない。そして、あなたを仕込んだであろうハシム皇子は、第三王子のダミアン様を味方に選ぶはず……。そうなれば帝国庇護下のダミアン様に取り入るが得策かと……」
ワルター大使はそこで言葉を切ると、モーゼスを正面から見据えた。
「それで、あなたはどちらに?」
「そうですね……。土地無しの三男坊である自分には、どんどん荷が重い話になってきていまして、どうするべきかまでは……」
「今はそれで良いでしょう。帰国後のあなたには、相応の報酬と地位がもたらされるはずです。高い地位にあれば、後から自由に選ぶこともできましょう」
モーゼスはワルター大使の横顔を見つめ、しばらく考え込んでから重い口を開いた。
「正直に言いますと、家族が不自由なく暮らせる平穏があれば、それだけで良いと思っていました。ですが、国が滅んでしまっては、弱小貴族であっても以前のような暮らしはできなくなる。だからこそ、駒になる道を選びましたが……。大使は、この道が正しかったと思いますか?」
その問いに、ワルター大使はしばらく考えに沈んだ。
「正直に言えば……わかりません……。今、歩んでいる道が正しいのかは誰にも分かりません。帝国の皇子とダミアン王子の目指すものがたとえ同じであっても、同じ道を歩んでいるとは限らないのです。道が枝分かれしているかもしれませんし、歩く速度も同じではないでしょう」
「ですがそんな中でも、歩みを止めてはいけないと私は思うのです。平和へと続く道は無数にあり、それは人によって違います。モーゼス殿が選んだ駒の道も、平和へと続いているはずです。あなたがそれを目指し続ける限りは……」
ワルター大使の言葉を噛み締めるように、モーゼスは小さく息を吐いた。
「なるほど……。腑に落ちました。ただ、進むしか無いのですね」
「ええ。同じ道を歩んでいると信じ、互いに駒として存分に足掻くとしましょう」
ワルター大使の言葉に、モーゼスも深く頷き返す。
こうして、互いに駒として生きることを決めた二人は、先の見えない道をただ進み続けるのだった。




