第36話 開放者
宿営地に敵が入り込んでいるとも知らない兵士たちは、通りを進む変装したハシムに疑問すら覚えず、談笑に明け暮れていた 。
「どいつもこいつも、緊張感が無いね」
ハシムに連れられて歩くフウカが、呆れたように呟く 。
「それに関しては、お前も大概だがな」
ハシムがすかさずツッコミを入れた 。
「だが、まあ……。緊張感が欠如しているという点については、俺も同感だ。いくら夜襲の可能性が低いとはいえ、王族が二人も討ち取られた敗戦の直後だ。ここまで緊張感が無いのは、一周回って病気だな」
「あの王様、そんなに信頼無いの?」
フウカの問いに、ハシムは「そうだな……」と少し考え込んでから口を開いた 。
「エドワード王は権力者から見れば賢王だが、現場の兵士から見れば、他の貴族と変わらず傲慢に見えるのだろう。そもそもこの戦争自体、賛同している兵士の方が少ないはずだ。それに、始まった原因が王子のワガママの結果というのも拍車を掛けているな」
そんな会話を交わしながら進むハシムたちの耳に、周囲の兵士たちの、王族の死すら喜ぶような声が届く 。
「あの兵士たちは、次の王がすぐに後を継げば、すぐに元の日常に戻れると考えているのだろう。だが、そうはならない。第二王子は政治経験が浅く、第三王子は明らかに何か策謀を巡らせている。そんな両者が対立するのは時間の問題だ」
「そうなれば、親兄弟に分かれての内戦となる。自国が戦争に負け、そこからさらに内戦に突入するなんて、奴らは考えてもいないのだろうな。無辜な民に罪は無いが、流石に軍人である以上、それくらいは見通して欲しいものだが……」
ため息をつくハシムに、フウカが尋ねた 。
「つまり、何が言いたいの? 助けたいの?」
「いや?」
ハシムは即座に否定した 。
「俺が助けたいのは、何も知らず何の罪も無い無辜な民だ。何も知らないということは、何も出来ないのと同義だからな」
「だが奴ら軍人は、どんな理由であれ国への奉仕を選んだ体制側の者たちだ。無辜ではない。どんな理由で戦争が始まろうが、祖国への忠誠は軍人に求められる絶対条件だ」
「それなのに奴らは、祖国が敗戦してもなお、いつもの日常に戻れると思っている。それこそが罪だ」
「そして、その罪の清算は無辜の民に降り掛かり、巡り巡って自分の家族に降りかかる。そこで奴らはようやく気づくのだ、自身の罪の重さに……。やはり、ウェルシュにはレークランドよりも先に滅んでもらわなければな」
大げさな身振り手振りを交えながら長々と熱弁するハシムに、フウカは冷ややかに声をかけた 。
「終わった?」
「ああ、満足した。どうにも私は、語り始めると演劇じみてしまうようだ。脚本を手掛ける弊害かな?」
わざとらしく嘆いてみせるハシムに、フウカが容赦なく言い放つ 。
「ハシムの作る舞台ってつまらなそう」
「ふっ……。まあ、無知なお前には分からないさ」
フウカは不満げな表情を浮かべると、無言でハシムに蹴りを入れた 。
その頃、宿営地の西端に一人の男が姿を現した 。彼の視界の端には、誘拐された民が乗せられた鉄格子の馬車や、同様に略奪品が保管された馬車が並んでいる 。
「よぉ、元気してるか?」
見張りに声を掛けたのは、整った髭を蓄えた、身なりの良さそうな男だった 。
「お、お疲れ様です!」
相手が士官だと気づいた見張りは、慌ててその場で敬礼する 。
「そう固くなるな、俺はただの下士官だ」
「で、ですが……」
身を硬くする見張りに、男は気楽に言葉を返した 。
「気にするな、下士官なんてお前たちと大差無い。俺も上官の奴隷としてこき使われるだけだしな」
やる気のなさそうな男は、そう言いながら大きな欠伸を噛み殺す 。見張りはその様子に困惑しつつも、気になっていたことを尋ねた 。
「あ、あの……。将校は全員、中央の天幕に召集されたと聞きましたが……」
恐る恐る尋ねる見張りに、男は「ああ、俺か……」と呟き、ぽつりぽつりと話し始めた 。
「下士官の俺があの場にいても、天井か壁のシミ程度の扱いしかされないしなぁ。だからまぁ、ちょっとションベンを理由にな……」
見張りは「はぁ……」と呆れたように相槌を打つ 。男はそんな視線を気にする様子もなく、再び欠伸をした 。
その時、背後の夜空へ一本の火矢が天高く舞い上がった 。
欠伸をしながら振り返った男が、他人事のようにぼやく 。
「あらら? あれはなにかの合図かな?」
宿営地にいる誰もが、夜空に軌跡を描く火矢を見上げていた 。それが開戦の合図とも知らずに 。
同じ時、宿営地西の山林からも、その火矢を見つめる者たちがいた 。
山林に潜み、近衛師団を指揮していたスレイが静かに呟く 。
「よし、合図だ」
スレイが松明に火を灯すと、それを皮切りに辺り一帯へ無数の光の点が広がっていく 。その光景を確認し、スレイは力強く号令を掛けた 。
「よし、存分に動いて叫べ!」
直後、山を揺るがすほどの雄叫びが響き渡った 。
宿営地にいた兵士たちは一様に身を震わせ、声のした方へと一斉に目を向ける 。そこには、激しく動き回る無数の松明の光が広がっていた 。
「な、あ、あれは!」
先ほどの見張りが驚愕の声を上げる 。数瞬の硬直の後、けたたましい警鐘の音が宿営地全体に鳴り響いた 。
警鐘の音とともにウェルシュ兵たちが慌ただしく動き始めるが、それと同時に近づきつつある激しい蹄の音に気づく者は誰もいなかった――。一人を除いて 。
――警鐘が鳴らされる少し前。中央の天幕では、将校たちが勢揃いして会議を行っていた 。
「さて……、我々はこれからどうするべきか……」
長机を囲む将校の一人が重苦しく提言する 。しかし、その言葉に続く者はなく、重苦しい沈黙が場を支配した 。
「誰でも良い、とにかく進言しろ!」
張り詰めた空気に耐えかねた別の将校が、苛立ちを隠さずに発言を促す 。
「で、では……、私から……」
一人の将校がおずおずと前置きを挟み、意見を述べ始めた 。
「やはり……、撤退するべきではないでしょうか……?」
「このまま、何もせずに撤退などあり得ぬ!」
その消極的な意見に対し、即座に反論が飛ぶ 。数名が同意するように頷き、次々と声を上げた 。
「ですが、我々はすでに旗印を失っています。エドワード王もカーチス王子も戦死なされ、ヘルマン将軍すら失ってしまった。この状況において、我々は誰を担いで戦争を継続するというのですか?」
その辛辣な問いに、誰もが再び沈黙して俯く 。そんな中、上座に静かに座っていた老年の高級将校が、ゆっくりと口を開いた 。
「もうよい……。一応聞いてはいたが、これ以上レークランドとの戦争を本気で望んでいる者など、ここにはおるまい。ワシも開戦を主張した一人だ」
「だが、その結果がエドワード王、カーチス王子、そしてヘルマン将軍の戦死だ。開戦を主導した者として、ワシも責任を取らねばならぬ」
「帰国後、ワシがすべての責を引き受けよう。だからどうか、この後も我らが祖国を頼むぞ、お前たち……」
老人将校が静かに語りかけると、将校たちは誰もが言葉を失い、ただ俯いた 。そこへ、一人の兵士が天幕の中へと足を踏み入れてくる 。
「いやはや……、素晴らしい覚悟ですね」
入ってきた兵士は、皮肉交じりに拍手をしながら天幕の奥へと進み出た 。
「だ、誰だ貴様! 衛兵、衛兵を呼べ!」
将校の一人が声を張り上げる 。しかし、外からは誰も駆けつける気配がない 。その異様な状況に、全員の視線が入ってきた兵士へと集中し、中には剣に触れる者も居る 。
「素晴らしい演説でした。ですが、その覚悟を示すには遅すぎましたね。エドワード王をはじめ、皆様、すでに先に逝かれましたよ?」
そう言いながら兵士が兜を脱ぎ捨てる 。現れたその顔を見て、誰かが息を呑んだ 。
「き、貴様は……」
「ば、馬鹿な……。何故、貴様がここにいる! 帝国の皇子!」
この場にいるはずのないハシムの登場に、将校全員が驚愕に目を見開く 。その瞬間、突如として天幕の布地が鋭く切り裂かれた 。
破れ目から一斉に侵入してきた兵士たちによって、狼狽する将校たちは次々と斬り伏せられ、絶命して床へと倒れ伏していった 。
わずか数分の惨殺劇の後、天幕のなかに生き残ったのは老年の高級将校ただ一人となっていた 。老人将校は俯いたまま膝に手を置き、その腕を激しく震わせている 。
「なんということだ……。目の前に仇がいるというのに、足が言うことを聞かぬ……。これは、衰えか、あるいは恐怖か……。おぬしはどう思う? ハシム皇子殿下」
顔を上げた老人将校の目の前には、冷徹な眼差しで見下ろすハシムが立っていた 。
「貴方のことは記憶しています。腐ったウェルシュの中でも、比較的まともな貴族だと。王と王子亡き後、貴方かヘルマン将軍を窓口にすれば、戦後交渉も円滑に進むでしょう。……だが、そうなっては私が困るのです」
「……ウェルシュには、これから先も混乱してもらわなければならない、と?」
「ええ、そうです。因果は常に巡ります。国の腐敗を見続けながら座視した貴方にも、因果が巡ってきた……。つまりはそういうことです」
ハシムの言葉を静かに受け止め、老人将校は再び俯きながら、ぽつりぽつりと語り始めた 。
「そうか……。エドワード王の進める改革に、賛同しようと考えたこともあった。だが、積み重なった歴史が呪いのように巻き付き、正しい判断が出来なかったのだ。あの時、エドワード王の改革に賛同していれば……この国は変わったと思うか? ハシム殿下」
老人将校からの問いかけに、ハシムはしばらく沈黙を守った後、静かに口を開いた 。
「歴史にもしもは厳禁です。ですが、歴史を変えようとする意志は、呪いと同様に必ず次の世代へと受け継がれるでしょう。そしてそれは、良い意味でも悪い意味でも影響を及ぼす、と私は考えます」
「そうか……。やはりワシらは、自らの意志で呪いを振りほどくべきだったか……」
老人将校はそう呟くと、再び顔を上げてハシムを見つめた 。
「ハシム殿下……、おぬしは我が国を蝕む、病気のような呪いを断ち切ってくれるか?」
「約束は出来かねますが」
ハシムは淡い前置きを挟んで答える 。
「我が帝国は、呪いも病気も跳ね飛ばす強国です。その強国に飲み込まれれば、呪いも病気も消えるか、あるいは別の形に変化するでしょう」
「そうですか……。殿下、貴方はそれらすべての責を背負う覚悟で、ここにおられるのですね」
「ええ、もちろん。私が生み出した憎悪、それらすべてを引き受け、共に地獄に堕ちる覚悟が私にはあります」
堂々と答えるハシムの姿に、老人将校は小さく呟いた 。
「そうですか……。ならば、これ以上言うことはありませんね」
覚悟を決めたように再び俯く老人将校に、ハシムが静かに言葉を添えた 。
「最後に、貴方の最初の問いですが……私には解りかねます。貴方の震えは、どのようにでも解釈する余地がある。そして、それを決めるのは貴方自身だ」
ハシムにそう告げられた老人将校は、しばらく考え込むように沈黙を保った後、穏やかに口を開いた 。
「そうですか……。ありがとうございます、殿下。震えも収まりました。死ぬというのに、誰も恨まず逝けるのは貴方のおかげです、殿下。エドワード王共々、先に煉獄にてお待ちしております……」
「ええ、ぜひ楽しみにしていてください。たくさんの土産話をお持ちしますよ」
ハシムは静かに剣を抜くと、一閃のもとにその首を切り飛ばした 。




