第35話 夜の狼たち
ロット平原の戦いと同じ日の夜。月明かりが照らす中、ハシムたちはウェルシュ軍への奇襲に向けて準備を進めていた。
近衛師団の一部の兵士は、すでにウェルシュ軍の装備に身を包んでいる。
「はぁ……。今頃王都では、酒も料理も食べ放題なんだろうなぁ……」
大きく息を吐いて嘆くアンジェに、スレイが声を潜めて呟いた。
「またそれですか……」
呆れるスレイは、さらに言葉を続ける。
「もう五回目ですよ」
そこへ、呆れ顔のヒューゴが割り込むように声を掛けてきた。
「なんで五回目だってわかるんだ?」
「またあんたか……」
「なあなあ、答えてくれよぉ。下らない話なら聞き流せばいいのに、なんで回数まで覚えてんだぁ?」
しつこく絡んでくるヒューゴを、スレイは冷ややかに一蹴する。
「今すぐ目の前から消えろ」
「はっ、つまんねえなぁ。もうちょっと言い返して来いよ」
ヒューゴはなおも挑発するが、スレイは完全に無視を決め込んだ。その様子を見て、ヒューゴはさらに言葉を重ねる。
「そうか……。何も言わないなら、俺の勝ちってことでいいんだな?」
「何故そうなる。沈黙が敗北などと、誰が決めた」
「おれ」
ヒューゴは小馬鹿にしたような笑みを浮かべて言い放った。
「そうか……。ならば、次は剣技で決着をつけるとしよう」
スレイはそう言いながら腰の剣に手を当て、そっと刃を覗かせる。
「おいおい……。そいつは話が違うじゃねえか」
「勝利条件を決めるのは己自身だと、さっき誰かが言っていた気がしたが?」
スレイの言葉に、ヒューゴはしばらく沈黙したものの、不敵に笑って応じた。
「フッ、たしかにそうだな……。いいぜ、戦いたいってなら、それに応じてやろうじゃねえか。何時ぞやのお茶会の時のように、無様に負けるといい」
「貴様が卑怯な手さえ使わなければ、あの時も負けてはいない!」
「はっ、砂かけくらいで卑怯とはな。戦場を経験してもまだ、あまちゃんなんだな」
「黙れ。その口を今すぐ塞いでやる……」
スレイとヒューゴは、互いの武器に手を掛けたまま激しく睨み合った。
「さっきから聞いていれば……。くだらぬ言い争いをするな、阿呆共」
冷徹な声が響き、ハシムが二人の間に割って入った。ハシムの後ろには、いつの間にか姿を消していたアンジェとフウカが静かに付き従っている。
「殿下……、この堅物に何か言ってやってくださいよぉ……」
ヒューゴはハシムに泣きつくが、容赦なく一蹴された。
「黙れ、ヒューゴ」
ハシムはさらにスレイに向き直る。
「スレイ、曲げられない信念があるのは分かるが、オッサンの明らかな冗談に一々反応するな」
「……はい、殿下。申し訳ありません……」
窘められたスレイが神妙に頭を下げると、アンジェが調子に乗って口を開いた。
「そうだそうだ! よく反省するように!」
「他人事のように言うな。阿呆共には、お前も含まれているからな、アンジェ」
ハシムに睨まれ、アンジェはがっくりと項垂れた。ハシムはその場の全員を見渡す。
「皆、よく聞け。今日起きたことは全て予定通りだ。我らの勝利も、敵の敗北も。そして、これから起こることもな」
全員の視線がハシムに集中する。ハシムは静かに言葉を続けた。
「今宵我らは、敵の宿営地に奇襲を仕掛け、略奪品と連れ去られた村人を解放する。それでようやく、この戦争の終わりだ。全員、手筈通りに動け。足手まといは不要だからな」
ハシムの言葉に、その場にいた者たちの目の色が変わった。張り詰めた空気が辺りを包み込む。
その様子に満足したように、ハシムは小さく呟いた。
「よろしい……。此度、我らの旗を掲げることは出来ぬが、お前たちも知っての通り、我らの旗印は痩せ狼だ。今宵、その旗印を体現するが如き活躍を皆に期待する。よいな」
全員が音もなく敬礼を返す。ハシムは深く頷いた。
「よろしい。では、存分に吠えるとしよう」
そう言い残し、ハシムは闇へと歩き出した。
ロット平原から遠く離れた場所に、ウェルシュ軍の宿営地があった。その宿営地から少し外れた森林では、松明を手にした歩哨の兵士たちが巡回していた。
「見張りなんて、つまんねぇなぁ……」
不真面目そうな兵士が大きな欠伸を噛み殺す。
「気持ちは分かるが、少しくらい緊張感を持てよ……」
隣を歩く真面目そうな兵士が呆れたように突っ込んだ。
「でもよぉ、あちらさんは王都に退いたんだろ? なら、夜襲なんて警戒しても意味ないじゃんか」
「それはそうかもだけどさ……」
「はぁ……。これからこの国、どうなるんだろうな?」
「さあな。それを今、お偉方が話し合っているんだろ? あの天幕でさ」
兵士がぼやくと、もう一人の兵士が小高い丘の上にある天幕を指差した。
「話し合いねぇ……。そんなことよりも、俺は今月の給料が心配だぁ。なぁ、死んだやつの分も貰えると思うか?」
「さあな。後で上官に聞いて来いよ」
「俺がかよ……」
二人の兵士がそんな世間話を交わしていると、突然、背後の暗闇から声が掛かった。
「随分と楽しそうな話をしているな。上官のわたしも混ぜてくれるか?」
その声に二人の兵士はびくりと身体を震わせ、恐怖で目を閉じた。その場で硬直しながら、必死に弁明する。
「さ、先程の話は、ただの軽い冗談でして……!」
しかし、しばらく待っても返答がない。恐る恐る目を開けた兵士は、視線の先に立つ人物の姿を見て呆然とした。
「お、お前……。その格好、上官じゃないだろ……」
「はは、バレたか」
暗闇から現れた兵士の格好をした男は、悪びれる様子もなく笑った。
「心臓が止まるかと思ったぞ……。この野郎、ふざけやがって!」
「悪い悪い。お前たちの会話が聞こえて、ついな」
「それにしても……、なんで暗闇から松明も無しに歩いてこられるんだ?」
真面目な兵士が不審そうに尋ねると、男は平然と答えた。
「いやなに、ションベンをちょっとな。明るいと恥ずかしいだろ? お前たちも、野郎のションベンなんて見たくないだろ?」
二人の兵士は顔を見合わせ、激しく首を横に振った。
「だろ?」
男がにやりと笑う。そんなやり取りの中、不真面目な兵士が男の後ろにある影に気づいた。
「なぁ……、その後ろにいるのは何だ?」
暗闇から現れた男の背後には、一人の少女が佇んでいた。
「ああ、コイツか……」
男は少女を振り返り、言葉を続ける。
「ションベンしてたら、偶然近くにいてな。おそらくこの辺の村のガキだろう。わざわざ返す義理も無いし、奴隷として連れ帰ろうと思ってな」
「はは、ゲスいねぇ……」
不真面目な兵士が下品に笑う。
「それでよ、コイツを届けようと思ったんだが、場所を忘れちまってな。奴隷はどこに置くんだっけか?」
「たしか宿営地の西側だったと思う。略奪品と一緒に固めてあるから、行けばすぐ分かるはずだ」
真面目な兵士が親切に教えると、男は満足そうに頷いた。
「そうか、あんがと」
「ほら、行くぞ」
男は少女を促し、その場を去ろうとする。しかし、不真面目な兵士がふと男の腕に目を留め、背後から声を掛けた。
「なぁあんた……、その左腕の布……。怪我でもしたのか?」
男は足を止め、ゆっくりと振り返りながら、自身の左腕の布に触れた。
「ああ、これは……」
男は低く、冷徹な声で呟く。
「同士って意味だ。帝国のな……」
その言葉の意味が理解できず、二人の兵士は呆然と口を開けた。
「な、何言って――」
次の瞬間、二人の兵士は背後に音もなく現れた別の影によって口を塞がれた。悲鳴を上げる間もなく、鋭い短剣が彼らの喉を深く切り裂いた。
「まったく……。声を掛けなきゃ見逃してやったのに……」
男がため息をつくと、隣の少女が冷ややかな視線を向けた。
「絶対、そんなつもり無かったよね、ハシム」
「おいおい、名前を出すなよ。俺たちは今、その名に恨みを持つ連中に囲まれているんだからな」
少女――フウカの指摘に、ハシムは苦笑交じりにツッコんだ。そこへ、闇の中から数人の兵士が音もなく近づいてくる。
「殿下……、いや、なんと呼べばいいのか……」
ウェルシュ軍に変装したヒューゴがぼやくと、ハシムは淡々と返した。
「名前さえ呼ばなければ、何でもいい」
「そうですか。なら大将で! よっ、大将!」
「おい……、それだとまるで……。はぁ、もういい……」
ハシムは何かを言い掛けたが、すぐに言葉を飲み込み、表情を引き締めた。
「とにかく、目立つな。……予想外にも、将校のいる天幕と、奴隷や略奪品の位置が判明した。これより、敵将校の排除と奪われた物の奪還を開始する。並行して、破壊工作も同時に行え。それぞれが成すべきを成せ……だ」
ハシムは自身の左腕を指し示す。
「あと、この目印を忘れるな。同士討ちなんて馬鹿な死に方はするなよ」
フウカを除いた全員が音もなく頷き、それぞれの持ち場へと散っていった。
ハシムは足元に倒れ伏す二人の兵士の死体を見下ろし、静かに呟いた。
「お前たちの上官には、俺からキツく言っておこう……。先で待っているといい……。いずれ追いつく」
そう言い残すと、ハシムとフウカは明かりの灯る敵の宿営地の中へと、音もなく消えていった。




