第34話 祝勝
ロット平原の戦いで圧勝を収めたレークランド軍は、夕暮れの王都へと帰還した。
一足早く勝利の知らせを聞いていた住民たちは、熱烈な歓迎で一行を出迎える。
その光景を目にした兵士たちは、誇らしげに笑みを浮かべ、自信に満ちあふれた様子で行軍していった。
王城では戦勝を祝う祭典が催されていた。正門の前には、祝いの品を届ける人々で行列ができている。
城下のいたるところに明かりが灯り、兵士たちは酒を酌み交わし、踊りに興じていた。
王城の正面には、勝利の報を聞きつけた国中の有力者を乗せた馬車が、ひっきりなしに訪れている。
そんな賑わいを、ライラはテラスから静かに見下ろしていた。夜風が彼女の美しい銀髪をなびかせる中、ある人物が背後から声をかける。
「綺麗だライラ……、結婚しよう……」
そう囁かれたライラは、小さくため息をついて目を閉じた。
「もしそれが殿下の真似でしたら、今すぐ止めてここから飛び降りてください」
すかさず、容赦のない辛辣な言葉を返す。
「なんで殿下とあんたは、私に対してそんなにも辛辣なのよ……」
そう不満を漏らしたのはカタリナだった。そんな彼女に、ライラは冷ややかに告げる。
「あなたが無能なのが悪いのですよ、カタリナ」
「む、無能って……。そこまで言わなくても……」
言い淀みながらも反論するカタリナに、ライラは鋭い視線を向けた。
「では――なぜここに居るのですか?」
その言葉に、カタリナの身体がびくりとすくむ。
「そ、それは……。王都で色々とやることがあって……」
言い訳がましく視線を泳がせるカタリナに、ライラはさらに追い打ちをかける。
「つまりは戦場で無能を晒し、厄介払いされたということですね」
的を射た指摘に、カタリナは「ぐっ……」と言葉を詰まらせて俯いた。
「はぁ……、まったく。だから言ったのです。軍師気取りはやめなさい、と」
呆れたようにため息をつくライラに、カタリナは返す言葉もなく、ただうなだれるばかりだった。
「ですが……、あなたが無事でいてくれたこと。それ自体は、とても嬉しいですよ。カタリナ」
その言葉に、カタリナが驚いたように顔を上げる。ライラはカタリナに向き直ると、柔らかな笑みを浮かべた。
「おかえりなさい」
その一言に、カタリナは思わずライラに抱きつき、年甲斐もなく涙を流すのだった。
「あなたに泣かれるのは想定外でしたが……。殿下がここにおられないということは、今宵……」
ライラが言葉を濁すと、カタリナは涙を拭って頷いた。
「うん……。予定通り今夜、ウェルシュ軍に奇襲を仕掛ける」
「そうですか……。どうやら順調のようですね」
「わたしも流石に『これ以上必要があるの?』って聞いたんだけどね。殿下が、この先も必要なことだ、って……」
「そうですか……。やはり殿下の見ている景色は、私たちとは違うのですね」
ライラの言葉を聞き、真実に一番近い場所にいるカタリナは、複雑そうな表情を浮かべるのだった。
そんな時、部屋の扉がノックされ、控えめな声が響いた。
「シシリーです、ライラメイド長」
「入りなさい、シシリー」
ライラが応じると、シシリーが静かに扉を開けて部屋に入ってきた。その様子を見て、ライラが問いかける。
「どうしたのですか?」
「実は……、その。会場が色々と忙しくなってしまい、人手が欲しいと……。もし、こちらもお忙しいのであれば、無理にとは言いませんが……」
遠慮がちに話すシシリーに、ライラはあっさりと頷いた。
「分かりました」
「よろしいのですか?」
「今宵、殿下は帰還されません。ならば、私は使用人としての勤めを果たすだけです」
「いいの?」
カタリナが尋ねると、ライラは小さく息をつく。
「ええ、構いません……。殿下のことばかり考えていては、病気になってしまいますから」
(すでに恋の病なのでは?)
内心でそう突っ込んだカタリナだったが、何かを察したようにライラが意味深な笑顔を向けてくる。その視線にすくみ上がったカタリナは、慌てて話をはぐらかした。
「さて……。私は、ラルに会って来ようかな……」
誤魔化すように、カタリナはそそくさと部屋を出て行くのだった。
同じ頃、祝勝の会場となった大広間では、大量の食事と酒が振る舞われ、大勢の者たちが踊りや談笑に興じていた。
かつてないほどの喧騒の中、ソフィアはある人物を探して人混みをかき分けていた。
「と、通ります……」
控えめな声で周囲に断りながら進んでいくと、人だかりの向こうにティナの姿を見つける。彼女の周囲には、マルセル将軍をはじめとする多くの軍人たちが集まっていた。
「ティナ姉様……」
大勢に囲まれていたティナだったが、ソフィアの気配に気づくと顔を輝かせた。
「ソフィア!」
その声に反応して軍人たちの輪が緩み、隙間ができる。ソフィアはその間を通り、ティナの前へと歩み寄った。
「どうしたの、ソフィア? そんなに息を切らして……」
人混みを抜けたソフィアは、ふぅと息を整えてから口を開いた。
「ハシム殿下を探しているのですが……」
「殿下? そういえば、姿を見ていない気が……」
「そう……ですか……」
落胆して俯くソフィアに、背後からテオドールが声をかけた。
「殿下なら前線に残られたぞ」
不意の言葉に、ソフィアが勢いよく振り返る。
「ほ、本当ですか……? 兄上……?」
「ああ。殿下が父上に懇願し、父上もそれを承認されたようだ」
「ど、どうして教えてくださらなかったのですか!」
ソフィアが口を開くより早く、ティナが大声でテオドールに詰め寄った。テオドールは冷淡な視線を妹に向ける。
「言えば、お前も前線に残って手伝う、などと言い始めるだろう?」
「当然です!!」
きっぱりと言い放つティナの強さを、ソフィアはどこか羨ましそうに見つめていた。
「はぁ……。だから言わなかったのだ。父上も同じお考えだ」
額に手を当てて呆れるテオドールに、ティナはなおも食い下がる。
「今からでも――」
「ならぬ! 我が儘もいい加減にしろ!」
テオドールの鋭い怒鳴り声が響き渡り、大広間の喧騒がピタリと止まった。周囲の注目が一斉に集まる。
「だから私は反対したのだ。戦場に王女が赴くなど前代未聞。その特例を『王の命令だから』と、誰もが自分に言い聞かせて我慢していたのだぞ!」
テオドールの容赦ない言葉に、ティナはしばらく沈黙した。やがて、震える小声で周囲の軍人たちに問いかける。
「……皆さん、迷惑していたのですか?」
「い、いえ……。わたくしはそんなには……」
マルセル将軍は慌てて擁護しようとしたが、その言葉がかえって仇となる。
「そんなには……? つまり、少なからず不満に思っていらしたのですね?」
「い、いえ! 滅相もない! 今のは言葉の綾というもので……!」
必死に弁明するマルセル将軍だったが、それに続く者は誰もいなかった。ティナの周囲にいた軍人たちは、テオドールの言葉を肯定するかのように、ただ重苦しい沈黙を貫いた。
「そう……ですか。よく分かりました」
ティナは寂しげに呟くと、毅然とした態度を取り繕った。
「これにて失礼いたします」
背を向け、歩き出す。そしてテオドールとすれ違う瞬間、彼女は近くを通りかかった使用人のトレイからグラスを奪い取り、その中身をテオドールに向けて勢いよく浴びせかけた。
突然の暴挙に、会場には悲鳴と驚愕の声が響き渡る。しかし、酒を浴びせられたテオドールは、眉一つ動かさずにただ立ち尽くしていた。
「私は……、ただ父上と兄上に憧れていただけなのに……!」
冷たい一言を言い放ち、ティナはそのまま会場を後にした。騒動を聞きつけて駆けつけた王妃ウルスラが、すれ違いざまに彼女を引き止めようとしたが、それすらも無視して去っていく。
濡れたまま立ち尽くすテオドールに、ソフィアが慌てて布を取り出し、彼の体を拭き始めた。そこへウルスラも加わり、二人で黙々と酒を拭い取る。やがて、テオドールは大きく息を吐き出し、静かに口を開いた。
「皆、すまなかった。今宵は祝勝の場だ、酒も食事も存分にある。心ゆくまで楽しんでくれ」
周囲にそう告げたテオドールは、さらに言葉を続けた。
「少し、着替えてくる」
それだけ言い残し、心配そうに見つめるソフィアとウルスラを置いて、彼はその場を去っていった。
せっかくの祝勝の場であったが、ベイザル王の不在、そしてティナが引き起こした騒動により、大広間には重々しい空気が漂うのだった。
会場でそのような騒動が起きているとは露知らず、ベイザル王は月明かりが照らす静かな裏庭にいた。一人で酒をあおりながら、傍らに置かれた壺をじっと見つめている。
「どうだ、エドワード? その中は快適か……? 塩だらけで、しょっぱいかもしれないが……」
「しょっぱいと言えば……、ワシは海を見たことがないのだ……」
自嘲気味に呟いたベイザルは、手にした瓶から直接酒を喉へと流し込んだ。
「お前はどうだ、エドワード?」
しばしの沈黙。
「……答えてはくれないか」
ぽつりと溢したベイザルの目から、一筋の涙が頬を伝う。しかしそれを拭おうともせず、彼は再び酒瓶に口を付けた。
「父上、飲み過ぎですよ……」
背後から穏やかな声が響き、イリーナがベイザルのもとへと近づいてくる。その姿を霞む目で捉え、ベイザルは小さく呟いた。
「イリーナか……」
「エドワード王と、どんなお話を?」
優しい声色で尋ねるイリーナに、ベイザルは力なく応じる。
「色々とな……」
隣に寄り添うイリーナに対し、ベイザルは意を決したように立ち上がると、その場に頭を深々と下げた。
「お止めください、父上!」
驚いて制するイリーナに、ベイザルは絞り出すような声を返す。
「すまなかった……」
「なぜ……、謝るのです……?」
問いかけるイリーナに、ベイザルは重い口を開き、ゆっくりと語り始めた。
「ハシム殿下が提案した作戦は、成功の見込みが薄い危険な作戦だった。そして……成功した場合、犠牲になるのは我が友エドワードだ。それだけではない。カーチス王子も犠牲になる可能性があった。さらに失敗すれば、ハシム皇子……いや、ソフィアの婚約者が死ぬ可能性さえあったのだ……!」
ベイザルは拳を握りしめる。
「王として、絶対にその作戦を了承するわけにはいかなかった! だが……私は願ってしまったのだ。カーチス王子の死を。それがエドワードの死と隣り合わせであることを知りながら……!」
悲痛な叫びが夜の裏庭に響く。
「私は、王としても父親としても最低なことをした。ワシのような男に、これ以上生きる価値など――」
「それは違います!!」
イリーナの鋭い大声が、ベイザルの言葉を遮った。思わず顔を上げたベイザルの視界に、涙をボロボロと流す娘の姿が映る。
「父上一人の責任ではございません……。私も……あの王子の死を願ってしまいましたから……!」
「イリーナ……、お前……」
ベイザルの目からも、再び涙が溢れ出た。
「責任は必ずしも、一人にのしかかるものではありません。父上が背負おうとしているのは、王子の死を願った全員の責任です。父上のお話を聞けば、きっと皆、共に背負ってくださるでしょう。だからどうか……一人で悩まないでください」
イリーナにそっと手を握られ、ベイザルは涙を流しながらも、小さく頷くのだった。
「ああ……、そうだな……」
そして同じ月夜の下、ハシムは王城で起きている騒動を知ってか知らずか、その手を再び血に染めようとしていた。




