第32話 二つで一つ
ロット平原では、レークランド軍とウェルシュ軍が対峙し、張り詰めた睨み合いを続けていた。
その膠着状態も三日目に突入し、双方の兵たちの緊張感は限界を迎えつつあった。
そんな中、ウェルシュのエドワード王は天幕の中で側近たちと共に、斥候からの知らせを受けていた。
「王陛下、報告いたします。レークランド側に動きは見られず、別働隊が側面を突くような気配もありません」
「あちらは本当に、静観を貫くつもりのようですね、陛下」
側近の一人がそう口にすると、エドワードは「そのようだな」と応じ、伝令を下がらせた。
「ご苦労だった。下がれ」
一礼して天幕を去っていく伝令の背中を見送りながら、エドワードは深く考え込む。
(やはり、あちらは何かを待っている……?)
そう思案するエドワードに、別の側近が声を掛けた。
「陛下。今日も、何の動きもなさそうですな……」
「そうだな。だが、油断はできぬ。夜襲には常に警戒しておけ。いつ何が起こるか分からぬ」
エドワードは厳しい表情のまま天幕の外へと歩みを進め、しばらく佇んだ。背後から側近がついて回る。
「しかし、敵方も随分と冷静ですね。侵略を受けているというのに……」
「入念に練られた作戦があるのだろう。それが何かまでは分からぬが……」
真剣な面持ちで考え込む王の様子を見て、側近が言葉を濁らせながら尋ねた。
「やはり、王子殿下のことが気掛かりで?」
「ふっ、顔に出てしまっていたか……」
エドワードは自嘲気味に少し笑ってみせた。
「ええ……失礼ながら」
「あやつにはいつも悩まされる。次代の王としての自覚を、もっと持って欲しいものだがな……」
王の寂しげな呟きに、側近たちは慰めるように言葉を重ねる。
「そうご心配されずとも大丈夫かと。王子の側にはヘルマン将軍が付いております。此度の一件も、王子にとっては良い社会勉強になるでしょう」
「そうだな。どちらかと言えば、成長のための良薬になって欲しいものだが……」
側近たちとそんな会話を交わし、再び天幕に戻ろうとしたその時、新たな知らせが舞い込んだ。
「王陛下、伝令旗を確認いたしました!」
その言葉にエドワードと側近たちが視線を向けると、陣形の間を抜けてこちらへとひた走る伝令旗の姿が目に入った。
「あの方角……王子殿下からの知らせでしょう」
「昼頃に接敵したとの知らせがありましたが、その続きでしょうか?」
楽観的な声を上げる側近たちであったが、エドワードの胸にはどうしても拭いきれない不安が付きまとっていた。
「エドワード王陛下! 緊急の知らせにございます!」
伝令兵は馬を降りるなり、その場に跪いた。その背後では、伝令旗を持った小柄な兵士も同様に馬を降りて控えている。
「緊急の知らせだと!?」
「一体何が起きたというのだ……」
口々に動揺する側近たちに向け、エドワードは一喝した。
「静まれ!」
その声に側近たちが口を閉じると、エドワードは伝令を促した。
「続きを申せ」
「はい、陛下……。山岳道を進む別働隊は、途中の山林にてレークランド軍と接触。その戦闘には勝利したものの、さらに進軍した先にて、ハシム皇子率いる帝国の近衛師団と接敵いたしました」
「なっ! 帝国の皇子だと!?」
「ここで出てくるというのか……」
ざわめく側近たちを、エドワードは手を挙げて制する。静まったことを確認した伝令は、重い口を開いた。
「別働隊は近衛師団とも交戦いたしましたが、力及ばず敗北……。その結果、ヘルマン将軍とカーチス王子は、共に戦死なされました……」
「な、なんということだ……」
「王子だけでなく、将軍までも……」
衝撃的な事実を前に側近たちが言葉を失う中、エドワードは膝から崩れ落ちた。
「陛下! お気を確かに!」
側近たちが駆け寄るが、エドワードは地面に膝をついたまま、がっくりと項垂れている。
「申し訳ありません……。混迷極める戦場では、これしか回収できませんでした」
伝令はそう言うと、布に包まれた重みのある何かを恐る恐る差し出した。
受け取ったエドワードは、震える手でその中身を確かめる。
「ああ……カーチス。愚か者め……」
中を見たエドワードは力なく呟き、その袋を抱きしめた。その姿を見て、一部の側近たちもまた膝をつき、項垂れる。
「なんということだ。我が国の第一王子が……」
「ヘルマン将軍まで失うとは、我が軍の損失は計り知れん……」
動揺が広がる中、エドワードは顔を上げずに問いかけた。
「伝令よ……おぬしは、カーチスの最期を見ていたか?」
「はい、陛下。しかと見届けております」
「そうか……。勇敢な最期であったか?」
エドワードの問いに、伝令は淡々と答えた。
「いえ、勇敢だったのは将軍のほうでした」
「そうか……」
嘆息するエドワードに、伝令はさらに言葉を重ねる。
「ヘルマン将軍は最期まで立派に戦われました。その最期は、この手で討ち取りました。一生忘れることはないでしょう」
「そうだったか……」
呟いたエドワードだったが、伝令の言葉に奇妙な違和感を覚える。
「この……手で……?」
復唱しながら、エドワードはゆっくりと顔を上げ、伝令の顔を凝視した。
その瞬間、王の目は驚愕に見開かれる。しかし、エドワードはすべてを察したように、静かに目を閉じた。
「そうか……。あなたという御方は、それほどまでの覚悟を……」
エドワードは胸に抱いていた、かつてカーチスであったものを膝元へと落とした。
それを合図としたかのように、伝令に変装していたハシムは剣を抜き放ち、一瞬の間にエドワードの首を切り飛ばした。
切り離された首は地に落ちるよりも早く、飛び込んできたフウカの巧みな身のこなしによって、空中で布に包み込まれる。
「はい、ハシム」
フウカは素早く馬に飛び乗ったハシムへと、手際よく布包みを放り投げた。
それを受け取ったハシムは、先に手に入れていたカーチスの首と共に、エドワードの首を腕に抱え込む。
落としそうになりながらも、ハシムは手綱を握った。あまりにも一瞬の出来事であったため、周囲の側近たちは未だ事態を飲み込めずにいた。
「き、貴様ら、何を――!」
一人の側近がようやく声を上げた瞬間、ハシムが叫んだ。
「出るぞ、フウカ!」
同時に、フウカが地面に向けて何かを叩きつける。
たちまち白い煙が湧き上がり、辺り一面を包み込んだ。ハシムたちは視界の遮られた陣形の隙間を縫い、白煙の向こうへと駆け抜ける。
「に、逃がすな! 追え!」
背後から怒号が響く中、ハシムは困惑し右往左往する兵士たちの間を全速力で突っ切った。
「ハシム、手間取りすぎ。あんな茶番、する必要あった?」
馬を並べて疾走しながら、フウカが呆れたように声をかける。
「あれは茶番ではなく劇だ!」
ハシムは風を切って声を張り上げた。
「いい具合に悲劇的だっただろう? きっと後世に残る悲劇として伝わるぞ!」
「楽しそうだね、ハシム」
「ああ、楽しいとも! これほどまでに気分が高揚したことなど、これまでの人生にない!」
ハシムは興奮を隠しきれない様子で笑った。だが、すぐに背後を振り返る。
「だが、流石に調子に乗りすぎたな」
白煙の残るウェルシュの陣地からは、騎兵隊が続々と追撃に移るのが見えた。
「どうするの!?」
「さてな、後は任せた」
ハシムの言葉に、フウカは深くため息をつき、彼を鋭く睨みつけながら懐から何かを取り出した。
それを地面に向けて叩きつけると、今度は白ではなく、不気味な紫色の煙が立ち込める。
追撃してきたウェルシュの騎兵たちが、その煙の中に突入した。
「な、なんだこの煙は……!」
困惑の声が上がるのも束の間、煙を吸い込んだ軍馬たちが激しい嘶きとともに前脚を上げ、次々と倒れ込んでいく。
投げ出された騎兵は地面に叩きつけられ、慌てて馬の様子をうかがった。しかし、馬たちは口から涎を垂らし、すでに瀕死の様相を呈している。
「こ、これは毒か……!」
そう呟いた騎兵の視界も徐々に歪み、そのまま地面に倒れ伏していった。
背後でその光景が広がる中、ハシムたちは馬を全力で走らせ続ける。
「まだ来るよ」
フウカの言葉にハシムが再び振り返ると、毒煙を迂回して追跡を続ける騎兵の姿が視界に入った。
「流石は騎兵隊、戦争がなくとも精鋭揃いということか」
「褒めてる場合じゃないよ」
呆れるフウカに、ハシムが指示を出す。
「次を頼む」
しかし、フウカは手綱から手を離し、両手を上げて「もう無い」とジェスチャーで示した。
「役立たずめ」
フウカが抗議の視線を向けたその瞬間、彼女のすぐ側を一本の投げ槍がかすめ飛んだ。
「くっ!!」
馬にとってはかすり傷だったが、一瞬の衝撃と手綱を離していたことが災いし、フウカは馬を制御できなくなる。
「こっちに移れ!!」
ハシムが叫び、自身の馬をフウカの馬へと激しく横付けして速度を合わせた。
「飛べ!!」
ハシムの合図と同時に、フウカは鞍の上に立ち上がり、ハシムの背後へと飛び移った。その直後、主を失ったフウカの馬は、容赦なく飛来した投げ槍によって串刺しにされる。
その凄惨な光景にフウカは一筋の冷や汗を流したが、未だに危機的状況を脱したわけではなかった。
「何か無いの!?」
「投石紐しか残っていない」
「まったく……使えないな」
フウカは渋々といった様子で、ハシムの腕に巻き付けられていた紐をほどきにかかる。
「首を二つも抱えた俺に、これ以上何を期待している!阿呆め」
ハシムは両腕に二つの首を抱え、必死に手綱を握りながら不満をぶちまけた。
「カボチャでも使って、事前に練習しておけばよかったのに」
フウカは言い返しつつ、ハシムの腰から石を取り出した。
そして馬上での体の向きを器用に変えると、投石紐を頭上で鋭く回し、石を放つ。しかし、放たれた石は追撃する騎兵の鎧に当たり、無情にも弾き返された。
「狙うなら上ではない、下を狙え、阿呆」
「分かってる! 外れただけ!」
フウカは言い返し、すぐさま次の石を放った。
今度の石は、馬の鎧のわずかな隙間を正確に撃ち抜いた。直撃を受けた馬が激しく嘶き、乗り手もろとも派手に転倒する。
その転倒に、後続のいくつかの人馬が巻き込まれた。
その光景を見てフウカは小さく拳を握ったが、安堵する間もなく、すぐ側まで別の騎兵が回り込んできていた。
迫り来る刃を前に二人は死を覚悟したが、次の瞬間、その騎兵は横から突っ込んできた別の騎兵によって激しく弾き飛ばされた。
追撃してきたウェルシュの騎兵と、突如現れたレークランドの騎兵が衝突し、辺りは一瞬にして乱戦状態へと陥る。
「ベイザル王陛下がお待ちです」
味方のレークランド騎兵がハシムたちに声をかけた。
その後、ハシムは騎兵たちに厳重に周囲を護衛されながら、レークランドの陣地へと向かった。
陣形の間を進むハシムの異様な姿――両腕に血の滲む袋を抱えた姿――に、周囲の兵士たちは驚きと不思議の混じった視線を向ける。
しばらく進むと、天幕から出てきたベイザル王がハシムを出迎えた。その背後には、同じく鎧に身を包んだテオドールとティナの姿もあった。
「おお! 殿下! お待ちしておりましたぞ!」
ベイザルは両手を広げ、歓迎の意を示す。馬を降りたハシムは、その場に跪いた。
「ご無事なようで、何より安心いたしましたぞ……」
「ありがとうございます、陛下。陛下の素晴らしい援軍のおかげで、辛うじて命拾いいたしました……」
「いやいや、殿下こそ。まさか単身で敵陣から逃れてくるとは……」
言いかけるベイザルを遮るように、背後にいたテオドールが冷ややかに言い放った。
「正気の沙汰ではないな」
「こら! テオドール! 言葉を慎まぬか!」
ベイザルは息子を叱りつけ、黙らせる。
テオドールが不満げに口を閉じると、ベイザルは小さくため息を吐き、恐る恐るハシムに尋ねた。
「それで……殿下。作戦のほうは……?」
「こちらがお約束の品にございます」
ハシムがフウカに目配せをすると、両脇にそれらを抱えていたフウカが前に進み出て、地面に二つの袋を置いた。
血の滲む二つの袋を目にした瞬間、ベイザルをはじめ、その場にいた者全員が息を呑んだ。
「し、将軍……頼む」
ベイザルの震える声に、マルセル将軍が一瞬眉を顰めながらも、確認のために屈み込んだ。
「こ、これは……」
中身を確かめたマルセル将軍は言葉を失い、額から汗を流しながら、無言でもう一つの袋を開けた。
「どうだ……将軍……」
「……確かに、エドワード王とカーチス王子にございます」
マルセル将軍の報告に、その場は氷水を浴びせられたかのように凍りつき、誰もが言葉を失った。
そんな中、ベイザルは手を額に当て、天を仰ぎながら小さく溢した。
「そうか……」
しばらくの沈黙の後、ベイザルは深く息を吐き、覚悟を決めたように前を向くと、大声を張り上げた。
「全軍に号令を出す!!」
その怒号に、沈黙を守っていた将校たちがびくりと肩を揺らす。
「将軍! 敵が指揮官を失い、動揺している今こそが好機だ! 全軍を以て突撃し、敵を蹴散らせ!」
「今! ここで決着を付ける! よいな!」
ベイザルの力強い言葉に、その場にいた者たちが「おお!!」と地を揺らすような声を上げ、それぞれの配置へと散っていった。
「テオドール! お前も前線に立ち、将軍と共に行け」
「はい、父上」
テオドールはそう答えると、馬に跨り前線へと向かう。
去り際、彼はハシムに向けて、まるで人間ではない恐ろしい何かを見るかのような、冷徹な視線を投げかけるのだった。
「父上! わたしも!」
ティナがすかさず懇願したが、「ならぬ!」というベイザルの鋭い声に遮られた。
「どうしてですか!」
「ハシム殿下のお姿を、よく見てみよ」
抗議するティナに、ベイザルは静かに促した。ティナは言われるがまま、ハシムの姿を改めて見つめる。
そこに佇むハシムは、怪我こそ負っていなかったものの、その腕の周りはべっとりと血に染まっていた。
手綱を力強く握り続けたその手も、真っ赤に汚れている。その凄惨な姿に、ティナは言葉を失った。
「殿下こそが、この戦争における最大の功労者だ。その殿下を労うこともせず、自身の功を焦るなど……恥ずかしいとは思わぬのか?」
ティナはしばらくの間、俯いて黙り込んでいたが、やがてハシムに歩み寄った。
「殿下……こちらへ。まずはその血を洗い流しましょう……」
「ありがとうございます……、ティナ様」
ハシムが応じると、彼はフウカを伴って天幕の裏手へと姿を消した。
その背中を見送ったベイザルは、再び天を仰いだ。
日は傾き始め、空は徐々に不気味なほどのオレンジ色に染まりつつある。
「エドワード……このような結末になるとはな。すまない……先にそちらで待っていてくれ……」
ベイザルは静かに呟いた。
「王陛下! 全軍、準備が整いました!」
兵士の声に我に返ったベイザルは、愛馬の鞍へと飛び乗る。
周囲の兵士たちが神妙な面持ちで見守る中、彼は大きく息を吸い込んだ。
「全軍!! 突撃!!」
ロット平原に響き渡る号令とともに、全軍が地を鳴らす雄叫びを上げて走り出す。
ベイザルは一切の迷いを振り切り、兵士たちの先頭に立って突撃していった。
この日、後に『ロット平原の戦い』と呼ばれることとなる一戦は、レークランド軍の圧倒的な大勝利に終わった。
当時の誰もが、泥沼の膠着状態に陥るだろうと予想していたこの戦争は、第四皇子ハシムの予想だにしない奇策と活躍によって、レークランド王国に勝利をもたらしたのである。
ウェルシュの国王エドワードとその息子カーチス第一王子の戦死という劇的な終幕は、最大の功労者であるハシムの名と共に、後世まで長く語り継がれることとなった。




