第29話 山岳道の戦い
「ひでぇ事しやがる……。今時、略奪なんて流行らねぇのにな」
そう嘆くヒューゴの目の前には、焼け焦げた家屋が立ち並んでいた。辺り一帯には焦げ臭いにおいが漂い、この地で起きた惨劇の記憶を周囲へと広げている。
「まぁでも、不幸中の幸いは死人が出ていない事だな……」
彼の視界には、あるはずの死体が一つも見当たらない。
「まっ、その辺りはあの将軍の采配って所か……」
ヒューゴは視線を隣へと向けた。そこには、地面にしゃがみ込んだフウカの姿があった。
「随分と静かじゃないか、嬢ちゃん」
ヒューゴが覗き込むと、彼女の足元には一匹の猫がいた。
「ネコ?」
フウカは特に反応することもなく、ただ静かに猫を撫で続けている。
「飼いたい……なんて言うなよ。まだ野良じゃねぇんだからな」
「分かってる」
フウカは短く答えると、猫に立ち去るよう促した。猫は一度だけ振り返った後、そのまま去っていった。
「一旦は野良になるかもだが、また人が戻ってくれば帰ってくるだろ」
フウカは特に言葉を返さず、じっと正面を見据えている。
「まったく……。せっかく人が心配してやってるのによぉ」
感傷に浸っているようなフウカに、ヒューゴが問いかける。
「嬢ちゃんは、この光景を見てどう思う?」
「別に……」
フウカはそう呟き、少しの間を置いてから言葉を続けた。
「こんな光景、珍しいことじゃない。大陸の辺境なら尚更」
「確かにそうだな……。俺も前職のことを考えたら、焼き討ちした奴らと大差ないか……」
遠くを見つめるヒューゴに、フウカが手厳しい言葉を返す。
「オッサンの分際で感傷に浸るとか、キモい」
「酷ぇこと言いやがる……」
ヒューゴはがっくりと肩を落とし、嘆くのだった。
「まぁとにかく、この地で出来ることはもう無い。ならば、それぞれの成すべきことを成すとしようぜ?」
ヒューゴはそう言って背後を振り返る。
「お前らも分かったか?」
そこに立つ数人の男女は、無言で頷くと音もなくその場から去っていった。
「さてと、俺は略奪品と連れ去られた村人の追跡だ。嬢ちゃんは殿下への報告……だったか?」
フウカは黙って頷いた。
「そうか。なら早くした方がいいぞ。分かりづらいが、既に戦端は開かれている」
ヒューゴが視線を向けた先からは、微かに戦いの音が響いていた。
焼き討ちされた村から少し離れた山林では、レークランド軍とウェルシュ軍が河川を挟んで交戦していた。
「いいぞ!! もっと押し出せ!!」
カーチス王子は馬上で声を張り上げ、兵士たちに檄を飛ばす。王子の周囲を数名の兵士が囲み、従者は王子の乗る馬の手綱を必死に抑え込んでいた。
遠くからその光景を見ていたヘルマン将軍は、流石に看過できなかったのか、馬を駆ってカーチスのもとへと向かう。
「王子、あまり前に出すぎては……」
「何を言うか。王族が先頭に立てば、兵の士気も上がるであろう?」
「それはそうですが……」
眉をひそめるヘルマンを余所に、カーチスは上機嫌に語る。
「細かいことは気にするな、将軍。それよりもこの光景を見よ。我が軍が圧倒しているぞ!さすがはヘルマンだな。攻撃された場所も予想通りだ!」
「河川防御は基本です。この程度であれば誰でも……」
謙遜するヘルマンに、カーチスは満足そうに応じる。
「はは、並の将であればそうだが、おぬしはそうではあるまい?まさか既に上流から兵を回り込ませているとは、思いもしなかったぞ!」
「しかも、渡河には適さない場所に丸太橋を沈め、敵に悟らせないというおまけ付きだ」
「おぬしのような者を智将と呼ぶのであろう。帰国後は勲章を授ねばならぬな!」
上機嫌なカーチスとは対照的に、ヘルマンは複雑そうな表情を浮かべていた。そこへ、伝令が慌ただしく報告を持ってくる。
「報告致します! 敵が後退を開始した模様です!」
「そうか、ならば追撃せねばなるまい」
カーチスは即座に指示を飛ばした。
「騎兵隊長をここへ!」
その後、参上した騎兵隊長に向けて「私も出るぞ」と言い放ち、得意げに手綱を握る。
「お、王子、前線は危険です。お下がりを……」
ヘルマンの忠告を無視し、カーチスは「はは、そう心配するな」と笑い飛ばす。すると抜剣し、そのまま勢いよく駆け出していった。
「ああ……、なんということだ……」
ヘルマンは思わず頭を抱えた。
「騎兵隊長! 王子の側に! 急げ!」
すぐに指示を出し、自らもその後を追うのだった。
レークランド軍が敗走する、少し前のこと。
河川を挟んで対峙する両軍から少し離れた上流では、ウェルシュ軍の別働隊が渡河を行っていた。その光景を、ハシムたちは茂みから静かに観察していた。
「殿下の予想通りでしたね。渡河の場所も、方法も」
アンジェの言葉の隣で、ハシムは不敵にほくそ笑んでいた。その様子にアンジェは若干引きつつも、話を続ける。
「しかし、友軍に知らせなくても良いのですか?」
「その必要は無い。我々は予備戦力として後方待機、そう命じられているのだからな」
「もちろん、上流の警戒を指示されていればそうしたが、そんな指示は無かった」
「これは奴らの落ち度であって、我々の責任では無い」
淡々と言い放つハシムに、アンジェは呆れた目を向けた。
「相変わらず、辛辣ですね……」
「さて、戻るとしよう。レークランド軍は、すぐにでも敗走するだろうからな」
「我々の出番も近いぞ」
ニヤリと笑みを浮かべたハシムたちは、音もなくその場から姿を消した。
それからしばらく経った頃。カーチスは死体が転がる戦場の中を、上機嫌に進軍していた。
「王子、一度休息されては? 我が軍が優勢とはいえ、交戦した以上は兵も疲弊しております……」
具申するヘルマンに対し、カーチスは聞く耳を持たない。
「何を弱気なことを言っているのだ。我らが優勢ならば、追撃の手を緩める必要はあるまい」
傲然と言い放ち、先を急ぐ王子の後ろ姿を見ながら、ヘルマンはエドワード王から授かった言葉を思い出していた。
本隊と離れる前、天幕にてエドワード王はヘルマンにあることを告げていた。
「帝国の皇子……ですか?」
「ああ、そうだ。おぬしもダミアンの話を聞いていたな?」
「はい」
「よろしい。ならば、これだけは守ってくれ」
エドワード王は真剣な眼差しで言葉を続けた。
「必要があれば、カーチスを守るために軍を引かせろ」
「よ、よろしいのですか?」
狼狽えるヘルマンに、王は静かに頷く。
「ああ」
「帝国の皇子というのは、それほどまでに……?」
「おそらく、別働隊の迎撃に独自の兵を動かす可能性が高い」
「そしてカーチスが皇子の軍と対峙したら……必ず戦おうとするだろう……。もしそうなった時、おぬしが必ず止めるか、確実に勝て」
「はい! 陛下!」
ヘルマンは自身の胸に手を当て、力強く答えた。
「ところで……その……これらの懸念は……」
「ああ、気づいたか。出立前にダミアンに色々と言われてな……」
話すエドワードに、ヘルマンは納得したように呟いた。
「やはり、そうでしたか……。あの御方は、どこまで見通しているのでしょう?」
「さてな……。それは分からぬが、一つ言えることがある」
エドワードはしばらく沈黙した後、重々しく口を開いた。
「ダミアンの予想すら、あの皇子は越えてくる可能性がある」
「この戦争、どこで何が起こるか分からない。だからなヘルマン、カーチスのことを頼んだぞ」
「お任せ下さい、エドワード王陛下」
その場に跪き、ヘルマンは忠誠を誓ったのだった。
ヘルマンが、この先に待ち構えているであろう帝国の皇子への対処に逡巡していた、その時。前方から伝令が血相を変えて駆けてきた。
「も、申し上げます! 前方に敵部隊を発見しました!」
「敵などどこにでもいるだろう」
鼻で笑うカーチスに、伝令は震える声で続ける。
「そ、それが……レークランド軍とは思えぬ出で立ちでして……」
その言葉に、ヘルマンの懸念は確信へと変わった。
「駄目です王子! 一旦引きましょう!」
慌てて引き留めるヘルマンだったが、カーチスは一蹴する。
「敵を見ずに背を見せるなど、あり得ぬ!」
カーチスは手綱を激しく操り、馬を駆け出させた。それに釣られるように、周囲の兵たちも一斉に後を追う。
「お待ち下さい! 王子!」
呼びかける声も虚しく、カーチスは山林を抜け、開けた場所へと躍り出た。
視界の先には草原が広がり、その中央には、レークランド軍とは明らかに異なる異様な出で立ちの軍勢が鎮座していた。
「あ、あれが……」
カーチスは馬を止め、その軍隊を凝視する。
全身を覆うほどの巨大な盾を持った兵士たちが、槍を構えて整然と待機していた。旗印こそ掲げていないが、兵士たちの持つ槍は身長を遥かに超え、天を突き刺すかのように整然並んでいる。
「なんということだ……。あれが帝国式方陣……」
追いついたヘルマンは、目の前の圧倒的な光景に戦慄を覚えた。
「帝国……そうか……。あれがあの皇子の……」
ヘルマンの呟きを聞いたカーチスは、瞳に激しい憎悪を宿らせる。
「王子、ここは撤退しましょう」
「何を言うか……。我が仇が目の前にいるのだぞ……」
「王子……どうかご再考を……」
ヘルマンは必死に懇願するが、血に飢えたように目を見開いたカーチスには、もう届かなかった。
「全軍!! 整列せよ!!」
カーチスが人生最大の声量で怒号を放つ。萎縮した兵士や隊長たちが、慌てて前に出て列を作り始めた。
「王子! このままでは兵が足りません!」
「何を言う! 我らは三千いるのだぞ! 敵はせいぜい歩兵が五百ほどではないか!」
喚き散らすカーチスに、ヘルマンは冷静かつ必死に数字を突きつける。
「三千はあくまで全体の数です! 隊列は伸びきっており、この場にいるのは千ほどしかおりません!」
「それで十分ではないのか!」
「そのすべてが歩兵ではありません! 騎兵や弓兵を除けば、歩兵は六百ほど。これではまともな戦いになりません!」
「やってみなければ分からないであろう!」
カーチスは声を荒らげる。
「レークランド軍であれば同数でも勝ち目はあります。ですが、相手は帝国軍……!それも、皇子旗下の近衛相手では、万に一つも勝てはしません!」
ヘルマンの悲痛な叫びに、カーチスは一瞬黙り込んだ。
改心したか、とヘルマンは淡い期待を抱いたが、カーチスが再び口を開く。
「おぬしの懸念は分かった。だが、もはや引くことは出来ぬ」
向き直ったカーチスは剣を鋭く引き抜き、声を張り上げた。
「皆、聞け!!」
兵たちに向けて、傲慢な指示を飛ばす。
「帝国の弱兵など恐るるに足らず!! 奴らを蹴散らし、その弱兵ぶりを世界に晒してやるのだ!!」
カーチスは大きく息を吸い込み、全力の号令を下した。
「歩兵!! 突撃せよ!!」
その剣先は、ハシムの率いる近衛師団へと向けられる。
号令を受けた歩兵たちは、地を揺らすほどの雄叫びを上げながら一斉に走り出した。
進んだその先が、地獄の入り口とも知らずに。




