第27話 開戦 #2
ウェルシュ王国が突きつけた二つの要求に対し、レークランド王国の国王ベイザルは、謁見の間にて対応していた。
「内容については了承した」
そう告げたベイザルの前には、ウェルシュ王国の大使ワルターが、神妙な面持ちで頭を垂れて立っている。
「一つ目については歩み寄りの余地があるが、二つ目についてはとても受け入れることはできん」
「外交はすべての国家に与えられた当然の権利。同盟を結ぶのに第三国の承認を得なければいけないなどと……。それは、もはや単なる属国だ。国家とは呼べん」
「すまないが大使、貴国の要求は受け入れられない。――そう伝えてくれるか?」
ワルター大使は顔を上げた。その表情は明らかに曇っている。
「はい……、承りました」
「残念だ、大使。このようなことになるとは……」
「そうですね……。私もそう思います」
「だが、此度の一件で、これまで築き上げた友情が失われたとは思っていない。ワルター大使、お主とまたいつか、飲み明かす日が来ると信じている」
ベイザルの言葉に、ワルターの表情が少しだけ晴れた。
「はい、陛下」
その様子に満足げな笑みを浮かべたベイザルだったが、すぐに険しい表情へと切り替える。
「大使をお送りしろ」
周囲の者にそう命じた後、再びワルターへ視線を戻した。
「すまないが大使、これからしばらくの間、行動の制限をかけさせてもらう。お主の安全のためでもある。了承してもらえるか?」
真っ直ぐに見つめてくるベイザルに対し、ワルターは小さく頷いた。
「分かりました」
ワルターが衛兵に連れられて謁見の間を後にする。
その背中を見送ったベイザルは、大きく息を吐いて玉座に背を預けた。
「エンベルト大臣。将軍たちを集めよ。今後のことを議論する」
「は、はい……。承りました……」
大臣の返事を聞き届けると、ベイザルは立ち上がり、自らも謁見の間を後にした。
浮かぬ顔で廊下を歩くベイザルに、王子テオドールが声をかける。
「お疲れのようですね、父上」
「今のこの状況で疲れぬ者などいないだろう。そんな者がいれば教えてほしいものだ」
ベイザルの言葉に、テオドールは誰かの顔を思い浮かべたようだったが、ひとまずはそれを飲み込んで話を続けた。
「父上、あの件は考え直していただけましたか?」
「あの件……? ああ、ハシム殿下のことか」
息子の意図を察し、ベイザルは呆れを滲ませながら答える。
「何度も言ったはずだぞ、テオドール。殿下をこの国から追放することも、何かしらの処罰を下すようなこともしない」
「なぜですか! あの者はこの国に災厄をもたらしたのです! 今手を打たねば、いずれ取り返しのつかない事態になります!」
「テオドール。ウェルシュとの同盟が白紙になった今、帝国との友好を損ねるわけにはいかんのだ。理解してくれ」
不満を隠そうともしないテオドールに、ベイザルは辟易しながらも言葉を続ける。
「とにかく、これから将軍たちとの会合だ。お前も同席しろ。だが、あまり余計なことを言うなよ」
「はい、父上……」
テオドールは納得のいかない表情のまま、父の背を追って会議室へと向かった。
その途中、二人は会議室の前に立つ王女ティナの姿を捉えた。傍らでは将軍が彼女を説得している。
「何をしている、ティナ」
ベイザルが問いかけると、ティナは将軍の制止を振り切って声を張り上げた。
「私も会議に同席させてください!」
「マルセル将軍、お前の入れ知恵か?」
マルセルと呼ばれた大男の将軍は、慌てて弁明する。
「ち、違います陛下! 私はティナ様を説得していたところでして……」
「ティナ、分かっているはずだ。これから話し合う事柄は国の命運を左右する。王女であるお前の同席は許されない。分かってくれ」
ベイザルはそう告げると、ティナの脇を通り抜けて会議室へ向かおうとした。
「納得できません! なぜ王女であるという理由だけで参加できないのですか!」
声を荒らげる妹に対し、テオドールが厳しい声を浴びせる。
「黙れ!」
だが、ティナは怯むことなく言い続けた。
「黙りません! 父上、私には覚悟があります!」
その言葉に、ベイザルは足を止めた。ゆっくりと振り返る。
「覚悟? 一体どれほどのものだ?」
「私にはあります! この国の未来を担うという覚悟が! 父上も兄上もご存じのはずです。私の振る舞いは、お二人に憧れて始めたことなのだと。今まではただの真似事でしかありませんでしたが、あの事件を受けて思い知りました。国を背負うためには、自身の手を血で染めてでも、必要なことをやり遂げる覚悟が必要なのだと!」
力説する妹に向け、テオドールは冷ややかに言い放つ。
「ティナ、あえて言うが、女のお前には無理だ。そもそも、お前が背える必要などない」
「そう思うならばなぜ、私を止めなかったのですか!?」
ティナの鋭い反論に、テオドールは息を呑む。
「兄上も父上も分かっているはずです。剣技を磨き、狩りを嗜む――そんな貰い手のない王女の行き着く先を! 私が歩もうとした道を、お二人ならいつでも阻むことができたはず。今の私がこうあるのは、父上たちが望んだことなのではありませんか!?」
真っ直ぐな瞳で訴えかけるティナに、テオドールは言葉を詰まらせた。
「それは……」
ベイザルは考え込むようにしばらく沈黙した後、深くため息をついて口を開いた。
「お前の言いたいことは分かった……。そうだな、確かに今のお前がこう育ってしまったのには、ワシにも責任がある。もっとお淑やかに育ってほしかったが……こうなってしまっては仕方あるまい。ウルスラには叱られそうだがな」
「父上! 認めるのですか!」
テオドールが声を荒らげるが、ベイザルは首を振る。
「仕方あるまい。ティナの歩む道を決めるのはワシらではない。それにテオドール、お前も嬉しかったであろう? 妹が自分に憧れ、真似をしてくれることが」
その指摘に、テオドールは黙り込んでしまった。
「すまんが将軍、そういうことだ。迷惑をかけるが、よろしく頼む」
ベイザルに促され、マルセル将軍は胸に手を当てて一礼した。
「陛下がそう仰るのであれば……」
将軍はそう言って、ティナを会議室へと招き入れた。
「まったく、いつの間にあのような子に……」
そう呟くベイザルの後ろでは、テオドールが納得のいかない様子で不満気な表情を浮かべている。
息子の様子を察してか知らずか、ベイザルは廊下の角へと声をかけた。
「これも殿下の薫陶の賜物ですかな?」
すると、影からハシムが姿を現した。その姿を見たテオドールは目を見開く。
「陛下、それは買い被りですよ。ティナ様はご自身で考え、行動されたのです」
「な、なぜここに!」
テオドールはハシムへ露骨な敵意を向け、鋭く睨みつける。
「わしが呼んだのだ」
ベイザルの言葉に、テオドールは勢いよく振り返った。
「なぜですか、父上!」
「此度の戦争に帝国の力は借りられん。だが、ハシム殿下が個人的に手を貸したい、そう仰ってな」
「それを……了承したのですか、父上」
「ああ」
納得のいかない息子に対し、ベイザルは淡々と返す。
「すまんな、テオドール。事前に言っても、お前は納得しないだろう」
ベイザルはそう告げると、ハシムへと向き直った。
「さあ殿下、こちらへ」
会議室へ入っていくハシムの背中を、テオドールは激しく睨みつけながら、自身も部屋へと足を勧めるのだった。
「さて、皆が揃ったところで始めるとしよう」
ベイザルが長机に手を置くと、それを囲むように大臣や将軍たちが居並ぶ。
「すでに存じている通り、ワシはウェルシュ側の要求を跳ね除けた。これにより、ウェルシュには軍事侵攻の口実ができたことになる。今日明日の侵攻はないはずだが、一日でも早く備えておきたい。マルセル将軍、兵はどれほど集められる?」
「はい、陛下」
マルセルは一歩前に出て、説明を始める。
「現在の王国軍の常備兵が約三万。そこに貴族の私兵や民兵を動員すれば、最大で約五万は動員可能でしょう」
「五万か……」
ベイザルが呟くと、周囲の者たちの間に安堵の囁きが漏れた。しかし、マルセルはその楽観的な空気を遮るように言葉を続ける。
「ですが、この五万というのはあくまで推定であること、そして総数であることをお忘れなきよう。そもそも正規軍三万のうち、五千近くは後方支援が主な任務であり、戦闘には不向きです。さらに国境や砦、街道の警備などに残りの半分が常に駆り出されております。そのため、実際にすぐ戦場へ投入できるのは一万ほどです」
マルセルの口から出た一万という数字に、室内には動揺が広がった。その中で、テオドールが確認するように言葉を挟む。
「だが、それは正規軍のみで戦った場合の話……。 そうであろう?」
「その通りです、王子。先ほど動員可能と言った貴族の私兵や民兵は、正規軍の抜けた穴埋めに使います。それらを合わせれば、おそらく二万以上は戦場に送ることができるでしょう」
その言葉に、どこからか「二万! 先ほどの倍近くではないか!」と感嘆の声が上がった。
「皆、喜ぶのはまだ早い。我々はまだ、敵の数を知らないのだからな」
その場の空気を冷やすように、ベイザルが重々しい声を響かせる。
「将軍、ウェルシュは此度の戦争にどれほど動員してくると思う?」
「そう……ですね……」
マルセルはしばらく考え込んだ後、厳しい表情で口を開いた。
「ウェルシュ側もこちらと同様、貴族軍や民兵を総動員してくるでしょう。その結果、敵の軍勢は三万から四万に達するかと」
レークランド王国の実質的な戦力の倍近い数字を告げられ、その場にいた全員が意気消沈し、会議室は水を打ったように静まり返った。
そんな重苦しい沈黙の中、ハシムの隣に立っていたティナが、恐る恐る小声で尋ねた。
「殿下、帝国軍の規模はどれほどなのでしょうか?」
「そうですね……。時代により数は前後しますが、現時点では約二十万といったところでしょうか」
ハシムの淡々とした答えに、ティナは目を見張る。
「に、二十万ですか……?」
「帝国軍は一つの軍団に五千から一万が所属しており、それが現時点で二十五軍団ありますから、それくらいにはなります。ですが王国軍同様、この二十万はあくまで総数。実際に前線で戦力になるのは十五万ほどです」
「それでも、十分すぎるほど凄まじい規模な気がしますが……」
若干引き気味になりながら返すティナに、ハシムは薄く笑みを浮かべた。
「そうですか? ですが、帝国は国土も国境も広大ですから、実際に動かせるのはそこからさらに半分の八万ほど。そこから補給を含めた現実的な作戦動員となると、自由に動かせるのは四万程度に落ち着きます」
「なるほど……。そう考えると、戦争というのはかなり厳しいやり繰りの上で行われるのですね」
感心したように聞き入るティナの様子を見ながら、ハシムは言葉を続ける。
「かつて大帝国が東方征伐を行うにあたり、二十万もの大軍を動員したという記録があります。数だけ聞けば、東方諸国に勝ち目はないと思うでしょう。しかし、これもあくまで総数です。二十万もの兵士がひとつの戦場に同時に集まることなど、滅多にありません。ですから、数字だけを聞いて敗北を確信するのは時期尚早です」
ハシムは歴史の一幕を紐解くように語る。
「実際、東方諸国は敗残兵が再集結したのち、帝都を発った皇帝の軍を奇襲して勝利を収めました。当時、東方の敗残兵はわずか三千。それに対する皇帝の軍は二万でしたが、長く伸び切った隊列を突かれたため、実際に戦うことができたのは五千ほどだったそうです。このように、歴史の中には二十万を動員しても、わずか三千の敗残兵に敗れるといった例もある。ですのでティナ様、あまり悲嘆なさらず……」
「ええ、そうですね」
ティナは深く頷き、ハシムの言葉を噛み締めた。
「皆、よく聞け」
ざわめきが広がる中、ベイザルが声を張ると、全員の視線が一斉に集まった。
「希望が持てないのは分かる。だからといって、戦いもせずに負けを認めるわけにはいかん。そうであろう?」
一同を見渡しながらの問いかけに、誰もが力強く頷いた。その光景に満足したベイザルは話を続ける。
「よろしい。エンベルト大臣」
「は、はい……陛下」
名を呼ばれたエンベルト大臣が、少し身を乗り出す。
「大臣、お主が敵の立場だったなら、この戦争をどう終わらせる?」
「そ、そうですね……」
大臣はしばらく考え込んだ後、慎重に口を開いた。
「やはり、一番の目標は王都ケルンでしょう……。王都を包囲できれば、帝国や北方諸国の援軍が見込めない我が国は敗北を認め、ウェルシュ側の要求を飲むしかありません……。ウェルシュといえど、この戦争で我が国の全土を掌握できるとは考えていないはず。おそらくは王都だけを目指し、進軍してくるかと思われます……」
「その通りだ、大臣。感謝する」
ベイザルが頷くと、大臣は一礼して下がった。
「聞いた通りだ。つまり、籠城は愚策ということだな、将軍」
「はい、陛下」
マルセル将軍が頷き、目配せをすると、長机いっぱいに大きな地図が広げられた。
「先ほど聞いた通り、王都ケルンへの到達を阻止することこそが、我が方の勝利条件とも言えます。この地図を見れば、敵の侵攻ルートが分かります」
机を囲む者たちの視線が地図へと注がれる。
「ウェルシュから王都へ至る道は二つ」
マルセルは地図に描かれた最も太い線を指し示した。
「これがその一つ、中央街道です。広く整備されており、おそらく敵の本隊はこの道を進んでくるでしょう」
「将軍、もう一つの道は?」
ティナの問いに、マルセルは別の細い線を指差す。
「もう一つはこちらです。キャバリア山脈に沿った山岳道。この道は山脈沿いの高地であり、整備も不十分なため、大軍での行軍には不向きです。ですが、峡谷道へと続く途中で王都への道が枝分かれしています。そのため、三千から五千ほどの別働隊を送り込んでくる可能性は十分にあります」
「そうなると、こちらも戦力を割く必要があるな」
ベイザルは顎に手を当てて考え込む。
「ええ。ですが別働隊といっても、一万には満たないでしょう。たとえ王都付近に到達したとしても、無視できる数かと――」
「将軍。たとえ少数であったとしても、王都への到達を許せば敗北だと、先ほど大臣が言ったはずだ」
テオドールが怒気を含んだ声で遮ると、マルセルは慌てて頭を下げた。
「し、失礼いたしました、王子」
ベイザルは小さく息を吐き、机に向き直った。
「話を戻そう。別働隊は何かしらの手段で足止めするとして、やはり本隊と激突するとすれば、ここか……」
ベイザルが指し示した場所には、大きく『ロット平原』と記されていた。
その場所を見て、マルセルが苦渋に満ちた声を漏らす。
「やはり、そうなってしまいますか……。陛下、本当に籠城という選択肢は――」
「くどい。それは無いと言ったはずだ」
ベイザルは将軍の言葉を厳しく退け、一同を見据えた。
「皆、聞け。ワシはこの戦争を長引かせるつもりも、戦火を全土に広めるつもりもない。一度の決戦で、すべての決着をつける。それが今、最も必要なことだ。分かってくれるか?」
王の強い決意に一同が頷き、会議はさらに熱を帯びて続いていった。
白熱した議論が続く中、ハシムは一人壁際に立ち、静かに会議の行方を見守っていた。そんな彼に、参加者の一人の男が声をかける。
「ところで皆、この場において、まだ意見を伺っていない者がいるようだ。そこで改めて聞こうではないか」
男の隣にはテオドールが立っており、彼に促されて発言したことが見て取れた。
一同の視線が一斉にハシムへと注がれる。
「帝国は此度の戦いにおいて、何もなされないのでしょう? それならばせめて、何かしらの意見を述べるのが筋というものでは?」
男のいささか挑発的な問いかけに対し、ハシムは壁際から離れて前へと歩み出た。周囲の人間が自然と道を開け、彼を迎え入れる。
「そうですね……。ここで意見を述べるのも必要なことでしょう。それに、誤解も解いておきたいですから」
「誤解……、ですかな?」
男が眉をひそめる。
「ええ。此度の戦いで帝国は何もしていないという誤解です。皆様もご存じの通り、此度、帝国が直接支援することはありません。ですが現在、ウェルシュ王国の国境線には我が帝国の軍が張り付いています。これが侵略を意味するものではありませんが……。もしものことを考えれば、ウェルシュ側も同様に軍を国境に留め置かざるを得ないはず。このように、帝国はウェルシュの戦力をある程度、事前に削ぐことができている。そう考えてはいただけませんか?」
ハシムの理路整然とした反論に、男は何も言い返せず口を閉ざした。ハシムはその姿を見据えながら、穏やかに言葉を重ねる。
「ここで改めて、私からある作戦を提案させていただきたい」
「作戦……? 殿下、それは一体どのような……」
ベイザルが、恐る恐る尋ねる。
「そう恐れる必要はありません。たとえ失敗したとしても、失うのは我が近衛とこの命のみですから」
ハシムはそう言って、自身の胸に手を置いた。
この日、ハシムが提案した作戦が、のちに戦争の流れを大きく変えることになる。
誰もが成功するとは思わなかった無謀な作戦が、今、動き出そうとしていた。




