第25話 皇帝家の者達
アンダルシア帝国、帝都フリアード。
その中心にそびえる帝城の会議室では、ハシムを除く皇族たちが一堂に会し、とある問題について議論を交わしていた。
「あの愚か者め! まともな外交すら出来ぬのか!ヤツは大使を斬り殺した頃から、何も変わっていないというのか!」
第一皇子ヴィクトルは激昂し、叩きつけるように机を打つ。
その騒音を、皇帝ジェラールの低い声が鋭く咎めた。
「座らぬか、ヴィクトル」
「ですが父上……!」
反論しようとするヴィクトルだったが、重ねられた「座れ」という一言に圧され、苦虫を噛み潰したような顔で椅子に腰を下ろした。
「ふっ、大使殺しか。随分と懐かしく感じるな。相変わらず大胆なことをしやがる。俺は嫌いじゃないぜ、はっはっは!」
巨躯を揺らして笑うのは、第二皇子オズマ。彼は不敵な笑みを浮かべ、組んだ足を無作法に机の上へ放り出した。
「笑い事ではありませんよ……。戦争ともなれば、一体どれだけの損失が出るか」
片眼鏡を調整しながら、第三皇子クラークが冷淡に告げる。その手元では、東方式の計算機がパチパチと乾いた音を立てていた。
「でもよぉ、帝国には直接関係ないだろ?」
「直接の関与がなくとも、経済的な影響はあります」
椅子を揺らすオズマに、クラークは視線すら向けず計算を続ける。
その生真面目さに、オズマは「相変わらずだねぇ」と肩をすくめた。
「だが、もしウェルシュが本気で戦争を仕掛けてきたらどうする?」
「それはあり得ませんね。ウェルシュにはエドワード王がいます。あの賢王であれば、帝国を敵に回す無謀な選択はしないでしょう」
クラークの断言に、オズマが「そういうもんか?」と首を傾げる。
「ええ、そういうものです。……もっとも、件の王子であれば、意地を通して戦争を選ぶ可能性も否定はできませんが」
皇子たちが言葉を交わす中、沈黙を守っていた皇帝ジェラールが重い口を開いた。
「いずれにせよ、我々は常に備えておく必要がある」
一同の視線が皇帝に集まる。彼はその威圧感で場を支配し、矢継ぎ早に指示を飛ばした。
「オズマ、貴様は国境の守りを固めろ。軍は即座に動かせる状態にしておけ」
「お任せあれ」
オズマは力強く胸を叩く。
「クラーク、大臣らと協議し、経済への影響を試算せよ。議会への根回しも忘れるな。後から騒がれるのは面倒だ」
「承知いたしました」
クラークは淡々と応じ、手元の資料にペンを走らせる。
「ヴィクトル、貴様は……。まぁ、いつも通り私の手足として動けるよう待機しておけ」
「……はい、父上」
不満げな色を隠せないヴィクトルに、ジェラールは席を立とうとする。その背に、ヴィクトルが焦燥を含んだ声を投げた。
「ハシムは……あいつは呼び戻さないのですか!?」
「ああ。ヤツはこれまで通り、好きにさせる」
「なぜです父上! ヤツは戦争の火種を撒いたのです! 今すぐ呼び戻し、責任を取らせるべきです!」
喚き散らすヴィクトルに、ジェラールは深くため息をつき、冷徹な事実を突きつけた。
「ヴィクトル、貴様は大きな勘違いをしている」
「勘違い……ですか?」
「よく考えろ。戦火が上がろうとしているのはレークランドとウェルシュの間だ。原因は婚姻同盟の破綻だが、少なくともハシムは破綻そのものには関与していない。さらに王子への行いにも正当性がある。ゆえに、ヤツに下す処罰はない」
ヴィクトルが絶句する。ジェラールはその肩に手を置き、静かに告げた。
「ヴィクトル、あまりアイツに構いすぎるな」
皇帝が去り際、今度はオズマが問いを投げた。
「それで結局、レークランドに軍は送らないので?」
「送らぬ。レークランドは正式な同盟国ではないからな」
「なるほど。軍は送らないが、ハシムは残す……。つまり、あいつに期待している、ということですか?」
クラークの問いに、ジェラールはわざとらしく肩をすくめて見せた。
「さて、何のことだか。ヤツが近衛を率いてどこで何をしようが、正規軍でない以上、我々は関与しない」
含みを持たせた言葉を残し、皇帝は会議室を後にした。
会議室を出て廊下を歩くヴィクトルを、オズマが呼び止める。
「おーい、ヴィクトル!」
無視して歩き続ける背中に、オズマが追いつく。
「おいおい、無視すんなよ」
「……私は兄だ。敬意を持って呼べ」
「敬意ねぇ。少し早く生まれただけで、俺と大して変わらんだろ?」
「だとしてもだ、オズマ」
ヴィクトルの声に剣呑な響きが混じる。オズマは観念したように「はいはい、分かったよ、兄上」と投げやりな敬称を口にした。
「それで何の用だ。くだらぬ用向きなら、この場で切り捨てる」
ヴィクトルが腰の剣に手をかけると、オズマは呆れたように首を振った。
「一々剣に触んなよ、冗談に聞こえねぇ。……まぁいい。どのみちお前が剣を抜きそうな話だ」
オズマの表情から余裕が消える。
「ハシムのことだ。父上も言っていたが……お前はハシムに怯えすぎだ」
「……私が怯えているだと?」
「ああ、自覚はあるだろ。お前が一番知っているはずだ。あの事件が起きる前、ハシムは誰に対しても分け隔てなく接する、笑顔の絶えない少年だった。だが、目覚めてからのアイツは人が変わった。今のアイツは明らかに復讐のために動いている。そうなった原因に、お前なら心当たりがあるはずだ」
ヴィクトルは表情を消し、沈黙を貫く。
「話す気がないならいい。だが、俺はハシムの味方をするぜ。たぶんクラークも同じだ」
「……言いたいのはそれだけか? ハシムを次代皇帝に推挙すると、そう言いたいのか」
「飛躍させすぎだ。俺やクラークがいる以上、それは現実的じゃねぇ。俺が言いたいのは……あいつの復讐には正当性があるってことだ」
「本気で言っているのか?」
ヴィクトルの目が、生気を失った冷たい光を放つ。
「残念だよ。お前は本気でアレに情が湧くのだな」
「おい……! 本気か! 超えるべき一線くらい弁えろ!」
オズマが声を荒げる。しかし、ヴィクトルは嘲笑うように返した。
「ああ、本気だとも。お前も知っているはずだ。ヤツの『神託の儀』で何が起きたのか」
「それは……」
オズマが言葉を詰まらせる。
「神託の儀。歴代の皇帝家が大聖堂で行ってきた伝統だ。神官が皇子の歩むべき道を示す……。大半は政治的干渉を狙った退屈な代物だ。だが、ハシムの時だけは違った。神託を受けた神官は、あの子が世界に災厄を引き起こすと言い、その場でハシムを殺そうとした」
ヴィクトルの言葉が廊下に響く。
「父上が神官を斬り捨てて収まったが、あれでお前も分かったはずだ。アイツは人の形をしたなにかだ」
「……だが、あの神官が狂っていただけだろ?」
「それは後付けだ。あの男は三十年以上神に身を捧げ、誠実の塊のような男だった。命を捨ててまで皇子殺しの汚名を着ようなど、正気ではできん」
オズマは何も言い返せず、ただ兄を見つめることしかできなかった。
「もう分かっただろう。アイツに掛けるべき情などない。人ではないのだからな」
立ち去ろうとするヴィクトルの背に、オズマが最後の問いを投げた。
「最後に一つ聞かせろ。アイツに毒を盛ったのは、お前か?」
ヴィクトルは振り返らず、口角を吊り上げた。
「分かりきったことを聞くな」
その一言を残し、彼は闇に消えるように去っていった。
一人残されたオズマが、大きく息を吐き出す。
「これで満足か、クラーク?」
廊下の曲がり角から、片眼鏡を光らせたクラークが姿を現した。
「ご苦労様でした」
わざとらしい拍手を送る弟に、オズマは頭を掻く。
「まったく、俺にこんな役回りをさせるな。面倒くせぇ」
「そう言いながらやってくれるから、頼り甲斐があるんですよ、兄上」
「……都合の良い時だけ可愛げのある弟になりやがって」
毒づくオズマだったが、その声には身内への情が滲んでいた。
「さて、あの男の本音が聞けたわけですが……兄上はどうしますか?」
「さてな。俺にできるのは軍を動かすことだけだ。だが、父上の命令がなければ三割も動かせんだろう」
「それでも十分な気もしますが……」
クラークが静かに呟く。
「お前はどうなんだ?」
「私は、別に何も。動くにしても不確定要素が多すぎます。ヴィクトルもハシムも未知数。それにヒシャーム家、さらには他国も絡んでくるでしょう」
「ヒシャーム家か……。厄介なのを忘れてたぜ」
オズマが顔を顰める。
「いずれにせよ、事態が大きく動くのは、父上の今後に関わる時でしょうね」
「はぁ……そうなっちまうか」
二人はそれぞれの思惑を胸に、別々の方向へと歩き出す。
帝国と皇帝、そして皇子たち。
大陸最大の国家を待ち受ける運命は、まだ誰の目にも見えてはいなかった。




