第24話 喉元の刃
披露宴会場を後にしたカーチスは、イリーナと従者を伴い廊下を進んでいた。
壁に灯された蝋燭からは甘い香りが漂い、窓から吹き込む風が、床に撒かれた花びらを艶やかに舞い上がらせる 。本来ならば祝福に満ちた光景のはずだが、イリーナはそれを見ることなく、ただ俯いて男の後を追っていた 。
「随分と浮かない顔だな、イリーナ」
カーチスに声をかけられ、彼女はハッと顔を上げた。
「い、いえ、そのようなことは……」
「受け入れがたいのは分かる。だが、もうその段階はとうに過ぎた。今夜からは我が妻なのだ。それを自覚してもらわねば困る」
ニヤリと下卑た笑みを浮かべるカーチスに、イリーナは消え入りそうな声で「はい……」とだけ答えた 。
一行が廊下の突き当たりにある部屋に辿り着くと、使用人が重厚な扉を開け放った。
部屋の中央には花びらが散らされた天蓋付きのベッドが鎮座し、月明かりと蝋燭の火が室内を妖しく照らし出している 。
「さあ、イリーナ」
促された彼女は深呼吸し、覚悟を決めたように一歩を踏み出した。カーチスは机の上の酒瓶からグラスに酒を注ぎ、彼女に差し出す 。
「さて、まずは一杯どうだ?」
「……頂きます」
イリーナは差し出されたグラスを見つめた後、一気に飲み干した。しかし、慣れない強い酒に喉を焼かれ、激しく咽せ返ってしまう 。
「フッ、もう一杯どうだ? 酒の力を借りれば、破瓜の痛みも少しはマシになるかもしれんぞ」
ゲスな笑い声を上げるカーチスを前に、彼女は口元を押さえて首を振るのが精一杯だった 。
「そこに横になれ」
命じられるまま、イリーナはベッドの中央へ仰向けに横たわった。
満足げな表情で服を脱ぎ始めたカーチスは、卑俗な話題を口にする 。
「そういえば聞いたぞ。お前の二人の妹、大変な目に遭ったそうじゃないか。一人は犯されかけ、もう一人は誘拐。姉妹揃って貞操の危機とはな」
「ど、どうしてそれを……」
「フッ、皆言わないだけで知っているものだよ」
イリーナが驚愕に目を見開くと、カーチスはさらに言葉を重ね、彼女に覆いかぶさった 。
「イリーナ、お前はどうなんだ? てっきりあの皇子と既に済ませていると思っていたぞ」
「ハシム殿下とは……何もありません!」
必死の否定を鼻で笑い、カーチスはイリーナの両足を強引に割り広げた。秘部に当たる男の荒い息。イリーナは本能的な恐怖に震え、固く目を閉じる 。
脳裏をよぎるのは家族の顔、そしてハシムの姿。目の前で醜悪な欲望を剥き出しにする「それ」を人と思えなくなった瞬間、彼女の防衛本能が爆発した 。
「いや……!!」
渾身の力で振るった手が、カーチスの頬を叩いた。
生まれて初めて他人に手を上げられたカーチスは、呆然と自分の頬に触れたが、すぐに激昂して彼女の両手を抑え込む 。
「やってくれたな……! だが、無理やりというのも嫌いではないぞ!」
覆いかぶさる巨体。イリーナは絶望の中で意を決し、再び秘部に手をかけようとしたカーチスの股間を、力任せに蹴り上げた 。
「がっ……!!!」
悶絶するカーチスを突き飛ばすと、彼は勢いよくベッドから転げ落ちた。声にならない呻き声を上げる男を、イリーナはシーツを抱きしめながら、怯えと怒りの混じった目で見つめる 。
「この女……何処までも……。このことは父上に報告させてもらう!」
股間を押さえ、よろめきながら部屋を出ていくカーチスの後ろ姿を見送り、彼女は初めて深く息を吐いた 。
事態が急変したのは、それから間もなくだった。
乱れた着衣のまま披露宴会場に現れたカーチスは、エドワード王や来賓たちの前で醜態を晒しながら喚き散らした 。ハシムはその様子を口元を隠して眺めていたが、その瞳には冷徹な笑みが浮かんでいた 。
「これも殿下の予想通りですか?」
ヒューゴの問いに、ハシムは表情を戻して答える。
「まさか。人の行動などそう簡単に操れるものではないさ」
そんな姿にヒューゴは恐れを抱きつつも、ある事を話し始める
「しかし、他人の初夜を見張れなどと……。こんな事になるなら、引き受けませんでしたよ、殿下」
「ヒューゴさん……、そんな事していたのですか……。最低です……」
ヒューゴの言葉を聞いていたシシリーがドン引きする
「いや、命令されて仕方なく……。俺だって!他人のを見るくらいなら、自分で……」
そう言い掛けるヒューゴに、フウカは「さいてー」と棒読みで答える
シシリーとフウカの視線が、嫌と言うほど刺さったヒューゴは狼狽える
「というか……!ガキンチョはとっくに寝る時間だろうが!さっさと寝ろ!」
「だって眠く無いし、これからおもしろくなりそうだし」
逆ギレしたヒューゴは「知るか、いいから黙って寝ろ!」そう言って、フウカに掴みかかろうとするが、素早い身のこなしで躱されるのだった
やがて、王妃や姉妹に守られるようにして、イリーナが階段を降りてきた。会場の空気が一変する 。
「カーチス王子、エドワード王。此度の一件、誠に申し訳ない」
父ベイザルが深く頭を下げる。しかし、収まらないカーチス王子は、テオドールが守るように立ちはだかってもなお、彼は叫び続けた 。
「父上! これは屈辱です! もはや戦争しかありません!」
「この馬鹿者が! 戦争などと軽々しく口にするな!」
エドワード王は息子を叱責し、旧友であるベイザルとの和解を図ろうとした。
王たちが抱き合い、事態が収束に向かおうとしたその時――カーチスの放った「言葉」が、全てを台無しにした 。
「この女……! お前のような女は奴隷にして売り飛ばしてやる! お前だけじゃない、姉妹まとめてだ!!」
その言葉に、誰よりも速く反応したのはハシムであった 。
ハシムは閃光のような速度で駆け出すと、すれ違いざまに衛兵の腰から剣を奪い取った 。
そのままカーチスを押し倒し、その喉元に切っ先を突きつける 。
「うわああああああ!!!」
カーチスの悲鳴で、凍りついていた会場が騒然となる。詰め寄る衛兵たちを背後に感じながら、ハシムは冷ややかに王子を見下ろした 。
「殿下! なにを……! 落ち着いてください!」
ベイザルの制止も、ハシムには届かない。背後から襲いかかってきた衛兵を、ハシムは最小限の動きでいなし、柄で打ち据え、あるいは剣を叩き折って、瞬く間に三人を無力化した 。
「王子、話の続きを聞かせていただけますか?」
「は、話す! 何でも話すから命だけは!」
「先ほど、三姉妹を奴隷として売り飛ばす……と仰いましたね」
ハシムは会場全体に聞こえるような大声で続けた。
「三姉妹の一人、ソフィア様は私の婚約者となるお方。その婚約者を侮辱され、黙っていられる男がいるでしょうか?」
大袈裟な身振りで正当性を訴えるハシムに、来賓たちの間から「確かにその通りだ……」「カーチス王子は言い過ぎだ……」と同意の声が上がり始める 。
空気の支配を確信したハシムは、カーチスに三姉妹への謝罪を強要した 。
「……失言を、謝罪する……」
震える声で擦り付けるように頭を下げた王子を見て、ハシムは満足げに剣を捨てた。
「お騒がせしました」
優雅に一礼するハシム。会場には、到底披露宴とは思えない重苦しい静寂が残された 。
深夜。人気のない二階テラスで、エドワード王とベイザル王は二人きりで星空を眺めていた 。
「ベイザル。今回の件で、我が国の主戦派は報復を求めるだろう」
「ああ……そうなるだろうな」
「ならば、二人だけで決めておきたい。これから俺たちが行うのは、国を巻き込んだ『壮大な茶番劇』だ」
互いの国を守るため、あえて道化として戦う。二人の王が交わしたその秘密の決意を、陰でフウカが聞き届けていた 。
帝国暦四九八年八月。
この日の騒動をきっかけに勃発したレークランド・ウェルシュ間の戦争は、ハシムの手により、王たちの予想を遥かに超える方向へと動き出すことになる 。




