第20話 黒幕
一夜明け、ハシム一行は国境門を出立する準備で慌ただしく動いていた。
「うぅぅ……、頭が……」
明らかな二日酔いで頭を抱えるアンジェに、スレイが涼しげな表情で告げる。
「飲み過ぎるからですよ」
「スレイも結構飲んでなかった……?」
「自分は隊長と違い、自制ができます。すべてあなたの自業自得です」
スレイが切り捨てると、アンジェは「ぐっ……」と言葉を詰まらせた。彼女は正論を言われた腹いせか、スレイの髪をぐしゃぐしゃとかき乱し始める
スレイは「止めてください」と抗うが、アンジェは聞く耳を持たず、楽しげに手を動かし続けた。
「朝から楽しそうだな。私も混ぜてくれるか?」
ライラを伴ったハシムが、皮肉を込めて声をかけた。
「あ、殿下! おはようございます!」
アンジェは即座に手を止め、何事もなかったかのように敬礼する。スレイも慌てて乱れた髪を整え、その隣に並び直した。
「アンジェ、準備は?」
「ばっちりです!」
力強い返答に、ハシムは満足げに頷いた。
「しかし殿下も災難でしたね。一日で終わるはずの送迎が、日を跨ぐことになるとは……」
アンジェの言葉に、ハシムは「仕方のないことだ」と淡々と返す。
「想定外の事態というのは、往々にしてあるものだ。大事なのは、それらにどう対処するかだ」
「さすがは殿下です」
隣でライラが称賛すると、アンジェはスレイに耳打ちした。
「あそこまで褒めると、一周回って皮肉じゃない?」
「知りませんよ……」
にべもなく返される。ふと前を向くと、ライラが笑顔でこちらを見つめていた。アンジェはその視線に気圧され、素早くその場を立ち去った。
スレイは呆れつつも、ハシムに本題を切り出す。
「ところで殿下、今回の事件には黒幕がいるとのことですが、目星は付いているのでしょうか?」
「いや、黒幕についてはまだだ。だが、繋がりそうなやつなら心当たりがある」
「それは、捕まったあの者でしょうか?」
ライラの視線の先では、衛兵に連れられた男が馬車に乗せられようとしていた。
「いや、あの男とは別に、事件に関わった者がいる。いずれ問い正すとしよう」
「やはりそうでしたか……。まあ、誰かは簡単に見当がつきますが」
スレイの言葉にライラも同意するように考え込み、不安げにハシムを見上げた。
「殿下は、その者をどうなされるおつもりですか?」
「さてな……。相手の出方と、黒幕の正体次第だ」
ハシムの曖昧な答えに、ライラはそれ以上踏み込むことができなかった。
「殿下、おはようございます」
ソフィアが現れると、ハシムは胸に手を置き、丁寧に頭を下げた。
「おはようございます、ソフィア様。お加減はいかがですか?」
「ええ、問題ありません」
「それは良かった」
ハシムは安堵の息を吐く。傍らではライラとキュリーも挨拶を交わしていた。
「昨日は眠れましたか?」
「ええ、それはもうグッスリと!」
満面の笑みで返すキュリーだったが、それを見つめるライラの表情はわずかに曇っていた。
そこへ、スヴェン大使と眠そうな顔のゼインが合流する。
「殿下、姫様、おはようございます。王都までの道のり、ご一緒させていただいてもよろしいでしょうか?」
「ぜひ」
ハシムとソフィアが微笑みながら快諾すると、大使は「はは、それは良かった」と声を弾ませた。
「しかし昨日は大変でしたな……。殿下のご尽力がなければ、今頃どうなっていたか」
「ええ、本当に……」
ソフィアは同意しつつも、どこか不安げな表情を浮かべる。大使が体調を気遣うが、彼女は「大丈夫です」と控えめに感謝を伝えた。
「よう、元気そうだな。酒の影響もなさそうで羨ましい限りだよ」
ゼインが欠伸をしながら話しかけてくる。
「ああ。俺はお前ほど飲むような馬鹿じゃないからな」
辛辣なハシムの言葉を受け流し、ゼインは再び大きな欠伸を漏らした。
一行は馬車に乗り込み、王都へと向かった。道中は特に問題もなく、昼過ぎには王都へ到着。城門前ではテオドールを除く王族一同がソフィアを温かく迎え、大使を歓迎するささやかな食事会が催されるのだった
その夜。ハシムはティナに呼び出され、訓練所へと足を運んでいた。
「殿下、もう一度聞きます」
ティナの声には怒気が含まれていた。ハシムと対峙する彼女の瞳には、敵意にも似た感情が宿っている。
「本当に殿下の仕込みではないのですね?」
「ええ。この世のありとあらゆるものに誓って」
ハシムは動じることなく即答する。
「その言い方ですと、逆に軽く見えますが……」
ティナは目を閉じ、しばし沈黙して思考を整理した。
「分かりました……。今は殿下を信じましょう」
「ありがとうございます」
「しかし、今回の事件、一体誰が何の目的で仕組んだのでしょうか?」
「それについてはこちらで調査しておきます」
ハシムが請け負うと、ティナは納得したように頷いた。
「分かりました、お任せします。実は今夜、ソフィアと寝る約束をしておりまして……。今宵はここまでにしましょう」
ティナが立ち去ろうとすると、ハシムは胸に手を当てて一礼した。
「おやすみなさいませ」
「ええ、殿下もお早くお休みになって。今宵は良い逢瀬でした」
ティナはいたずらっぽく笑い、暗がりの向こうへと消えていった。
訓練所に一人残ったハシムは、静かに息を吐いてから口を開いた。
「さて、聞いた通りだ。今回の事件には黒幕と実行犯以外に、もう一人の協力者がいる」
「その協力者は、被害者という立場で誰からも疑われることなく、事件を側で見続け、不測の事態に備えていた」
「そうだろ? 第三王女付きのメイド、キュリー」
ハシムが視線を向けた回廊の影から、キュリーが姿を現した。
「一体、何のことでしょう……」
とぼけるキュリーに、ハシムは淡々と続ける。
「誤魔化す必要はない。もう分かっていることだ」
「殿下、私はただライラさんに呼び出されて……」
「ライラなら、もうここにいる」
ハシムが示した方向に、月明かりを浴びたライラが立っていた。キュリーは思わず「ライラさん……」と声を漏らす。
「ライラ、こちらへ。共に話をしよう」
ハシムの隣に歩み寄ったライラは、悲しげにキュリーを見つめた。
「ごめんなさい、キュリー……。もう、すべて分かっています。ですからどうか、本当のことを話してください」
キュリーはしばらく俯いていたが、やがて覚悟を決めたように顔を上げた。
「分かりました……。殿下たちがなぜそう思われたのか、お聞かせください」
キュリーがハシムと向き合うと、彼は静かに語り始めた。
「まず前提として、今回の事件そのものが起きるはずのない事件だった、ということです」
「それは、どういう……?」
「まず大前提として、王族を誘拐し身代金を取るなどいう、発想自体が正気ではない。実行に移すには障壁が多く、成功する見込みがない。にも関わらず、事件は起きた……」
ハシムは冷徹な眼差しで続ける。
「黒幕も、誘拐が成功するとは思っていなかったはずだ」
「どうして、そう思われるのですか?」
「黒幕の目的は、私に対する警告や挨拶だったのでしょう。だが不運にも、私が目を離した隙に警備が薄くなり、誘拐が成立してしまった。これは完全に私の落ち度だ」
「殿下のせいでは……」
自嘲気味に呟くハシムをライラが庇おうとするが、彼は手でそれを制した。
「とにかく、あんたは情報をあの男に渡しただけだ。だが、誘拐という事態まで起きることは知らされていなかった。違うか?」
「はい……。私はあくまで王族の動向を知らせただけです。誘拐なんて危険なことにソフィア様を巻き込むと知っていたら、情報なんて渡しはしません!」
「キュリーの言葉は本心だと、私は思います。殿下」
キュリーの叫びは切実だった。ライラもその言葉が本心であることをハシムに告げる。
「あんたのソフィア様への忠誠を疑うつもりはない」
ハシムは一拍置き、声を低めた。
「だが、ここからの話はあんたにも関わる。先ほど、誘拐現場で捕らえた男が脱獄した。協力者の有無は不明だが、私はそいつを咎めるつもりはない。それが仕事だろうからな」
ハシムの鋭い指摘に、キュリーは沈黙を貫く。
「内通者が衛兵だけでなく、囚人に接触できた者の中にもいる。食事の配膳をしに来たメイドだ」
ハシムはキュリーの瞳を覗き込むように問いかけた。
「合鍵や道具を渡すことは容易だったはずだ。そのメイドが誰か、給仕係に聞けばすぐに分かるだろうが……あんたはどう思う?」
「……私です」
観念したように、キュリーが小さく答えた。
「やはりな。思った通りだ」
「殿下は……私をどうされるおつもりですか?」
震える声で問うキュリーに、ハシムは微笑を浮かべて答えた。
「なにもしない」
「なにも……しない?」
「私が罰を下したいのは黒幕だ。使い捨ての駒をいちいち処罰してどうなる? あんたを罰するかどうかは、ソフィア様かベイザル王が決めることだ。自首したいなら止めはしないが、その際は私が内通を知っていたことは秘匿してもらう。分かってもらえたかな?」
その言葉を聞いたキュリーは深く頭を下げ、去っていった。しかし、その別れ際にハシムが放った一言が、彼女を驚愕させた。
「――ウェルシュの王子によろしくな?」
キュリーの姿が消えると、ライラが深く頭を下げた。
「殿下、ありがとうございました」
「何を感謝している? 私は自己満足のために内通者を糾弾しただけだ」
「たとえそうだとしても、殿下によって彼女は救われました」
「おかしなことを言う。あの糾弾が救済に見えたのか?」
「はい」
ライラの即答に、ハシムはフッと鼻で笑った。
「異な事を言う……。そう思いたいなら勝手にすればいい。いずれにせよ、あのメイドにもう価値はない。黒幕もそれに気づくだろう」
「そして、キュリーは役目から解放される……。そうですね、殿下」
「さて、何のことだか」
ハシムはそれ以上語らず、ライラを連れてその場を後にした。
数日後。ハシムは城の廊下で、ある人物とすれ違った。
それはテオドール王子であった。一ヶ月間牢屋で過ごしたためか、髪は伸び放題で無精髭を生やし、使用人に支えられながらふらふらと歩いている。
ハシムが深く頭を下げて見送ろうとすると、テオドールが足を止めた。
「どうも殿下……。随分とお久しぶりで……」
彼は使用人を下がらせ、不安定な足取りながらも独りで立った。
「久方ぶりでございます、テオドール王子。お体の加減はいかがですか?」
「ええ、おかげさまで」
テオドールは含みのある声で答える。
「私がいない間、随分と色々なことがあったようで……」
「そのようで」
「ですが、殿下にはまず感謝を述べたい」
そう言うと、テオドールはハシムに向かって深く頭を下げた。予想外の行動に、ハシムも、そしてテオドールの使用人さえも困惑する。
「頭を上げてください、テオドール王子。なぜそのようなことを……」
「結果的に、殿下は私の二人の妹を二度の危機から救ってくださった。……たとえそれらの事件が胡乱な企みであったとしても、私はあの者たちの兄だ。妹のために謝意を述べるのは、至極当然のことだ」
テオドールの言葉に、ハシムは返す言葉を失った。
頭を上げたテオドールは、再び使用人に支えられながら去っていった。
その後、廊下に取り残されたハシムに、ライラがそっと声を掛ける。
「……あの者も一人の人間、ということでしょうか?」
「どういう意味だ」
「どんな者であっても子を愛さない親はいない、というように。あの王子も、妹を愛する一人の兄だったということでしょう」
ハシムは鼻で笑い、切り捨てた。
「ありえないな。子を愛せない親がいるように、兄弟を愛せない者もいる。お前は我が兄ヴィクトルが、本気で俺に情を抱いていると思うのか?」
「それは……」
「それが答えだ。お前だって、親から寵愛を受けていると思ったことが一度でもあるのか?」
ハシムの鋭い問いに、ライラは何も答えられなかった。落胆する彼女を見て、ハシムはわずかに表情を和らげる。
「すまない、親の話はすべきではなかったな」
「いえ……わたくしも同じです」
二人の間に、重々しい沈黙が漂った。




