第18話 鏖殺
それから十分と経たぬ頃、一人の男が教会へと飛び込んできた。
「か、頭! 大変です!」
「さっきからうるさいぞ。皇子を始末してしまった……なんて報告を聞く気はないぞ」
飛び込んだ男は「ぎゃ、逆です!」と、必死に状況を説明しようとする。
「逆? どういう意味だ?」
「そ、それが……」
男が口を開きかけた瞬間、教会の窓が叩き割られ、割れたガラスと共に死体が突き刺さった。
その光景に、男は「ひっ」と短い悲鳴を上げ、入口の扉へと視線を向ける。
半開きの扉には、血を流した男がもたれかかっていた。何かを言いたげに口を動かすが、声になる前に力尽き、絶命する。
すると、もう一方の扉も乱暴に開かれ、そこからハシムが姿を現した。
報告に来た男は背中を向け、ハシムから逃げるように床を這いずる。
ハシムは無機質な足取りで男を追い、教会の中心で追いつくと、「た、たすけ……」と懇願する男の喉を、背後から無慈悲に突き刺した。
刺された男は、悲鳴にもならない音を漏らして絶命した。
「う、うそだろ……。お前……、全員を殺したのか……?」
信じられないといった様子の首領に、ハシムは「ああ」とだけ返し、死体から剣を引き抜くと、血を拭うように剣を振る。
「な、何人いたと思ってんだ! こっちだって、素人の集まりじゃねえんだぞ!」
目の前の光景を受け入れられず、喚き散らす首領。ハシムは淡々と告げた。
「十六」
「は……?」
「殺した人数だ。あとは目の前のあんたを含めた三人と、教会裏の一人で、ちょうど二十人だ」
衝撃的な言葉に、首領は言葉を失う。
「う、うそだろ、裏にいるやつまで……」
「ありえない……」
首領の隣に立つ取り巻きたちも、戦慄に声を震わせる。ハシムはそれらを無視し、一歩踏み出した。
「く、来るんじゃねえ!! こっちには人質がいるんだぞ!!」
首領は短剣を抜き、ソフィアを盾にするように突きつけた。取り巻きも石弓を装填し、ハシムを狙う。
「で、殿下……」
目隠しをされたソフィアは、震える声で助けを求めた。
「それ以上一歩も動くな! 動けば人質がどうなるか……」
「分かった。これ以上前に進むのはやめよう」
ハシムが素直に従うのを見て、首領は「そうだ、それでいい……」と安堵の息を吐く。
だが、続くハシムの言葉に驚愕した。
「――だが、攻撃は止めない」
「はぁ? ふ、ふざけるなよ!」
「そこから何ができるってんだ!」
取り巻きたちが口々に罵る中、ハシムは腕に巻き付けていた紐を外す。
「紐? ははっ、そんなもので何ができる。ふざけるのも……」
言いかけた取り巻きの額に、突如飛来した石がめり込んだ。男は悲鳴を上げる暇もなく、後ろへと倒れ込む。
ハシムは冷ややかな目でそれを見下ろし、吐き捨てた。
「これだから、教養のない連中は」
「う、うああああ!!!」
もう一人の取り巻きが絶叫しながら石弓を放つ。ハシムは最小限の動きで矢を躱すと、すかさず反撃の一撃を放ち、もう一人も絶命させた。
「さて。この場に残っているのは、あんた一人だけだが……どうする?」
鋭く睨みつけるハシムに、首領はソフィアを連れて後ずさる。
「く、来るんじゃねえ! 人質がどうなってもいいのか!!」
「逆に聞くが、あんたは人質に何をする気だ?」
「はぁ? 何をいきなり……」
ハシムの意図が分からず、首領が困惑する。
「簡単な質問だ。俺が近づけば、あんたは人質に何をする?」
「そ、そんなの! 殺すに決まってんだろ!」
「それで、殺した後はどうする?」
ハシムの淡々とした追及に、首領はさらに混乱を深める。
「はぁ? どういう意味だ……」
「分からないようなら、はっきり言ってやる。あんたが今も生きていられるのは、その人質のおかげだ」
ハシムは投石紐に石を乗せ、ゆっくりと回し始めた。
「あんたが人質を殺そうが解放しようが、俺があんたを殺す事実は変わらない。つまり、あんたはもう詰んでいるんだよ」
「生き残る術はもう無い。人質を解放して殺されるか、人質を殺して確実に殺されるか。選べ」
ハシムの声が教会内に冷たく響く。
「ソフィア様。どうか私を信じ、そのままで」
ソフィアはハシムの言葉を信じ、ただ黙って頷いた。
「ふざけんな……、ふざけんなよ……」
首領は小声で呪詛を吐いていたが、やがて覚悟を決めたように前を向くと、突然ソフィアを突き飛ばして裏口へと走り出した。
その動きをハシムは見逃さない。走り出すと同時に石を放つ。放たれた石はソフィアのすぐ傍を通り抜け、首領の後頭部を正確に撃ち抜いた。
同時に駆け出したハシムは、床を滑り込みながら、転倒しかけたソフィアを抱き止める。
「大丈夫ですか? お怪我はありませんか?」
「ありません殿下!」
抱きかかえられたソフィアは、嬉しそうに返した。
ハシムは短剣を取り出し、ソフィアを縛っていた縄を解く。
目隠しを外されたソフィアは、ハシムの顔を見るなり瞳を潤ませ、その胸に飛び込んだ。
「殿下、ありがとうございます……。わたし……」
「よいのです。ご無事でいてくれただけで……」
しばらくの間、ソフィアはハシムの胸で静かに涙を流した。
「もう、よろしいのですか?」
ハシムに問いかけられ、涙を拭ったソフィアが「はい」と答える。
「あ、キュリーも助けませんと」
「ええ、そうですね。少々お待ちください」
ハシムは教会の奥へ向かい、拘束されていたキュリーを見つけて解放した。
「大丈夫ですか?」
「はい、助かりました……」
ハシムがキュリーの手を取って立たせ、ソフィアの元へと連れて行く。
「キュリー!」
「姫様!」
二人は互いに駆け寄り、抱き合った。
「キュリー、大丈夫ですか? 怪我はありませんか」
「大丈夫です姫様、私は元気です!」
キュリーが力こぶを作ってみせると、ソフィアは安心したように微笑む。そんな睦まじい光景を見ながら、ハシムは一人思案していた。
「ひとまず、ここを出ましょう」
ハシムの言葉に二人が振り返る。
「そうですね……」
「それで、一つ姫様にお願いがあるのですが……」
ハシムが恐縮した様子で切り出した。
「何でしょう?」
「正直に申し上げますと、教会の外は、《《少々見苦しい状況になっています》》」
「……」
「ですので、どうか目隠しをしていただくか……私が抱き上げますので、他の景色を見ていていただけませんか」
その提案に、ソフィアは考え込む。キュリーもまた、ハシムの意図を察して同調した。
「姫様、私からもお願いします」
「キュリーまで……」
ソフィアは、壁際に転がっている誘拐犯の死体に目を向けた。そして、扉の先に広がるであろう光景を想像する。
それは自分を助けるために、殿下が手を汚してくれた結果なのだと。
死体を見せないよう配慮してくれるのは、これ以上自分に心の重荷を背負わせまいとする、彼の優しさなのだと気づく。
「分かりました……。殿下がそう仰るなら……」
「ありがとうございます。では」
ハシムがソフィアを「お姫様抱っこ」の体勢で抱き上げると、彼女は頬を赤く染めた。
「で、殿下……、恥ずかしいです……」
「どうか辛抱してください。すぐ終わりますから」
そのやり取りを見て、キュリーが小さく呟く。
「おんぶじゃないんだ……」
ハシムが歩き出す。ソフィアは言われた通り、ハシムの端正な顔を見つめ続けた。
教会の扉を開けて外に出ると、傾き始めた夕日が、世界をオレンジ色に染めていた。
しかし、その美しい日差しとは対照的に、足元には死屍累々の惨状が広がっている。
血の匂いに誘われた鳥たちが、死体を啄んでいた。
「こ、これは……」
「参りましょう」
キュリーが絶句する中、ハシムは自身が作り出した光景に眉一つ動かさず、ただ前だけを見て歩き続けた。
しばらく行くと、前方に馬車と数人の人影が見えてきた。
「お待ちしておりました、殿下」
出迎えたのはアンジェだった。その隣にはスレイの姿もある。
「手間をかけさせたな」
「いえいえ。殿下も姫様もご無事で何よりです」
ハシムはソフィアを抱えたまま馬車の後方へ回り、荷台へと座らせた。続いてキュリーも乗り込む。
「あとは頼む」
ハシムが御者に告げると、ソフィアが不安げに尋ねた。
「殿下は?」
「私は一旦残って事後処理をします。すぐにまた会えますよ」
ハシムがソフィアの手を握ると、彼女は頬を染めながら強く握り返した。
「待っています、いつまでも」
その言葉に、ハシムは力強く頷いた。
沈みゆく夕日の向こうへ消えていく馬車を、ハシムは見送る。
「さて。後片付けだ」
「いやぁ、大変そうだなぁ……」
死体が転がる惨状を見渡し、アンジェがぼやく。
「だが、その前に……」
ハシムが言いかけると、「こいつでしょ?」と、男を連れたフウカが現れた。男は目隠しをされ、後ろ手で拘束されている。
「なんだ、もう捕まえていたのか」
「なにそいつ」と尋ねるアンジェに、スレイが答えた。
「おそらく、裏口にいた者でしょう」
「へぇ、よく分かるねスレイ」
「簡単な話ですよ。殿下が一人残らず皆殺しにした場にいて、生き残れるはずがない。となれば、視界に入らない場所にいた者だと察しがつきます」
「そんなことで威張られても……」
スレイが誇らしげに胸を張るが、フウカが小声で釘を刺す。
フウカは拘束された男を跪かせ、ハシムに問いかけた。
「それで、どうするのコイツ」
「捕虜など今更必要ない。始末しろ」
「わかった」
短く応じたフウカが、男の喉元を短剣で静かに切り裂いた。男は悲鳴を上げることなく、その場に倒れ込む。
「ちょっと、ここで斬らないでよ。まだ墓穴を掘ってないのに」
広がる血溜まりを見てアンジェが文句を言うと、「そういう問題ですか?」とスレイが困惑気味にツッコむ。
「しかし殿下、よろしいのですか? 捕虜を取らなくて」
「必要ないと言ったはずだ。今回の件は目撃者が少なければ少ないほど都合が良い」
ハシムの断言に、スレイはそれ以上何も聞かなかった。
「それに、捕虜ならすでにいる」
「どこに?」
「誘拐の後に来た、自称交渉人だ。あれは明らかに、誘拐犯の首領とは別の指示で動いている」
アンジェが「へぇ~、そうだったんだ」と感心する横で、スレイが呆れたように言った。
「気づいていなかったんですか……。誘拐が成功しようが失敗しようが、捕まれば極刑は免れないのに、わざわざ姿を現すなんて普通じゃありませんよ」
「ああ。だから城に戻り次第、奴と楽しいお茶会を開こうと思う」
ハシムがニヤリと不敵に笑うと、アンジェが「わ~い」と楽しげに声を上げる。
「あまり人を痛めつけるのは、好きではないのですが……」
「今更、潔白を気取るなよ」
フウカに釘を刺され、スレイは「っ……。ああ、分かっている……」と苦々しく答えた。
「しかし、この人数を埋葬するのは骨が折れますね……」
「ぼやいても始まらないし、さっさとやっちゃうよ」
アンジェはそう言うと、屈み込んで死体を探り始めた。
「ちょっと隊長! 何をしているんですか!」
「何って? 死体漁りだけど?」
「見れば分かりますが! 倫理的に……」
「真面目なのは結構だけど、今の私達は正規軍じゃないんだよ? 指揮官の殿下が何も言わないなら、問題ないでしょ」
アンジェはスレイを見据えて続ける。
「スレイ、清廉潔白じゃ、この先は生きていけないよ」
スレイはしばらく考え込んだ後、「分かりました……」と渋々、死体の探索に加わった。
「そうそう、それでいいんだよ。上手くいけば、今日の酒代くらいにはなりそうだ」
アンジェは嬉々として作業を続ける。
数時間後、完全に日が沈みかける頃、ようやく作業が終わった。
「皆、ご苦労だった。今夜は存分に英気を養ってくれ」
ハシムの言葉に、一同は安堵してその場にへたり込む。
「しかし……殿下は化け物ですね」
スレイの言葉に、アンジェが「そう?」と返す。
「あれだけ戦って、事後処理まで手伝って、汗一つかいていないなんて。同じ人間とは思えませんよ」
「はは、たしかにね」
「ですが、それよりも……」
スレイは視線の先、部下と話すハシムを捉えた。
「あれだけ凄惨に戦ったのに、《《返り血が一切付いていない》》というのは、どういうことでしょう……」
ハシムの顔にも、服にも、汚れ一つ見当たらない。
「まさか……返り血の軌道まで計算しながら、皆殺しにしたというのですか?」
「……まぁ、そうなるだろうね」
淡白なアンジェの答えに、スレイは戦慄を覚えた。
「人を殺しながらそこまで考えられるなんて。異常を通り越して、やはり化け物だ……」
スレイが改めて視線を向けると、ハシムは真っ赤な夕日を背に立っていた。
その姿は、本物の血を浴びていなくとも、スレイの目には血塗られた修羅のように映るのだった。




