第11話 狩る者たち
ティナの身に起きている事態を知る由もないベイザルは、ガイウスを伴い狩りに興じていた。
「あぁ、外れたか……」
鹿を狙うも矢を逸らしたベイザルは、石弓をガイウスへと渡す。
ガイウスは慣れた手つきで再装填しながら、王の顔を覗き込んだ。
「考え事ですか、陛下? 随分と集中できていないようですが……」
「ワシは国王だぞ、悩み事などいくらでもある」
そう言って次の獲物を探しに森林を歩き出す。ベイザルは隣を行くガイウスに問いかけた。
「なぁ、ガイウス。あの者を見てどう思った?」
「あの者……? ああ、ハシム殿下のことですか。中々の好青年に見えましたが。陛下は何か疑っておいでで?」
「そういうわけではないが……。どうしても、ソフィアの相手に相応しいかをつい考えてしまってな……」
「やはり陛下は、イリーナ様のことで……?」
ガイウスの問いに、ベイザルはしばらく沈黙した。
「……ああ。一人の父親としては、娘たちには自由で幸せな人生を歩んでほしいと思う。だが王としては、国益に繋がる婚姻をさせねばならない」
立ち止まったベイザルは、額を押さえ苦悶の表情を浮かべる。
「イリーナをウェルシュ王家に嫁がせたが、相手がアレとはな……」
「陛下、心中お察しします。ですが、あの皇子ならばソフィア様ともお似合いでしょう。帝国との同盟はいずれ国益にも繋がります」
「……そうだな。今は、娘たちの幸せを祈ろう」
ガイウスの励ましを受け、ベイザルは再び歩き出す。しばらくの沈黙の後、彼は半笑いで尋ねた。
「なぁガイウス……。婚姻同盟の解消、できると思うか?」
「陛下、それはご自身が一番よく分かっているはずです。下手をすれば戦争に繋がると」
「ああ、わかっている。だが……どうしても、何かきっかけがあれば、とも思ってしまうのだよ」
ベイザルたちは尽きぬ悩みと共に、深い森の奥へと消えていった。
その頃、従者と共に残ったウルスラは、静かな草原を眺めながら茶を楽しんでいた。
「王妃様、紅茶をどうぞ」
ライラが差し出したカップを、ウルスラは丁寧に受け取る。
「ありがとう。とても美味しいです。この紅茶をいつでも飲めるとは、殿下が羨ましくなりますね」
ふふっと笑うウルスラに、ライラは深々と頭を下げた。
「そのようにお褒めいただけるとは、光栄です」
「ところで、ライラさん。あなたはいつから殿下の側に?」
「殿下が七歳の頃からになります」
「七歳……。そんな幼い頃から」
驚きつつ紅茶を置いたウルスラは、さらに問いを重ねる。
「では、幼少期の殿下はどのような方でしたか?」
「……七歳より前のことは分かりかねます。私が知っているのは、九歳からの殿下になりますので」
「九歳? 先ほどは七歳と……」
ライラはしばらく沈黙した後、重苦しく口を開いた。
「殿下は、七歳から九歳になるまでの二年間、昏睡状態でしたので……」
「昏睡状態……。なぜそのようなことに……?」
「この件は皇帝家の中でも、あまり触れてはいけないことになっております。どうかご容赦を……」
草原を冷たい沈黙が包み込む。ウルスラは疑問を飲み込むように、静かに紅茶を啜った。
静まり返った茶会の場で、ライラは古参の従者から聞いた噂を思い起こしていた。
――昏睡状態から目覚めてからの殿下は、まるで人が変わったようだったという。
一方、意識を失っていたティナは、重いまぶたを懸命に押し上げていた。
「うっ……」
微かな光が差し込む。視界の奥には、焚き火を囲んで談笑する男たちの姿があった。
「ん……?」
一人の男がティナの目覚めに気づき、歩み寄ってくる。
「目覚めたようだね、嬢ちゃん」
「あなた方は……?」
「俺たち? 猟師だよ」
男の背後では、ティナが追っていたはずの雄鹿が解体され、肉が焼かれていた。
「嬢ちゃん、倒れてたんだよ。覚えているかい?」
男の言葉に記憶を辿ると、徐々に直前の出来事が蘇ってくる。
「そのようです。助けていただき、ありがとうございます」
身を起こして頭を下げようとしたティナは、戦慄した。手足が、固く縛られていたのだ。
「……!! なぜ拘束するのですか!」
叫び声に気づき、他の男たちも集まってきた。
「なんだ、気づいたのか。早く言えよ」
「嬢ちゃん、縛ったのは悪かったと思ってるよ。でも、これも俺たちの安全のためなんだ」
「安全? どういうことですか」
男の一人が、ティナの持ち物である細剣をニヤリと笑いながら取り出す。
「嬢ちゃん、こんなオモチャを持つなんて危ないだろ?」
そこでティナは気づいた。男たちの格好が異常に汚いこと。そして、焼かれている肉が鹿ではなく――『犬』であることに。
「ピーター!」
叫び、必死にもがくティナを、男たちはヘラヘラと見下ろす。
「無駄だよ。おじさんたちは縛るのが得意なんだ」
「そういや嬢ちゃん、さっきあの犬のことをピーターって言ったか?」
しゃがみ込んだ男に、ティナは怯えながら頷いた。
「……なるほど。どこかで見た犬だと思ったら。そうか、ガイウスの犬か」
「ガイウス? あなたたち、ガイウスの知り合いなの……?」
「知り合い? あんな成り上がり野郎と知り合いとか、冗談だろ」
男たちは吐き捨てるように言った。ティナの顔から血の気が引いていく。
「……あなたたち、正規の猟師ではないの?」
「ああ。俺たちは猟師だ。ただし――『密』の付く方のな」
密猟者。その言葉にティナは絶句した。
「密猟は犯罪……、なんという事を……」
「あのなぁ。この国にどれだけの獲物がいるか分かるか? 俺たち庶民だって肉を食いたいんだ。だが正規の猟師から買えばどれだけの金がいる? だから俺たちは狩るんだ。家族や仲間のためにな」
「おいおい、あまり熱くなるなよ。嬢ちゃんが可愛そうだろ?」
開き直るリーダー格の男に、ティナは俯き沈黙する。
「あれ、でもガイウスの知り合いってことは……。この嬢ちゃん、かなり高貴な身分なんじゃ」
一人の不安げな声に、誰かが冗談混じりで返した。
「王女様だったりしてな!」
笑いが起きたが、それはすぐに凍りついた。ティナの反応が尋常ではなかったからだ。
「嬢ちゃん、名前は?」
「……ティナ」
その名を聞いた瞬間、男たちの顔色は青ざめた。
「おい、ティナと言えばこの国の第二王女じゃねえか!」
「まずいぞ、大罪人になっちまう!」
動揺が広がる中、リーダーが一喝した。
「黙れ! こうなっちまったもんは仕方ねえ」
リーダーは短剣を手に取った。一人が震える声で聞く。
「……解放するのか?」
「いや。解放すれば俺たちは絞首台送りだ。幸い、こいつが連れてたのはあの犬一匹だけ。……お前ら、わかるだろ?」
男たちは沈黙し、視線を逸らした。
「不運だったな。シカ狩りの途中でクマに遭遇するなんて話はよくある。そうは思わないか、嬢ちゃん?」
リーダーはゲスな笑みを浮かべ、震えるティナに覆いかぶさった。
「だが始末する前に、確かめておかねばなぁ。王族の女っていうのは、どんな感じなんだろうな!」
ティナの悲鳴が森に響く。縛られた身体では抗う術もなく、密猟者たちはただ背を向け、リーダーの暴挙を黙認していた。
絶望に光を失いかけたその時、鋭い声が響いた。
「貴様ら、何をしている!」
馬に乗ったハシムが姿を現した。凄惨な状況を一目で理解したハシムの瞳に、静かな怒りが宿る。
「貴様ら、ただで済むと思うなよ」
馬を降りたハシムに、密猟者たちは怯えたが、リーダーが再び制した。
「いまさら一人増えたところで何が変わる。始末するやつが増えただけだ。やるぞ、お前ら!」
男たちは棍棒を手に取り、ハシムを包囲する。
「囲んだ程度で勝てると?」
「思っちゃいないさ。だが俺たちも素人じゃねえ。この傷は、北方軍で付いたもんだ」
リーダーは顔の傷をなぞり、不敵に笑う。
「北方諸国は徴兵が義務でな。冬の間もひたすら訓練漬けの日々を過ごしたのさ。今でもその癖が抜けなくて困るんだよ」
男たちのボロ布の隙間からは、鍛えられた筋肉が覗いていた。
「なるほど、北方からの難民か。素人ではないことはわかった。だが、それでも負ける気はしない」
表情一つ変えないハシムに苛立ったリーダーが叫ぶ。
「なら、証明してみろ!」
一斉に襲いかかる密猟者。ハシムは短く息を吐くと、正面の男へ一瞬で間合いを詰めた。剣は抜かず、鞘のまま柄を腹部へ叩き込む。
男は言葉にならない嗚咽を漏らし、膝から崩れ落ちた。
「っ!?」
一瞬の出来事に怯む隙を与えず、ハシムは左右から迫る二人に対し、目にも止まらぬ速さで抜剣した。
「なっ……!?」
振り下ろされた棍棒は、当たる前に真っ二つに両断されていた。
動揺する男の首元を掴み、ハシムはそのまま投げ飛ばす。仰向けになった顔面に、拳が叩き込まれた。
「ま、待ってくれ! 頼む!」
最後の一人が腰を抜かし、地面を這いながら懇願する。
「あの女の子も『助けて』と懇願したはずだ。今のあんたのように」
ハシムの冷徹な視線が男を射抜く。
「だが、あんたは見て見ぬふりをした。代償は払うべきだ。……そうは思わないか?」
首根っこを引き寄せ、容赦のない拳を振るう。鼻血を噴き出し、男は気絶した。
「徴兵経験があっても、所詮は脱走兵か」
ハシムは拳の感触を確かめ、立ち上がった。残るはリーダー一人。
「さて。まだ戦うか?」
剣先を突きつけられたリーダーは、震えながらも棍棒を構え直した。
「負けを認めても絞首台だ……。なら、あんたに勝つ方にすべてを賭ける!」
「……そうか。残念だよ。あんたにも忠義を尽くす相手がいれば、良かったのだがな」
ハシムが大きく踏み出す。リーダーは必死に一撃を振り下ろすが、ハシムはそれを紙一重で躱し、すれ違いざまに横一文字に斬り裂いた。
「がっ……!?」
倒れ込み、動かなくなるリーダー。ハシムは剣の血を払い、鞘に収めるとティナへ駆け寄った。
「ご無事ですか、ティナ様」
「はい……なんとか……」
短剣で縄を解き、ティナを抱き起こす。二人の間に静かな時間が流れた――。
「このガキがぁぁ!!」
しかし、執念で立ち上がったリーダーが背後から棍棒を振り下ろした。
ハシムが振り向くより一歩早く、打撃がその頭部を捉える。
「ぐっ……!?」
短い悲鳴と共にハシムが倒れ込んだ。
「よくもやってくれたな。まずは確実にこいつを殺して、次にあの女を……」
息絶え絶えの男は、ハシムの頭を激しく踏みつけると、棍棒を天高く掲げた。
「これで終わりだ!」
渾身の力で振り下ろされた棍棒は、しかしハシムの頭を逸れて地面を叩いた。
「がはっ……!!」
男が口から鮮血を吐き出す。
その胸には――ティナが拾い上げた細剣が、深く、深々と突き刺さっていた。
「やってくれたな……嬢ちゃん……」
男は数歩よろめき、そのまま仰向けに絶命した。
「はぁ、はぁ……っ」
膝から崩れ落ちたティナは、震える手を見つめた。
狩りの中で動物の血は何度も見てきた。けれど、その手を濡らしているのは、彼女が初めて殺めた人間の血であった。




