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32 1%の空白

 ラクラミキオアラが『モモ』を読んで、モモやジジ、ベッポじいさんから学んだことは、本当の意味で人生を豊かにする夢とは、どんな夢なのかということでした。何か高価なものをたくさん手に入れたいとか、大勢のひとに称賛されたいというような夢ではなく、一人の人を想い続ける中で育まれた夢こそが、本当の意味で人生を豊かにする、素敵な夢なのだと彼女は学んだのです。

 悲しいことですが、人間の文明が進歩すればするほど、そういうことを信じる人の数は少なくなっていきます。ベッポじいさんのような人を馬鹿にする人の数は多くなっていくのです。そしてそういう傾向は、子供よりも大人たちの方に強く表れます。『モモ』という物語には、「時間を節約し、無駄なことに時間を使わないようにして、『いい暮らし』をするために時間を使うことが一番大切だ」という考えに取り()かれた大人たちが出てきます。そういう大人たちは、やがて子供の相手をする時間すら「無駄な時間」だと考えるようになっていくのです。その結果、彼らの人生はどんどん、中身のないものになっていくのです。

 物語の中で、灰色の男たちが時間を盗んでいることにいち早く気づき、抵抗したのは子供たちでした。ラクラミキオアラはその部分を読んだとき、「大人になっても、わたしは変わりたくない」と思いました。ベッポじいさんのような大人になりたいと強く思いました。しかしラクラミキオアラはとても賢い子なので、「きっと最初はみんな、わたしのように思っていたのだろう」と考えました。「だけど、少しずつ成長して、大人になって、人の豪華な家や車を見ているうちに、"ああいう『いい暮らし』こそが幸せなのだ"と信じ込むようになるのだろう。まるで白いリバーシ(※オセロの元になったボードゲーム)の石が裏返って黒くなるように、子供のころとはまったく別の人のようになってしまうのだろう。そうなったら最後、『モモ』を読んでも、『クリスマス・キャロル』を読んでも、何も心に感じなくなってしまい、"素敵なお話だね"と心にも無いことを適当に言って、心の中では舌を出し、"綺麗事を書き連ねただけの、くだらない本だ"と思うようになってしまうのだろう。そしてそういう人は、愛していない人にも"愛している"と平気で言って、心の中で舌を出すのだろう」ラクラミキオアラは、そう思いました。それは、とてもおそろしいことのように思えました。たとえ周りの人達が次々に裏返っても、わたしは裏返らない。最後のひとつになっても、裏返らない。モモとベッポじいさんが教えてくれた生き方をつらぬいてみせる…ラクラミキオアラは『モモ』を読み終えるたびに、そう思っていました。


「モモ」

 ラクラミキオアラは、隣に座っているモモに話しかけました。

「なあに?」

 モモは、小首をかしげて、やさしい笑顔で返事をしました。

「わたしね、本当は、今日はじめて、あなたに会ったわけじゃないの。はじめて『モモ』という物語を読んだときから、わたしの中には、ずっとずっと、あなたがいたの。ずっと一緒に、生きてきたんだよ」

 ラクラミキオアラが静かにそう言うと、モモは微笑みながら、こう言いました。

「うん…分かってた…今日、あなたに会えるってことも、なぜか、分かってたの…。だから、宝石箱から、出てきたの。わたしのこと、いつも大切に想ってくれて、ありがとう…ラクラミキオアラ」

 ラクラミキオアラは、涙で潤んだ瞳で、モモを見つめました。それからふたりは、みんなからは見えないテーブルの下で手をつなぎ、ぎゅっと握り合いました。

 ラクラミキオアラはそれまでも、"裏返らない生き方"をする自信が、99%はありました。どうしても埋められなかった残り1%の空白が、その瞬間に埋まったことを、彼女は心で感じ取りました。それは彼女の人生の中で、言葉では言い表せないほど、おおきな出来事でした。

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