「雪と手紙」 帰還
十二月の中旬、加藤敬二が可児に来た。
岐阜の病院で検査を受け、医師から短期間の外出を許可された。心臓の状態は悪いが、安静にしていれば動けると言われた。
加藤敬三が岐阜まで迎えに行った。
根古は可児駅で二人を待った。澪もついてきた。
改札から出てきた二人を見て、澪が小声で言った。「本当にそっくりですね」
「双子だからな」根古は言った。
加藤敬二は少し痩せているが、歩き方に力がある。敬三が横について、ゆっくり歩いている。三十年ぶりに並んだ双子の兄弟は、不思議なほど同じ動きをしていた。
「根古さん」敬二は根古の前に来て、頭を下げた。「お世話になります」
「ようこそ可児へ」根古は言った。「三十年ぶりですね」
「三十年ぶりです」敬二は駅の周囲を見た。「変わりましたね。でも??どこか同じです。山の形が同じだ」
「山は変わりません」根古は言った。
まず昌也の墓に行った。
根古が提案した。敬二が来たら、最初に連れて行こうと決めていた。
可児市内の寺の墓地は、雪が薄く積もっていた。
根古が墓の前に線香を立てた。
敬二は墓石の前にしゃがんだ。しばらくそのままでいた。
「昌也さん」敬二は静かに言った。「三十年間、生きていました。あなたのおかげです。ありがとうございました」
風が静かに吹いた。
敬三は墓の少し後ろに立っていた。目が赤い。
澪は離れたところで、黙って見ていた。
根古は線香の煙を見た。
父が敬二に言った言葉が、手紙の文面から想像できる。一度死ね。逃げろ。俺が手を打つ。
無口な男の、無口な優しさだ。
昼前にラクカに向かった。
太田が待っていた。
温泉仲間も来ていた。長曾我部、松平、ムハンマド、ロドリゲス、織田、西野。
敬二が入ってきたとき、全員が一瞬固まった。
敬三と同じ顔が、二つある。
「死んだはずの兄貴を連れてきた」加藤敬三は言った。「紹介する。加藤敬二だ」
また一瞬、沈黙があった。
それから松平が言った。「幽霊か」
「生きてます」敬二は言った。
笑いが起きた。
太田がカウンターから出てきて、敬二の前に立った。
「よく来た」太田は言った。それだけだった。でもその言葉に、いろんなものが入っていた。
「ありがとうございます」敬二は言った。
全員が席に着いた。
太田がコーヒーとお茶を配った。
長曾我部が敬二に聞いた。「岐阜で何をしていたんですか」
「自動車の修理工場をやっていました」敬二は言った。「弟と同じ仕事です。不思議なものですね。離れていても、同じ仕事をしていた」
「双子というのはそういうものか」ムハンマドが言った。
「そうかもしれません」敬二は言った。「岐阜でも、困った車を直すのが好きでした。諦めた車を直して、また走れるようにする。それが好きでした」
「お前と同じだな」長曾我部が敬三に言った。
「同じDNAだから」敬三は笑った。
昼過ぎ、田村正一の息子、田村誠が来た。
五十五歳の農家だ。がっしりした体格。日焼けした顔。
根古が連絡していた。今日、加藤敬二が可児に来ると伝えていた。
田村誠はラクカに入ってきて、敬二の前に立った。
「加藤敬二さんですか」田村は言った。
「そうです」敬二は立ち上がった。
「父が見つかりました」田村は言った。「あなたが見てくれていたから、今回の件が動いた。ありがとうございます」
「俺は何もしていません」敬二は言った。「逃げただけです。三十年間、何もできなかった」
「でも生きていてくれた」田村は言った。「生きていて、手紙を書いてくれた。それで父が見つかった」
敬二は田村を見た。目が揺れている。
「お父さんに、申し訳なかった」敬二は言った。「あの夜、俺がもっと勇気を持っていれば??」
「いいんです」田村は静かに言った。「あなたも若かった。怖かった。当然です。父だって、あなたに無理をしてほしいとは思っていないはずです」
「そうでしょうか」
「父は穏やかな人でした」田村は言った。「誰かを責めるような人ではなかった」
敬二は目を閉じた。
しばらく誰も喋らなかった。
ラクカの中が静まり返った。
太田がカウンターで静かにコーヒーを淹れていた。
夕方、根古は一人で外に出た。
雪の可児を少し歩いた。
事務所に戻ると、神崎が来ていた。
澪と話していた。ユキを抱いている。小さな黒猫だ。
「根古さん」神崎は立ち上がった。「今日の件、聞きました。田村さんが見つかった、と」
「澪から聞きましたか」
「はい」神崎は言った。「三十年前の話が、ここまで繋がるとは思いませんでした」
「この町はそういう町です」根古は言った。「フェルナンドさんも言っていた。底がないと」
「根古さんにとっては、どんな町ですか」神崎は言った。
「自分の町です」根古は言った。「それだけです」
神崎は少し笑った。「シンプルですね」
「複雑に考えると動けなくなります」根古は言った。「シンプルに考えると動けます」
「参考にします」神崎は言った。
夜、ラクカにまた人が集まった。
今日は自然に集まった人数が多い。
温泉仲間、工藤と秋月、澪と江戸川、鳴海、雨月と平、木下千恵、山本彩織。神崎も来た。田村誠も残っていた。
そして加藤兄弟が、並んで座っていた。
太田がカウンターで黙々とコーヒーを淹れている。
敬二が周囲を見回した。
「こんなに人が集まるんですか」敬二は敬三に言った。
「根古が動くと、いつもこうなる」敬三は言った。
「不思議な探偵だな」敬二は根古を見た。
「普通の探偵です」根古は言った。
「普通の探偵の周りに、これだけ人が集まりますか」敬二は言った。
「集まってしまう」根古は言った。「俺が呼んでいるわけではない」
「でも根こそぎ呼び寄せる」秋月が言った。「毎回同じことを言いますが、毎回そうなります」
笑いが起きた。
夜が更けてきた頃、敬二が根古の隣に来た。
「根古さん、一つだけ聞いていいですか」敬二は言った。
「どうぞ」
「昌也さんは、どんな父親でしたか」敬二は言った。「俺は仕事上の付き合いしかなかった。息子から見た昌也さんを、聞いてみたかった」
「無口でした」根古は言った。「家にあまりいなかった。自分のことは何も話さなかった。仕事ばかりしていた」
「そうですか」
「でも今になって分かります」根古は言った。「黙って人の荷物を持つ人でした。誰にも言わずに、持ち続けた」
「そういう人でした」敬二は頷いた。「俺が相談したとき、迷わなかった。すぐ動いてくれた。怖くないのか聞いたら、怖いと言っていた」
「怖かったんですか」根古は言った。
「怖いが、目の前で困っている人間を放っておけないと言っていた」敬二は言った。「それだけだと」
根古は少し間を置いた。
「それだけで十分だったんですね」根古は言った。
「十分でした」敬二は言った。「俺にとっては、十分以上でした」
翌朝、敬二は岐阜に戻ることになった。
体のことがあるので、長居はできない。
可児駅で、敬三が送った。根古も来た。澪も来た。
改札の前で、敬二は根古に頭を下げた。
「根古さん、また来ていいですか」敬二は言った。
「いつでも」根古は言った。
「体が持つ限り来ます」敬二は言った。「この町が好きになりました。三十年前にいた頃より、もっと好きになりました」
「三十年前は追われていたからでしょう」根古は言った。
「そうですね」敬二は笑った。「今回は追われていないから、ゆっくり見られました」
電車が来た。
敬二が乗り込んだ。
ドアが閉まる前に、敬三を見た。
「敬三」敬二は言った。
「何だ」敬三は言った。
「三十年間、元気でいてくれてありがとう」
敬三は答えなかった。
ドアが閉まった。
電車が動き始めた。
加藤敬三は電車が見えなくなるまで、そこに立っていた。
根古はそのそばにいた。
澪は少し離れて立っていた。
雪が静かに降っていた。




