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「雪と手紙」 雪の山道

 翌朝、根古は雨月と加藤敬三を連れて、三枝道雄の家に向かった。

 可児市内の旧市街、古い住宅が並ぶ細い通りの奥に、三枝の家があった。木造の平屋、手入れされた庭。六十四歳の元刑事が一人で住んでいる。

 根古がインターホンを押した。

 しばらく間があった。

 出てきたのは、小柄な男だった。六十四歳、白髪、細い目。かつての刑事らしい鋭さが、目の奥にまだ残っている。

「三枝道雄さんですか」根古は言った。

「そうだが」三枝は根古を見た。次に雨月を見た。次に加藤を見た。

 加藤を見た瞬間、三枝の顔が変わった。

 根古はその変化を見逃さなかった。

「根古といいます。少し話を聞かせてもらえますか」


 三枝は三人を居間に通した。

 狭い居間に、古い家具が並んでいる。壁に賞状が一枚かかっている。長年の勤続を称える賞状だ。

 三枝はソファに座った。背筋が伸びている。元刑事の姿勢だ。

「何の用ですか」三枝は静かに言った。

「三十年前の話を聞きたいんです」根古は言った。「御嵩の山道で、あなたが何かを埋めていた夜のことです」

 三枝は表情を変えなかった。

 プロだ、と根古は思った。感情を出さない訓練が染み込んでいる。

「何の話ですか」三枝は言った。

「目撃者がいます」根古は言った。「三十年前、その夜に現場を通りかかった人間が、今も生きています」

 三枝は根古を見た。

 次に加藤を見た。

「加藤敬三」三枝は静かに言った。「あんたは??敬二か」

 加藤は黙っていた。

「敬二は死んだはずだ」三枝は言った。

「間違いです」根古は言った。「加藤敬二さんは生きています。三十年間、岐阜で暮らしていました」

 三枝は少し目を細めた。それだけだった。動じた様子がない。

「だとして、俺に何を聞きたいんですか」

「山道に埋めたものは何ですか」根古は言った。

「知りません」

「三枝さん」根古は静かに言った。「安藤賢造はすでに逮捕されています。安藤家の秘密は、少しずつ明るみに出ています。あなたが黙っていても、遅かれ早かれ辿り着きます。それより??自分から話したほうが、あなたのためになります」

「脅しですか」三枝は言った。

「事実を言っています」根古は言った。

 三枝は少し間を置いた。

 居間の時計が、静かに時を刻んでいた。

「弁護士を呼んでいいですか」三枝はやがて言った。

「もちろんです」雨月が言った。「ただし??その前に、一つだけ聞かせてください。御嵩の山道に、人が埋まっていますか」

 三枝は雨月を見た。

 長い沈黙があった。

「……いる」三枝はやがて言った。「一人いる」


 三枝が弁護士を呼ぶ間、根古たちは外で待った。

 雪が降り続けている。

 加藤は無言で立っていた。

「大丈夫ですか」根古は言った。

「分からん」加藤は言った。「三十年前、兄貴はそういうものを見たのか」

「そうです」

「だから逃げなければならなかった」加藤は雪を見た。「誰が埋まっているんだろうな」

「松平さんが言っていた男かもしれません」根古は言った。「安藤家と土地の問題で揉めていた男です」

「名前が分かるといいな」加藤は静かに言った。「名前が分からなければ、ちゃんと弔えない」


 弁護士が来るまでの間に、秋月から連絡が入った。

「岐阜県警の知り合いに当たりました」秋月は言った。「三十年前、御嵩付近で一人の男性が行方不明になっています。名前は田村正一、当時三十八歳。可児市内在住の農家です」

「どんな人物ですか」根古は言った。

「御嵩の山間に先祖代々の土地を持っていた人物です。安藤家がその土地を欲しがっていた。田村は売ることを拒否していた。揉めていた最中に姿を消した」秋月は言った。「当時の捜査記録が薄い。積極的に調べた形跡がない」

「三枝が捜査を潰した可能性がある」根古は言った。

「そう思います」秋月は言った。「田村に家族はいますか」

「調べます」根古は言った。


 弁護士が来て、三枝が話し始めたのは昼過ぎだった。

 雨月が記録した。根古と加藤は別室で待った。

 一時間ほどして、雨月が出てきた。

「話しました」雨月は言った。「三十年前、安藤賢造の指示で、田村正一という男を??」雨月は少し間を置いた。「殺害して埋めました。三枝は実行役ではありませんでした。しかし現場を監督していた。安藤家から金をもらっていた」

「場所は分かりましたか」根古は言った。

「御嵩の山道から入った杉林の中だと言っています。詳しい場所は、三枝が案内すると言っています」雨月は根古を見た。「根古さん、今日中に動きますか」

「動きます」根古は言った。「雪が積もる前に」


 午後二時、根古、雨月、平、加藤、三枝が御嵩の山道に向かった。

 三枝は手錠をかけられていたが、案内役として同行した。

 山道を入ると、杉林が続く。雪が木々の間に積もっている。静かだ。鳥の声もしない。

 三枝は黙って歩いた。三十年前の記憶が、体に染み込んでいるのだろう。迷わずに進む。

 十分ほど歩いたところで、三枝が止まった。

「ここです」三枝は言った。

 杉林の中の小さな窪地だ。周囲と少し地形が違う。土が沈んでいる。

 雨月が無線で本署に連絡した。

「鑑識を呼びます」雨月は根古に言った。「時間がかかります」

「待ちます」根古は言った。


 加藤は窪地の前に立って、動かなかった。

 根古がそばに立った。

「加藤さん」根古は言った。

「ああ」加藤は言った。「田村正一という人か。知らない人だ。でも??安藤家の土地の問題で揉めて、消された」

「そうだと思います」

「兄貴が見てしまったのは、この場所だったんだな」加藤は雪の窪地を見た。「兄貴が三十年間、岐阜で一人で生きてきたのは??この人を見たからだ」

「そうです」

「それが正しかったのかどうか、俺には分からん」加藤は言った。「でも??田村さん、ここに眠っていたんだな。誰も知らないまま」加藤は頭を下げた。「すまなかった。もっと早く見つけてやれれば良かった」

 雪が静かに降っている。

 杉の木が、風もないのに少し揺れた。


 鑑識が来るまでの間、根古は一人で山道を少し歩いた。

 雪の杉林の中は静かだ。

 三十年前、父がここに来たことがあるだろうか、と根古は思った。

 加藤敬二を逃がした父が、この場所のことを知っていたかどうか。

 分からない。

 でも父は敬二を助けた。逃げる場所を作った。それは確かだ。

 根古は空を見上げた。

 杉の梢の間から、白い雪空が見える。

「親父」根古は小さく言った。「ここまで来たぞ」

 雪が一片、根古の頬に触れた。


 鑑識が現場に着いたのは、三時過ぎだった。

 作業が始まった。

 根古と加藤は山道の入口で待った。

 一時間ほどして、雨月が来た。

「遺骨が出ました」雨月は静かに言った。「DNA鑑定が必要ですが??状況から見て、田村正一さんだと思われます」

 加藤は目を閉じた。

「田村さんに家族はいますか」根古は言った。

「調べています」雨月は言った。「息子さんが可児市内にいるようです。今、連絡を取っています」

「そうですか」根古は言った。

「根古さん」雨月は根古を見た。「今回の件、安藤賢造の件と合わせて、立件できます。三枝の供述もある。時効の問題がありますが??少なくとも、事実として記録に残せます」

「それで十分です」根古は言った。「田村さんが、ちゃんと見つかった。それで十分だ」


 夕方、山道を下りながら、加藤が根古に言った。

「根古、一つ頼みがある」

「何ですか」

「兄貴を可児に連れてきたい」加藤は言った。「体が悪いのは分かっている。でも??最後に、この町で過ごさせてやりたい」

「いい考えだと思います」根古は言った。

「医者に相談して、動けるなら??来月あたり、連れてきていいか」

「もちろんです」根古は言った。「ラクカで待っています」

「太田のとこか」加藤は少し笑った。「あそこで全員に紹介できるな。死んだと思っていた兄貴を」

「温泉仲間も驚くでしょう」根古は言った。

「驚かせてやりたい」加藤は言った。「あいつら、驚いた顔を見るのが好きだからな」

 根古は少し笑った。

 雪が止んできた。雲の切れ間から、夕日が差し込んでいる。

 御嵩の山が、オレンジ色に染まっていた。


 夜、根古は事務所に戻った。

 澪が待っていた。工藤と秋月も来ていた。

「田村正一さんの息子さんから連絡がありました」澪は言った。「雨月さんから知らせが行って、息子さんが可児署に来たそうです」

「何歳ですか」根古は言った。

「五十五歳だそうです。可児市内で農業をやっています」澪は言った。「三十年前に父が行方不明になってから、ずっと探していたそうです。諦めていたところに、今日の連絡が来たと」

「どんな様子でしたか」

「泣いていたそうです」澪は静かに言った。「でも??ありがとうと言っていたそうです。ようやく見つけられた、と」

 根古は黙っていた。

「根古さん」工藤が言った。「今回の件、また大きな話になりましたね」

「小さな話から始まった」根古は言った。「手紙一枚から始まった話だ」

「手紙一枚で、三十年前の真実が出てきた」秋月が言った。「あんたの父上は、三十年前にすでにここまで見通していたんですかね」

「そこまで考えていたとは思いません」根古は言った。「ただ??目の前で困っている人間を助けた。それだけだと思います」

「それだけで、三十年後に繋がった」秋月は静かに言った。

「そういうことだと思います」根古は言った。


 深夜、根古は実家の仏間に線香を立てた。

「田村正一さんが見つかった」根古は言った。「三十年前に安藤家に消された人だ。息子さんがいた。五十五歳の息子さんが、今日ようやく父親を見つけた」根古は線香の煙を見た。「敬二さんが見てしまったのは、この人を埋める現場だった。だからお前が敬二さんを逃がした。そういうことか」

 ヤマトが根古の隣に来た。

「お前に聞いても分からないな」根古はヤマトに言った。「でも??お前がいてくれると、話しやすい」

 ヤマトは根古を見た。

「親父はどこまで考えていたんだろう」根古は言った。「三十年後に息子が動くと、思っていたのか。それとも、ただ目の前の人間を助けただけか」

 線香の煙が細く上がった。

「どちらでもいい気がしてきた」根古は言った。「結果として、今日に繋がった。それで十分だ」

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