ブローカーの末路
翌朝、根古は名古屋に向かった。
助手席に工藤、後部座席に秋月。三人で走った。
「コワレンコのホテルは確認できているか」根古は言った。
「名古屋栄のビジネスホテルです」工藤は手帳を見た。「氷室の供述から、雨月さんが特定しました。愛知県警にも話が通っています」
「愛知県警が動くのか」
「雨月さんが話をつけてくれました」工藤は言った。「ただ??外国人の任意同行は、すぐには動けない部分がある。まず根古さんが話を聞いてみてほしいと」
「俺が聞いてどうする」
「コワレンコが話す気になれば、愛知県警が正式に動けます」工藤は根古を見た。「根古さんが行けば話す気になるかもしれないと、雨月さんが言っていました」
「俺をなんだと思っているんだ、雨月は」
「買いかぶっているんでしょう」秋月が後ろから言った。「悪いことではない」
名古屋栄のビジネスホテルに着いたのは、午前十時過ぎだった。
フロントで部屋番号を聞こうとしたとき、ロビーの隅に人影があった。
振り返ると、北村唯が立っていた。
NSAのエージェントだ。先月ぶりだ。
「根古さん、来ると思っていました」北村は静かに言った。
「お前もコワレンコを追っているのか」
「追っていた、というのが正確です」北村は少し声を低くした。「コワレンコは今朝、チェックアウトしています」
根古は少し止まった。
「逃げたか」
「逃げようとした、というのが正確です」北村は根古を見た。「チェックアウトしてタクシーに乗ったところで、確保しました」
「確保」
「NSAとして、任意同行をお願いしています。別室で話を聞いています」北村は根古を促した。「根古さんにも来ていただきたい。コワレンコが、根古という探偵に会いたいと言っています」
根古と工藤と秋月が顔を見合わせた。
「俺に会いたいと」根古は言った。
「名前を知っていました。氷室から聞いたようです」北村は歩き始めた。「来てください」
ホテルの会議室に、スラフ・コワレンコがいた。
五十代、がっしりした体格。金髪に白髪が混じっている。スーツが皺だらけだ。昨夜は眠れなかったのかもしれない。
遠藤成気がドアの横に立っていた。北村の相棒のNSAエージェント、黒人ハーフの男だ。
根古がテーブルに着くと、コワレンコは根古を見た。
「根古探偵ですか」コワレンコは日本語で言った。訛りがあるが、流暢だ。
「そうです」
「ダニロ・クラフチェンコと会いましたか」
「先月会いました」
コワレンコは少し目を細めた。「そうですか。ダニロは優秀な男です。私も知っている」
「敵同士ですが」
「戦争になれば、昨日の仲間が今日の敵になる」コワレンコは静かに言った。「ウクライナは複雑です。私はロシア側についているが、最初からそのつもりではなかった」
「言い訳は聞きたくない」根古は言った。「一つだけ聞きます。可児の美術品に関わったのはなぜですか」
コワレンコは少し間を置いた。
「金が必要でした」コワレンコは言った。「シンプルな理由です。戦争は金がかかる。美術品は換金しやすい。それだけです」
「正当な所有者から奪うことに、何も感じないか」
「感じます」コワレンコは根古を見た。「だから日本に来る前から、迷っていました」
「迷っていたなら、やめれば良かった」
「やめられない事情があります」コワレンコは静かに言った。「私の家族が、ロシア側に人質として押さえられています。言う通りに動かなければ、家族が危ない」
沈黙が落ちた。
北村が根古を見た。
根古はコワレンコを見た。
嘘をついている顔ではない。ただ疲れた顔をしている。
「家族は何人ですか」根古は言った。
「妻と、十二歳の娘です」コワレンコは言った。「ウクライナ東部にいます。ロシア占領地域です」
「今も無事ですか」
「分かりません。一週間、連絡が取れていません」
根古は少し考えてから、北村を見た。
「この男の家族の安否確認はできますか」
北村は少し目を見開いた。「NSAのリソースを使えば、確認できると思います。でも??」
「やってください」根古は言った。「それが条件です。コワレンコが全面的に協力するなら、家族の安否確認と保護を要請する」
コワレンコが根古を見た。目が変わった。
「なぜそこまでしてくれるんですか」コワレンコは言った。
「あなたの家族には関係のない話です」根古は静かに言った。「巻き込まれただけなら、巻き込まれた側は守られるべきだ」
コワレンコは長い間、根古を見ていた。
それから静かに言った。「全部話します。ロシア側の窓口の名前も、指示系統も、他の美術品の隠し場所も」
「それでいい」根古は立ち上がった。
会議室を出ると、工藤が小声で言った。「根古さん、随分踏み込みましたね。NSAに要請するなんて」
「北村が断ればそれまでだ」根古は言った。
「断らなかった」秋月が言った。「北村さんは根古さんの言葉を待っていたような顔をしていた」
「そんな顔だったか」
「そういう顔でした」秋月は静かに笑った。
廊下で北村が根古に並んだ。
「コワレンコの家族の件、動きます」北村は言った。「ヘイブンス部長に話を通します。ウクライナ東部は難しいですが、できることをします」
「ありがとうございます」
「根古さん」北村は少し間を置いた。「なぜそこまで動くんですか。コワレンコはあなたの依頼人じゃない。むしろ邪魔をした側の人間です」
「関係ない話に巻き込まれた家族を、そのまま放っておけない」根古は言った。「それだけです」
「それだけで動けるんですね」北村は根古を見た。「私には理解できるようで、できない感覚です」
「お前はエージェントだ。俺はただの探偵だ。違って当然だ」
北村は少し黙った。
「根古さん」北村はやがて言った。「私、この仕事を続けていいのか、たまに分からなくなります」
根古は北村を見た。二十六歳の女が、少しだけ年相応の顔をしていた。
「続けていいかどうかより、今日何ができるかを考えろ」根古は言った。「今日できることをやれば、明日が決まる」
北村は根古を見た。
「そういう考え方ですか」
「そういう考え方だ」
北村は少し間を置いてから、頷いた。「参考にします」
名古屋から可児に戻ったのは午後三時過ぎだった。
ラクカに寄ると、フェルナンド村田がいた。
「また来たのか」根古は言った。
「コワレンコの件、CABINも把握していました」フェルナンドは言った。「美術品の闇取引は、資金洗浄に繋がっています。根こそぎ潰したい案件です」
「氷室の件は」
「愛知県警と連携します。氷室の背後にある組織も、洗い出します」フェルナンドはコーヒーを飲んだ。「根古さん、あなたが可児で動くたびに、どんどん大きな話になりますね」
「俺は小さな話のつもりで動いている」
「でも大きくなる」フェルナンドは笑った。「この町には、底がない」
「そういう町だ」太田がカウンターから言った。
夕方、レヴィから連絡が入った。
「美術品の来歴確認を始めました」レヴィは言った。「七点の絵画のうち、三点はすでに所有者の遺族が判明しています。国際データベースに登録されていたものです」
「早いですね」
「準備していましたから」レヴィは言った。「根古さん、一つご報告があります。一番最初に開けた木箱の絵、川沿いの町の絵です。フェルドマン家の所有だったものですが??」
「子孫は見つかりましたか」
「見つかりました」レヴィは少し間を置いた。「テルアビブに住んでいます。八十歳の女性です。祖父がパリで描かせた絵だと、ずっと探していたそうです」
「虎之助さんに伝えますか」
「はい。ただ??根古さん、その女性が一つ言っていました。絵を守ってくれた人に会いたいと」
根古は少し考えた。
「虎之助さんに話してみます」
根古は桐島虎之助の家を訪ねた。
アトリエに灯りがついていた。
ノックすると、虎之助が出てきた。手に絵筆を持っていた。
「描いていましたか」根古は言った。
「少し描きました」虎之助は嬉しそうに言った。「廃工場のスケッチです。なかなか良いものができそうです」
根古は中に入った。イーゼルに小さなスケッチが立てかけてあった。崩れかけた廃工場の壁、差し込む光。シンプルだが力のある絵だ。
「良い絵です」根古は言った。
「ありがとうございます」虎之助は筆を置いた。「何かありましたか」
「フェルドマン家の子孫が見つかりました。テルアビブに住んでいます」
虎之助は動かなかった。
「そうですか」虎之助はやがて言った。「生きていたか。いや、その孫か、ひ孫か」
「八十歳の女性です。祖父がパリで描かせた絵を、ずっと探していたそうです」
虎之助は目を閉じた。
「父も聞いていると思います」虎之助は静かに言った。「エルンスト、聞こえるか。届いたぞ、と」
根古は黙っていた。
「その方が、絵を守ってくれた人に会いたいと言っているそうですね」虎之助は根古を見た。
「レヴィから聞きました」
「会いに行けますか。八十二歳の老人でも、テルアビブに行けますか」
「行けると思います」根古は言った。「奈緒さんが一緒なら、なお安心です」
「そうですね」虎之助は微笑んだ。「奈緒に話してみます。あの子は旅行が好きですから、喜ぶかもしれない」
その夜遅く、北村から連絡が入った。
「根古さん、コワレンコの家族の件です」
「どうなりましたか」
「妻と娘、無事を確認しました」北村の声が少し柔らかかった。「ウクライナ東部の民間人保護団体と連携して、安全な地域に移動させます。時間はかかりますが、動いています」
根古は少し息を吐いた。
「よかった」
「コワレンコも知らせました。泣いていました」北村は少し間を置いた。「根古さん、コワレンコが言っていました。根古という探偵は、どんな顔をしているのか、もう一度見たかったと」
「変な男だ」
「そうですね」北村は言った。「でも??悪い人間ではなかったと思います。追い詰められた人間は、追い詰められた行動を取る。それだけのことかもしれません」
「前に似たようなことを聞いた」根古は言った。
「誰から」
「フェルナンド村田という男から」
「ああ」北村は少し笑った。「あの人の言うことは、外れていないですね」
翌朝、根古は実家の仏間に寄った。
線香を一本立てた。
床板の下はもう空だ。箱も鍵もない。でも根古はここに来ると、父の気配を感じる気がした。
「また動いた」根古は静かに言った。「今度は美術品の話だった。エルンストという男の絵が、テルアビブに帰れることになった。お前は知らない話だろうが??まあ、似たような話だ。誰かが黙って守ってきたものが、ちゃんと届く話だ」
線香の煙が細く上がった。
「お前も、黙って守ってきた男だった」根古は続けた。「俺はそれを知らなかった。悪かった。でも今は分かっている」
ヤマトが根古の隣に来て座った。
二人でしばらく線香を見ていた。
「次も何か来るだろう」根古は言った。「この町では、必ず来る。でもまあ??来たら動く。それだけだ」
第六話へ続く
コワレンコの告白と家族の救出、フェルドマン家の子孫発見、そして虎之助のテルアビブ行きの決意と、物語が温かい方向に動き出しました。




