木曽川、それから
義雄からの手紙が、文吉の娘・加代のもとに届いたのは、それから半月後のことだった。
震える文字で書かれた手紙には、四十六年前の出来事への謝罪と、文吉という人間への敬意が、率直に綴られていたという。加代は根古に、その手紙の内容を静かに話してくれた。
「恨みは、消えません」加代は言った。
「でも、真実を知り、謝罪の言葉を受け取れたことで、少しだけ、心が軽くなりました」
文吉の遺骨は、正式に家族のもとへ返された。
根古家の墓地の隣に、ささやかな法要が営まれた。西野が神主として立ち会い、根古、由紀子、そして美也子も顔を出した。
康介は執行猶予中の身であったが、加代の許しを得て、焼香だけを許された。
「すみませんでした」康介は、加代の前で深く頭を下げた。
「祖父のしたことです。俺に、償う資格はないかもしれませんが」 「あなたが、自分の口で罪を認めたことは、知っています」加代は言った。
「これ以上、あなたを責めるつもりはありません。もう、十分苦しんだでしょう」
木下清一と節子は、その後も、月に一度、施設で会い続けた。
モーシェは、毎回、節子に付き添った。三人の間には、六十年という時間を埋めるような、静かな時間が流れていた。
義雄は、清一の生存が公になったあとも、変わらず施設に留まっていた。二人の老人は、時折、同じ食堂の席で、言葉少なに向かい合っていたという。西野が見舞いに行った際、義雄がぽつりと言ったそうだ。 「儂と清一は、同じ血を分けた者同士だ。憎み合うだけで、終わりたくはない」
ダニロは、ウクライナに戻った後も、根古と時折連絡を取り合った。
父にボリスの真相を伝え、遺族としての一区切りをつけたという。
「いつか、また日本に行きます」ダニロからのメッセージには、そう書かれていた。
「その時は、木曽川で一杯、付き合ってください」
片桐レナードは、西野の教会に隣接する小さな部屋で、静かに暮らし続けた。
「もう、逃げる場所も、逃げる理由もない」片桐は、ある日、根古にそう語った。
「ここが、儂の終の住処だ」
星野由紀子は、約束通り、また別の案件を見つけて動き出した。
時折、根古に近況を知らせる連絡が来たが、詳しい内容は語らなかった。
「いつか、私自身の話も、聞いてもらう日が来るかもしれません」由紀子は、最後に会った日、そう言い残していった。
*
秋が深まったある日、根古は一人、木曽川の土手に立っていた。
五年前、父・昌也が命を落とした場所だった。
根古は、義一が昌也に宛てた手紙と、文吉の遺品から見つかった古い写真を、一つの箱にまとめて持ってきていた。
「親父」根古は、川に向かって呟いた。「全部、分かったよ」
五十年前の火事、義雄の裏切り、片桐とモーシェの因縁、清一と節子の悲恋、そして文吉の犠牲。全てが繋がり、一つの物語として、ようやく形になった。
「あんたが、何を守ろうとしていたのか」根古は続けた。
「あんたが、何を追っていたのか。遅くなったけど、全部、たどり着いたよ」
川面に、夕陽が反射していた。
五十年、七十年という時間の中で、多くの人間が、それぞれの理由で、この川のほとりに立ってきた。
義一は弟を、節子は清一を、片桐はモーシェを、そして根古は父を、それぞれの形で想い、それぞれの形で失ってきた。
根古は、手紙と写真の入った箱を、静かに胸に抱いた。
そして、川に背を向け、歩き出した。
物語は、ここで終わる。 だが、川は、これからも流れ続ける。
新しい時代の中で、また新しい人間たちが、この川のほとりに立つことになるだろう。
その時、この五十年の物語が、静かな教訓として、誰かの記憶に残っていることを、根古は願った。
(完)




