六十年ぶりの再会
根古がモーシェと節子の家に電話をかけたのは、清一と話した翌日だった。
事情を話すと、電話越しに節子が長い沈黙をはさんだ。
「清一さんが、生きている……」節子の声は、震えていた。「本当ですか」 「本当です」根古は言った。「会いたいと言っています。ただ、心の準備が必要なら、急ぎません」 「いえ」節子は言った。
「今すぐにでも、会いたい。六十年、待ちました」
モーシェが電話を代わった。 「根古さん」モーシェの声は、穏やかだった。
「節子から、清一さんのことは聞いています。私は、ただ節子の隣にいるつもりです。会わせてやってください」 「よろしいんですか」 「節子が、六十年抱えてきた重荷です」モーシェは言った。
「私が邪魔をする理由はありません」
*
老人ホームの面会室に、節子とモーシェが訪れたのは、その週の日曜日だった。
根古と由紀子、そして西野も同席した。西野は、何かあったときのために、という理由で呼ばれていた。
清一は、車椅子に乗って面会室に入ってきた。 節子は、入り口で立ち尽くしていた。
二人は、しばらく見つめ合ったまま、動かなかった。
「節子……」清一が、掠れた声で言った。 節子の目から、涙があふれた。
「清一さん……本当に、清一さんなんですね」 「すまなかった」清一は言った。
「六十年、お前に嘘をつかせたまま、生きてきた」 「嘘なんて……」節子は首を振った。
「私は、あなたが死んだと、信じ込まされていただけです。あなたが謝ることは、何もありません」
節子は清一の前に膝をつき、彼の手を握った。 「なぜ、姿を現さなかったんですか」節子は聞いた。「一目でいいから、会いに来てくれれば……」 「怖かった」清一は言った。「お前の兄が、儂を殺そうとした。もし儂が生きていると知れば、今度こそ、お前にまで危害が及ぶかもしれない。それが、怖かった」
「兄は、もう亡くなりました」節子は言った。「ずっと昔に」 「知っている」清一は言った。
「だが、その頃には、儂はもう、木村誠一として生きることに慣れてしまっていた。今さら、木下清一に戻る勇気がなかった」
二人は、しばらく黙って手を握り合っていた。
「主人です」節子が、モーシェを紹介した。
「モーシェ・吉田。私を、支えてくれた人です」 清一はモーシェを見た。
「節子を、幸せにしてくれて、ありがとう」清一は言った。
モーシェは静かに頭を下げた。 「節子さんが、あなたのことを、一度も忘れたことがなかったのは、分かっていました」モーシェは言った。「今日、あなたに会えて、私も嬉しく思います」
根古は、その光景を少し離れた場所から見ていた。 由紀子が隣に立った。
「六十年越しの再会、というものを、初めて見ました」由紀子は静かに言った。 「俺もだ」根古は言った。
しばらくして、節子が根古の方を振り返った。 「根古さん」節子は言った。
「文吉さんのことを、清一さんから聞きました。私のせいで、その方も、犠牲になったんですね」 「節子さんのせいじゃない」根古は言った。
「義雄が、隠すために動いた結果です」 「それでも」節子は言った。
「私と清一さんが、ただ一緒にいたいと願っただけのことが、これだけ多くの人の人生を狂わせてしまった」
清一が、節子の手を強く握った。 「それは、儂たちのせいじゃない」清一は言った。
「儂たちを利用し、消そうとした人間たちのせいだ。儂たちは、ただ、人を好きになっただけだ」
節子は、清一の言葉に、静かに頷いた。
*
面会室を出ると、根古は由紀子に言った。
「文吉のことは、これで、はっきりした」根古は言った。
「清一が生きていることを知り、それを義雄に伝えるか、あるいは義雄が独自に気づいて、文吉を消した」 「証拠は、まだありません」由紀子は言った。
「義雄さん本人に確認する必要がありますが……」 「認知症が進んで、まともな証言は期待できない」根古は言った。
「だが、清一さんの証言と、戸籍の改竄記録があれば、状況証拠としては十分だ」
「これから、どうしますか」由紀子は聞いた。
「文吉の家族に、伝える必要がある」根古は言った。「四十六年間、行方不明のままだった人間が、なぜ消えたのか。真相を知る権利が、家族にはある」
根古は施設を出て、木曽川の方角を見た。 夕暮れの光が、川面に反射している。
「まだ、文吉さんの遺体が、どこにあるかは分かっていません」由紀子は言った。
「そうだな」根古は頷いた。「最後のピースは、それだ」




