戸籍の記憶
可児市役所の市民課には、朝一番で向かった。
由紀子が事前に情報開示請求の手続きを済ませておいてくれたおかげで、担当の職員はすぐに対応してくれた。
「木下清一さんの戸籍に関する記録ですね」担当の女性職員は、パソコンの画面を確認しながら言った。「現在の電子データでは、昭和三十一年に死亡とだけ記録されています。ただ、当時の紙の原簿が、まだ保管庫に残っているはずです。古い記録なので、閲覧には少し時間がかかりますが」 「構いません。お願いします」根古は言った。
三十分ほど待たされたあと、職員が古い和綴じの帳簿を持ってきた。
「これが、昭和三十年代の除籍原簿です」職員は言った。「該当のページを開いておきました」
根古と由紀子は、帳簿を覗き込んだ。 木下清一の名前があった。
死亡日は「昭和三十一年四月十二日」。 だが、根古はその横の欄に、わずかな違和感を覚えた。
「これは……」由紀子が指をさした。「記入の筆跡が、途中で変わっていませんか」
根古も気づいた。 死亡日の数字の部分だけ、インクの色がわずかに違う。
周囲の文字は薄い墨で書かれているが、日付の数字部分だけ、心なしか濃く、新しく見えた。
「職員さん」根古は聞いた。「この記録が、後から書き換えられたということは、ありえますか」 職員は困惑した表情で帳簿を見た。
「通常は、あり得ません」職員は言った。「除籍簿は厳重に管理されていますが……古い記録なので、当時の担当者が訂正を入れた可能性はあります。訂正印がないか、確認してみます」
職員は帳簿を裏返し、綴じの部分を丁寧に確認した。
「……ありました」職員は言った。「この帳簿の、この部分だけ、綴じ糸が一度解かれて、また綴じ直された跡があります。通常の訂正とは、少し違う処理です」
根古と由紀子は顔を見合わせた。
「いつ頃、綴じ直されたか分かりますか」根古は聞いた。
「それは、この記録だけでは分かりません」職員は言った。「ただ、当時の担当者の記録が残っていれば……少々お待ちください」
さらに待つこと一時間、職員が別の書類を持ってきた。
「昭和五十五年の、原簿修正申請の記録が見つかりました」職員は言った。「木下家の関係者からの申請で、清一さんの記録に『事務的な誤記があった』として、訂正申請が出されています」 「申請者の名前は」根古は身を乗り出した。 「鷺田義雄、とあります」
根古は息を呑んだ。 由紀子も目を見開いた。
「義雄が、清一の戸籍を書き換えたのか」根古は呟いた。
「昭和五十五年に?」 由紀子が根古を見た。 「昭和五十五年といえば、文吉さんが失踪した年です」 「そうだ」根古は言った。
「文吉が、清一の死亡日のずれに気づいた。そして、それを義雄に知られた。義雄は文吉を消し、そして戸籍の記録を、辻褄が合うように書き換えた」
根古はしばらく、帳簿を見つめていた。
「つまり、こういうことか」根古は言った。
「清一は、昭和三十一年には死んでいなかった。もっと後まで生きていた。だが、義雄がその事実を隠すために、後から戸籍を改竄した。そして、その改竄に気づいた文吉を、消した」
「もう一つ、疑問があります」由紀子が言った。
「なぜ義雄は、清一が生きていたという事実を、そこまでして隠す必要があったのか」 「それが分かれば……」根古は言った。
「清一が、本当は何をしていたのか、分かるかもしれない」
根古は職員に礼を言い、帳簿の写しを請求した。 市役所を出ると、外は強い日差しだった。
「清一が生きていたなら」根古は言った。
「今も生きている可能性は、さすがにないか」 「昭和三十一年生まれとして計算しても、もし今も生きていれば、九十歳前後です」由紀子は言った。
「義雄さんと同年代です」 「同じ施設にいる可能性は」 「調べる価値はあります」由紀子は言った。「ただ、もし清一さんが本当に生きていたとしたら、なぜ節子さんの前に、一度も姿を現さなかったんでしょうか」
根古は答えられなかった。
「もう一つ」由紀子は続けた。
「清一さんが、義雄さんにとって、消さなければならないほどの秘密を持っていたとしたら……それは、義雄さんのネットワークの、さらに根本に関わることかもしれません」 「義雄より前の話、ということか」 「あるいは」由紀子は根古を見た。
「義雄さん自身の、始まりに関わる話かもしれません」
根古は木曽川の方角を見た。 物語は、思っていたよりも、ずっと深いところまで続いているようだった。




