文吉の足跡
根古は翌日、自分の親族に連絡を取った。
根古文吉について詳しく知る人間は、もうほとんど残っていなかった。
父方の遠縁を辿り、ようやく話を聞けたのは、可児市内の老人ホームに入所している、根古家の分家筋にあたる老女??根古スミだった。八十九歳、文吉とは従兄妹の関係にあたる。
「文吉さん?」スミは車椅子の上で、遠い目をした。
「懐かしい名前だね。もう、四十六年も経つのか」 「文吉さんについて、覚えていることを聞かせてもらえますか」根古は言った。
「あの人は、真面目な人だった」スミは言った。「木下家の遠縁で、当時、可児市役所に勤めていた。戸籍や土地の記録を扱う部署にいたはずだ」 「戸籍や土地の記録?」 「そう。だから、色々な家の裏事情を、知ってしまう立場にいたんだよ」スミは声を落とした。
「昭和五十五年の少し前から、様子がおかしかった。何かに怯えているようだった」
「怯えていた、というのは」
「はっきりとは言わなかった。ただ、あるとき、私にこう言ったんだ。『役所の記録を見ていたら、消えている戸籍がいくつかある』と」 「消えている戸籍?」 「本来あるはずの記録が、書き換えられていたり、抜け落ちていたりする、ということらしい。文吉さんは、それを不審に思って、独自に調べ始めていた」
根古は身を乗り出した。 「調べていた内容は分かりますか」 「詳しくは分からない」スミは首を振った。
「ただ、文吉さんは、木下家の??あなたのお祖父様の代の戸籍について、何か気づいたようだった。それを、当時まだ若かった昌也さんに相談していたはずだ」
「親父に?」 「昌也さんはまだ二十代だった。文吉さんより年下だが、頭がいいと評判だった」スミは言った。
「二人で何度か会っていたのを覚えている。そして、ある日突然、文吉さんが消えた」
「警察には届けたんですか」 「届けたよ。でも、すぐに『東京に行った』という話が広まって、それで終わりになった」スミは言った。
「誰も本気で探そうとしなかった。おかしな話だろう。役所勤めの真面目な男が、家族に何も告げずに消えるなんて」
根古はメモを取りながら、聞いた。
「文吉さんが調べていた『消えている戸籍』というのは、誰の戸籍か分かりますか」 スミはしばらく考えてから、小さく言った。 「木下家の、次男の??」
根古の心臓が跳ねた。 「清一、ですか」 スミは根古を見た。
「知っていたのかい」 「最近、知りました」根古は言った。「清一さんは、昭和三十一年に亡くなっています」 「戸籍の上ではそうなっている」スミは言った。
「でも文吉さんは、その死亡届の日付が、おかしいと言っていた。実際に届けられた日付と、戸籍に記録されている日付が、微妙にずれている、と」
「ずれている、というのは」 「文吉さんの言葉をそのまま伝えると??『清一さんは、戸籍の上で死んだ日より、もっと後まで生きていたかもしれない』ということだった」
根古は言葉を失った。
「まさか」根古は言った。
「清一さんが、事故死じゃなかったということですか」 「文吉さんは、そこまでは言わなかった」スミは言った。
「ただ、何かを掴みかけていた。それを確かめようとしていた矢先に、消えたんだ」
根古は事務所に戻ると、すぐに由紀子に電話した。 「文吉が調べていたのは、清一の死亡日の改竄だ」根古は言った。
「戸籍の記録上の日付と、実際の日付がずれているらしい」 「つまり」由紀子の声が緊張した。
「清一さんは、昭和三十一年に死んだのではなく、もっと後まで生きていた可能性があるということですか」 「そうだ」根古は言った。
「もしそうなら、節子さんが聞かされていた話とも、違うことになる」 「節子さんに、確認する必要がありますね」 「いや」根古は少し考えた。
「まず、市役所の記録を調べよう。文吉が見たという戸籍の原本が、まだ残っているかもしれない」
「可児市役所ですね」由紀子は言った。
「明日、一緒に行きましょう。私なら、情報開示請求のルートを知っています」 「頼む」
電話を切ると、根古はスミの言葉を思い返していた。
――清一さんは、戸籍の上で死んだ日より、もっと後まで生きていたかもしれない。
もし清一が生きていたなら。 節子との関係も、木下家の因縁も、根古の知る物語のすべてが、また違う形を取ることになる。
根古は窓の外を見た。 夜の街に、木曽川からの風が吹いていた。




