次の案件
康介の裁判が結審してから、一ヶ月が経っていた。
過失致死として有罪、執行猶予付きの判決だった。美也子は毎回の公判に顔を出していたが、根古は一度も足を運ばなかった。
裁くのは裁判所の仕事であって、自分の仕事ではない??そう決めていた。
その日、根古の事務所に、星野由紀子から電話が入った。
「根古さん、お久しぶりです」 「珍しいな。何かあったか」 「一つ、相談したいことがあります」由紀子の声は、いつもより硬かった。「直接会って話せますか」
*
夕方、根古はいつものラクカに向かった。太田がカウンターの奥で、いつも通り無言でコーヒーを淹れていた。 由紀子は窓際の席で待っていた。
「相談というのは」根古は椅子に座りながら聞いた。
「岐阜県内で、もう一つ、古い事件を追っています」由紀子はファイルをテーブルに置いた。
「昭和五十年代、この辺りで起きた失踪事件が、いくつかあります。表向きは、単なる家出や蒸発として処理されてきましたが??パターンがあります」 「パターン?」 「失踪した人間は皆、当時、地元の有力者や、政治家の秘密を知りうる立場にいた人間です」由紀子は言った。
「そして、共通して、鷺田家??より正確には、義雄さんが作ったネットワークの周辺にいた」 「義雄の件は、もう終わったんじゃないのか」 「ネットワークの中枢は解体されました」由紀子は言った。
「ですが、義雄さんが動かしていたのは、鷺田家や安藤家だけではなかったようです。もっと広い、地域全体に及ぶ協力者の網があった。今回見つけた失踪事件は、その網の末端で処理された人間たちの話かもしれません」
根古はファイルを開いた。 昭和五十二年、五十三年、五十五年??三件の失踪事件が並んでいた。
いずれも、可児市周辺で起きている。
「なぜ、俺に相談する」根古は聞いた。「あんた一人でも、調べられるだろう」 「一つだけ、気になることがあります」由紀子は言った。
「三件目の失踪者??昭和五十五年に消えた、根古文吉という人物です」
根古は顔を上げた。 「文吉?」 「あなたの家系に、心当たりはありますか」
根古はしばらく黙っていた。 「聞いたことがある名前だ」根古は言った。
「親父の従兄弟にあたる人間だったはずだ。子供の頃、法事で名前が出た記憶がある。詳しいことは、誰も話したがらなかった」
「文吉さんは、昭和五十五年、突然姿を消しています」由紀子は言った。
「家族には『しばらく仕事で東京に行く』とだけ言い残して。それきり、消息不明のままです」 「見つかっていないのか」 「はい」由紀子は根古を見た。
「そして??これが偶然かどうか分かりませんが、文吉さんが失踪する直前、あなたの父、昌也さんに会っていたという記録があります」
根古は息を止めた。
「親父が、また関わっているのか」 「まだ断定はできません」由紀子は言った。
「ですが、昌也さんは若い頃から、木下家や鷺田家の周辺で起きていたことに、うっすら気づいていたのかもしれません。文吉さんの失踪も、その一環だった可能性があります」
根古はファイルを閉じた。 窓の外を見た。木曽川の方角に、夕暮れの雲が広がっていた。
「一つ、聞いていいか」根古は言った。
「どうぞ」 「あんたは、なぜそこまでする」根古は由紀子を見た。「公安を辞めてまで、これを追う理由は何だ」
由紀子は少し考えてから、答えた。
「昔、私の家族にも、似たようなことがありました」由紀子は静かに言った。
「詳しくは、まだ話せません。
ですが??消された人間の記録が、何もなかったことにされるのを、これ以上見たくないんです」
根古は由紀子を見つめた。 この女もまた、何かを背負って動いている。根古と同じように。
「分かった」根古は言った。「文吉のことを、調べよう」 「協力してくれますか」 「親父が関わっていたなら、俺の仕事だ」根古は言った。「それに??」
根古は太田の方を見た。太田は何も言わず、コーヒーのおかわりを二人の前に置いた。
「終わったと思っていた話が、また続くらしい」根古は小さく笑った。
「この町は、掘れば掘るほど、何か出てくる」 「木曽川の底には、まだ何が沈んでいるか分かりませんね」由紀子も、わずかに笑った。
外はすっかり暗くなっていた。 根古はコーヒーを一口飲み、ファイルを開き直した。




