木下邸の焼け跡
木下邸があった場所は、今は雑木林になっていた。
可児市の外れ、木曽川を見下ろす小高い丘の上。五十年前に焼け落ちた屋敷の跡地は、誰も買い手がつかないまま、長い間放置されていた。
根古が車を停めると、ダニロが先に降りた。
「ここですか」 「ここだ」根古は雑草をかき分けながら歩いた。
「親父が生きていた頃、何度か連れてこられた。何もない、ただの空き地だと思っていた」
西野も同行していた。神主としての知識で、土地の言い伝えに詳しい。
「この辺りの年寄りは、今でもこの場所を『焼け屋敷』と呼ぶ」西野は言った。
「祟りがあると言って、誰も近づかない。俺の親父も、子供の頃に近づくなと言われたそうだ」
三人は焼け跡の中心と思われる場所に立った。
地面には、かつての基礎石らしきものが、苔むしたまま残っていた。
「親父は何を探していたと思う」根古は呟いた。
「昌也さんは、生前、この場所の図面を持っていました」西野が言った。
「以前、俺に見せてくれたことがある。屋敷の見取り図だ。地下室があったはずだと言っていた」 「地下室?」 「木下家は、戦時中に防空壕として地下室を作っていたらしい」西野は言った。
「火事のあと、瓦礫の下に埋まって、誰も掘り返さなかった」
根古は地面を見渡した。 「場所は分かるか」 「正確には分からない」西野は言った。「昌也さんも、最後まで特定できずにいた」
ダニロが地面を蹴りながら歩き回っていたが、ふと足を止めた。 「ここ、少し地面が沈んでいる」 根古と西野が近づいた。 雑草に覆われた地面が、確かにわずかに窪んでいる。周囲より低い。
「掘ってみるか」根古は言った。
*
翌日、根古は雨月を通じて、市の許可を得た。私有地ではあったが、所有者は遠縁の親戚で、長年放置されている土地だった。
事情を話すと、調査に協力してくれた。 小さな重機と、数人の作業員が呼ばれた。
根古、ダニロ、西野、そして雨月が見守る中、作業が始まった。 一時間ほど掘り進めたところで、コンクリートの塊が現れた。
「防空壕の天井だ」西野が言った。
さらに掘り進め、崩れた入口が見つかった。 根古は懐中電灯を持って、狭い入口から中に入った。 ダニロが続いた。
地下室は思ったより小さかった。三畳ほどの空間に、錆びた棚と、朽ちた木箱がいくつか置かれている。 根古は木箱を一つずつ調べた。
ほとんどが、当時の日用品や、戦時中の配給品の残骸だった。
だが、奥の棚の下に、金属製の箱が一つ、埋もれるようにして残っていた。 根古はそれを掘り出した。 錆びついた蓋を、慎重にこじ開けた。
中には、油紙に包まれた書類の束と、古い写真が数枚入っていた。
根古は写真を一枚取り出した。
若い頃の義一と、まだ少年だった義雄、そして木下家の当主??根古の曽祖父にあたる人物が並んで写っている。写真の裏には、日付と「昭和二十五年」の文字。
もう一枚の写真には、若い男女が写っていた。 根古は息を呑んだ。
女性の顔に、見覚えがあった。 節子??モーシェの妻の、若い頃の姿だった。
隣にいる男は、木下家の人間らしい着物姿の青年だった。
「昌也さんの、父親の世代の写真か」西野が覗き込んだ。
「いや」根古は写真の裏を見た。「これは……根古家の側の写真だ」
裏書きにはこうあった。 ――昭和三十年、木下家次男・清一と、安藤節子
「清一?」根古は呟いた。「聞いたことのない名前だ」 「木下家の次男か」西野が考え込んだ。
「昌也さんの父は、確か長男だったはずだ」
根古は書類の束を開いた。 古い戸籍の写しと、手紙が数通。
根古は手紙の一通を読み進めた。
それは、木下家の次男・清一が、安藤節子??モーシェの妻となる前の節子??に宛てたものだった。
――節子へ ――お前が安藤家の娘であることは知っている。それでも、俺はお前を好きになった。
安藤家がソ連と繋がっていることも、噂で聞いている。
だが、俺はお前個人を信じたい。 ――兄には言えない。父にも言えない。もし俺たちのことが知れたら、兄が困ることになるかもしれない。
根古は手紙から顔を上げた。 地下室の暗がりの中、埃が舞っていた。
「これは……」根古は呟いた。
「親父が追っていたのは、義雄の裏切りだけじゃなかったのか」 「どういう意味だ」ダニロが聞いた。 「木下家と安藤家??節子さんの家??の間には、義雄の代の話より前に、別の繋がりがあった」根古は言った。
「清一という、俺の知らない大叔父が、節子さんと関係を持っていた」
根古は次の書類を手に取った。 それは、清一の死亡記録だった。 日付は昭和三十一年。死因の欄には「事故死」とだけ記されている。
「清一という人は、どうなったんだ」ダニロが聞いた。 「死んでいる」根古は静かに言った。「二十五歳で。木下邸の火事より、十八年も前だ」
根古はしばらく、暗い地下室の中で立ち尽くしていた。
五十年前の火事の話だと思っていた。だが今、その根はさらに深く、七十年前まで伸びていることが分かった。
「西野さん」根古は言った。
「節子さんに、話を聞く必要がある」 「モーシェさんの奥さんに?」 「節子さんは、まだこのことを知らないかもしれない」根古は言った。「あるいは??全部知っていて、黙っていたのかもしれない」
根古は地下室を出た。 夕暮れの光が、掘り返された地面に差し込んでいた。




