妹の証言
喫茶店は可児市の外れ、国道沿いにある古い店だった。 根古が着くと、奥のテーブルにすでに女性が座っていた。六十四歳と聞いていたが、実際より若く見える。姿勢がよく、目つきがしっかりしている。
「根古さんですね」女性は立たずに言った。「鷺田美也子です」 「根古親司です。急にすみません」 「雨月さんという刑事さんから話は聞いています」美也子はコーヒーを一口飲んだ。「兄のことでしょう」 「はい」 「何でも聞いてください。兄を庇う気はありません」
根古は椅子に座り、水を一口飲んでから切り出した。 「鷺田康介さんが、ロシア側の人間と接触していることは、ご存知でしたか」 「知っていました」美也子はあっさりと言った。「五年ほど前から、兄の様子がおかしくなりました。急に羽振りが良くなったり、聞いたこともない外国語の書類を家に持ち込んだり。父が亡くなったあと、家のものを整理していたとき、祖父義雄に関する古い書類が出てきました。兄はそれを見てから、変わったんです」
「変わったというのは」 「祖父を、崇拝するようになりました」美也子は窓の外を見た。「私たち兄妹は、祖父のことをほとんど知らずに育ちました。父が話したがらなかったから。ただ、父は生前、時々こう言っていました。『義雄兄さんは、悪い人間じゃなかった。ただ、時代が悪かった』と」
「お父様は、義雄さんを庇っていたんですね」 「庇っていたというより……」美也子は少し考えた。「許そうとしていたんだと思います。血を分けた兄ですから。でも、兄の康介は逆でした。祖父のやったことを『正しかった』と考えるようになった。私にはそれが、怖かった」
根古はコーヒーを一口飲んだ。 「康介さんは今朝、義雄さんの施設に行きました」 美也子の表情が動いた。 「祖父に会いに?珍しいですね。月に一度くらいは行っていたはずですが」 「様子が変わって出てきました」根古は言った。「何があったかは分かりませんが」
美也子はしばらく黙っていた。それから言った。 「根古さん、一つ聞いていいですか」 「どうぞ」 「兄は、罪に問われるんでしょうか」
根古は少し考えてから答えた。 「それは俺が決めることじゃない。ただ、はっきりさせておきたいことがある。木下昌也??俺の親父は、五十年前のこの町の出来事の真相を追っていて死んだ。片桐という男、モーシェという男、そしてボリス・クラフチェンコというウクライナ人。全員、義雄さんによって人生を壊された。俺はその真相を明らかにしたいだけだ。康介さん個人を潰したいわけじゃない」
美也子は根古をじっと見た。 「ありがとうございます」美也子は静かに言った。「正直に言うと、私は兄のことがずっと心配でした。祖父の亡霊に取り憑かれているようで。真相が明らかになれば、兄もその亡霊から解放されるかもしれません」
「協力していただけますか」 「もちろんです」美也子は頷いた。「施設の面会記録も、私の名前で請求できます。必要なら、今日中に動きます」
根古は頭を下げた。 「助かります」
*
喫茶店を出ると、根古の携帯が鳴った。星野由紀子からだった。
「根古さん、康介さんと話しました」由紀子は言った。
「取引に応じるそうです。ロシアとの関係を切ると」 「本当か」 「本気だと思います」由紀子は言った。
「ただ、一つ条件を出されました。義雄さんの名前を、これ以上表に出さないでほしいと」 「あの状態の年寄りを裁いても仕方がない、というのは俺も同感だ」根古は言った。
「だが、それを決めるのは俺たちだけじゃない。片桐さんとモーシェさんの意見も聞く必要がある」 「その通りです」由紀子は言った。
「今夜、西野の教会に集まれますか。片桐さん、モーシェさん、根古さん、それに??よければ康介さんも呼びましょう」 「康介を?」 「本人が望むなら」由紀子は言った。「五十年前の話に、決着をつけるべき時だと思います」
根古は空を見上げた。 雲間から、久しぶりに晴れ間がのぞいていた。
「分かった」根古は言った。「今夜、全員で集まろう」




