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教会に集う

 午後、根古の携帯に一石から連絡が入った。

「昨夜消えた見張りの件、分かったことがある」一石の声は珍しく硬かった。

「身元はロシア大使館関係の人間ではない。フリーの元自衛隊員で、金で雇われた便利屋のような男だ。雇い主を辿ると??星野由紀子に行き着いた」

「由紀子が雇っていたのか」 「見張りの見張りだ」一石は言った。

「彼女は康介の動きだけでなく、俺たちの動きも見ていた。姿を消したのは、役目が終わったからだろう」 「由紀子は何者だ」 「調べている。だが一つ言えるのは」一石は少し間を置いた。

「彼女は素人じゃない。動き方が、俺たちに近い」


 根古は電話を切り、しばらく考えた。  由紀子という女が何のために動いているのか、まだ分からない。だが今は、疑うよりも前に進むしかなかった。


   *


 夜、西野の教会に人々が集まった。  モーシェは椅子に座り、隣にダニロが立っている。片桐は祭壇に近い長椅子に一人で座っていた。西野はろうそくに火を灯し、部屋の隅で腕を組んでいる。


 根古が革のケースを持って入ってきた。

 少し遅れて、鷺田康介が現れた。硬い表情で、扉のところで立ち止まった。

 教会の中の空気が張り詰めた。  片桐が先に立ち上がった。康介を見た。

「鷺田義一の孫か」 「はい」康介は頭を下げた。

「片桐さん、モーシェさん??祖父が、あなた方にしたことを、詫びる立場にはないと思います。それでも、聞いてほしいことがあります」


 全員が康介を見た。 「今朝、施設で祖父に会いました」康介は静かに言った。

「祖父は、俺のことを昌也さんだと思っていました。認知症の中で、時間が混ざっている。祖父は涙を流しながら、『兄さんを止められなかった』と言いました。兄というのは、義一??俺の父のことです」


 モーシェが顔を上げた。 「義雄さんが、義一さんの立場で話していたということか」 「はい」康介は頷いた。

「祖父の頭の中では、自分と父が入れ替わっているようでした。だから、余計に分かりました。祖父は、加害者でありながら、ずっと自分を許せずにいたんだと」


 教会の中に、沈黙が落ちた。  しばらくして、モーシェが口を開いた。

「私は義雄さんを憎んでいました。五十年間、ずっと」モーシェは静かに言った。

「でも今の話を聞いて??憎しみが少し、形を変えました。あの人も、あの時代に押し潰された一人だったのかもしれない」 「甘い」片桐が低く言った。

「義雄は自分の意思でボリスを消した。安藤家を使って木下邸に火をつけさせた。それは時代のせいじゃない、あの男の選択だ」 「分かっている」モーシェは片桐を見た。

「選択と、苦しみは、両立する。義雄さんを許すとは言っていません。ただ、憎むだけでは、俺たちも義雄さんと同じところに留まってしまう」


 根古は革のケースをテーブルに置いた。 「この中に、義雄が安藤家とソ連、そして当時のY代議士から二重に金を取っていた証拠がある」根古は言った。「片桐さんが持っていたものだ。それと??これも見てほしい」  根古は義一の手紙を取り出した。

「親父に宛てた、義一さんの手紙だ。兄を止められないと知りながら、それでも親父を守ろうとしていた」


 康介はその手紙を手に取り、読んだ。  しばらく、動かなかった。

 やがて、康介の目から涙がこぼれた。 「父は……」康介は掠れた声で言った。「父は、ずっとこれを抱えていたのか。祖父の罪を知りながら、誰かを守ろうとして」 「そうだ」根古は言った。


 康介は手紙を根古に返した。 「聞かせてください」康介は顔を上げた。

「これから、どうなるんですか。祖父は、罪に問われますか」 「義雄さんは九十二歳で、認知症を患っている」根古は言った。

「今さら罪に問うても、意味があるとは思えない。だが、真相は明らかにする。片桐さんが受けた仕打ち、モーシェさんが失ったもの、ボリスの死、そして俺の親父の死??それらが、義雄という一人の男の選択によって起きたことを、記録として残す」

「祖父の名前を、公にするということですか」 「表沙汰にするつもりはない」根古は言った。

「だが、関係者には全て伝える。片桐さん、モーシェさん、ダニロ、ボリスの遺族、そして??あんたの妹の美也子さんにも」  康介は頷いた。 「それでいい」康介は静かに言った。

「隠し続けることに、もう疲れました」


 康介はポケットから小さなUSBメモリを取り出し、テーブルに置いた。

「ロシア側とのやり取りの記録です」康介は言った。

「星野さんとの約束通り、これで関係を切ります。この記録が、ネットワークを完全に断つ証拠になるはずです」


 由紀子が扉の近くから声をかけた。  いつの間にか教会に入っていたようだった。

全員が振り向いた。 「よくやりました」由紀子は静かに言った。

「これで、五十年続いたネットワークが、正式に終わります」


 根古は由紀子を見た。 「あんたは何者だ」  由紀子は微笑んだ。

「それは、もう少し先の話にしましょう」由紀子は言った。「今夜は、五十年前の話に決着をつける夜です」


 教会の外で、月が雲間から顔を出していた。  片桐とモーシェが、静かに窓の外を見ていた。  二人の間に、もう敵意はなかった。

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