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魂剥離と、肉球の返事

第3話 魂剥離と、肉球の返事


---


 翌朝、工藤は事務所に来るなりコーヒーを淹れた。

 安藤はすでにいた。いつものように、誰にも呼ばれていないのに。

「昨夜、署でどんな話になりましたか」と工藤が聞いた。

「骨董店の店長は認否を留保している。ただ、田中が撮った写真の伝票と現物の差異は明らかで、山本巡査長が本格捜査に動いた」と安藤は言った。「問題は背後だ。店長一人でやれる規模じゃない」

「組織がある」


「ある。しかも都市側に。可児はただの中継点だ」

 江戸川が地図を広げた。骨董店の位置、マンションの位置、田中の行動ルートに印をつけた。

「ここ」と江戸川が指した。「骨董店から車で十分のところに、倉庫があります。廃業した運送会社の跡地です。タイヤ痕のパターンから、裏路地と同じ車が使っていた可能性がある」


「よく気づきましたね」と工藤が言った。

「師匠に教わりました。タイヤ痕は道路だけじゃなく、衛星写真でも追えると」

 工藤は地図を見た。倉庫は市街地から少し離れた場所にあった。目立たない、しかし車の出入りには便利な立地だった。


「今日、見に行きましょう」

「俺も行く」と安藤が言った。

「安藤さんは??」

「口だけ出す、とは言わない。今日は体も動かす」

 工藤は一瞬だけ考えた。

「わかりました。ただし、私の指示に従ってください」

「元警部補に向かって」

「今日だけは探偵事務所の依頼です」

 安藤は不服そうな顔をした。でも頷いた。


---


 根古にはLINEで連絡した。

 江戸川が打った。

*「師匠、おはようございます。倉庫に行ってきます。報告します」*


 十分後、既読がついた。

*「わかった。気をつけて」*


 それだけだった。


 江戸川が「師匠、来ないんですかね」とつぶやいた。

「来なくていいです」と工藤は言った。「下見だけです」


---


 倉庫は、思ったより大きかった。

 鉄扉が二重になっていて、外側は錆びているが内側の錠は新しかった。敷地を一周すると、裏手に荷物用の搬入口があった。最近使われた形跡があった。


 工藤が写真を撮った。江戸川がメモを取った。安藤が敷地の端をじっと見た。

「土が掘り返されてる」と安藤が言った。「最近だ」

「埋めたものがある?」

「あるいは、掘り出したか」

 工藤がその場所を撮影した。

 そのとき、江戸川のスマホが鳴った。

 LINEの通知。根古からだった。


*「今どこ」*


 江戸川が住所を返した。

 三分後。


*「着いた」*


 全員が振り返ると、倉庫の前の道路に、古い軽自動車が止まっていた。

 根古が降りてきた。サンダルだった。助手席からヤマトが降りてきた。

「来ないんじゃ??」と工藤が言いかけた。

「気が変わった」と根古は言った。

 ヤマトが倉庫の方へ歩いていった。


---


 ヤマトが鉄扉の前で止まった。

 耳が、ぴんと立った。


 根古がヤマトの隣にしゃがんだ。ヤマトを見た。しばらく、二人で??一人と一匹で??何かを共有するように、黙っていた。

「中に荷物がある」と根古は言った。「人はいない。でも、今夜来る」

「今夜?」と安藤が言った。

「今夜、搬出しようとしてる。骨董店の店長が捕まった。焦って動く」

「どうしてわかるんですか」と工藤が聞いた。

「ヤマト」と根古は言った。


「……もう少し具体的に教えてもらえますか」

「ヤマトが見た。今夜、ここに三人来る。夜の十時ごろ」

 工藤は根古を見た。根古はヤマトを見ていた。ヤマトは鉄扉を見ていた。

 信じるか、信じないか。


 工藤は昨夜のことを思い出した。スマホの電源が入った瞬間、ヤマトが窓へ走った。「五分もしたら上がってくる」と根古が言って、ほぼそのとおりになった。

「山本巡査長に連絡します」と工藤は言った。


---


 夜の九時半、倉庫の周辺に人が配置された。

 山本と平が一組。雨月が指揮を取った。安藤は「俺も」と言ったが、「退職されてます」と山本に言われて、倉庫から離れた場所で待機することになった。工藤と江戸川は山本の判断で同行を許可された。


 根古は軽自動車の中にいた。

 ヤマトも軽自動車の中にいた。

 江戸川が根古に「中で待っていてください」とLINEを送った。


*「わかった」*

 十時三分。


 倉庫の前に、ワンボックスカーが来た。三人の男が降りた。

 鉄扉を開けようとした瞬間、雨月が動いた。


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 確保は静かに終わった。

 三人は観念した。倉庫の中から、木箱が十七個見つかった。骨董品の違法転売ルートの証拠が揃った。都市側の買い手の情報も、男たちのスマホから出てきた。


 山本が工藤に言った。

「今回も、ですね」

「たまたまです」と工藤は言った。

「たまたまが多すぎます」

「……すみません」


 雨月が安藤の待機場所まで歩いていって、「終わりました」と報告した。安藤は「そうか」と言って、立ち上がった。それから、少し間を置いて言った。

「よくやった」

 雨月は無表情だったが、「ありがとうございます」と言った。


---


 深夜十一時。

 倉庫前の道路に、軽自動車がまだ止まっていた。

 工藤が助手席の窓をノックした。根古が窓を開けた。

「終わりました」と工藤は言った。

「お疲れさん」と根古は言った。

 ヤマトが助手席から工藤を見た。

「ヤマトのおかげです」と工藤は言った。

 根古は何も言わなかった。ヤマトも何も言わなかった。

「根古さん」と工藤は言った。「一つ聞いていいですか」


「何や」


「ヤマトは……本当に、見えているんですか。未来が」

 根古はしばらく、フロントガラスの向こうを見ていた。


「さあな」と根古は言った。「俺にもわからん。ただ、ヤマトが何かを感じると、俺にも何かが伝わってくる。それが当たってるだけや」

「信じているんですね、ヤマトを」

「一緒に住んでるからな」

 それだけだった。


 工藤はヤマトをもう一度見た。ヤマトは工藤をまっすぐ見ていた。金色の目が、夜の中で少し光っていた。

「……お疲れ様でした、ヤマト」と工藤は言った。

 ヤマトが、小さく一回だけ鳴いた。


---


 根古の軽自動車が動き出した。

 夜の可児市を抜けて、温泉の方向へ走っていった。深夜でも入れる温泉を根古は知っていた。ヤマトは助手席で丸まっていた。根古はラジオをつけた。

 翌朝。

 工藤・江戸川探偵事務所のFAX??江戸川が「あった方がいい」と言って中古で買った、埃をかぶっていたFAX??が、突然動いた。

 江戸川が飛び起きた。

 FAXが一枚、出てきた。

 紙の上半分に、手書きの文字があった。

*「お疲れさん。また困ったら言うて。 根古」*


 紙の下半分に??

 肉球の跡が、四つ、押されていた。

 黒いインクの、小さな肉球。

 江戸川はしばらくそのFAXを見ていた。

 それから、工藤に写真を撮って送った。


 工藤から返信が来た。

*「……ヤマトが押したんですか」*

 江戸川が根古にLINEで聞いた。

*「師匠、FAXありがとうございます! 肉球は、ヤマトが?」*


 しばらくして、既読がついた。

*「さあ」*

 それだけだった。


 江戸川はFAXを事務所の壁に貼った。

 安藤が来て、FAXを見て、何も言わなかった。でも、少しだけ目が細くなった。笑ったのかもしれなかった。


---


 その日の夕方、根古の軽自動車が温泉の駐車場に止まっていた。

 助手席のヤマトは、丸まって眠っていた。

 根古は湯に浸かりながら、スマホでFXのチャートを確認した。「今日は動いてるな」とつぶやいた。

 誰もいない露天風呂で、根古は空を見上げた。

 夕暮れが、山の端に引っかかっていた。

 遠くで、カラスが鳴いた。

 根古は何も考えなかった。


 ただ、湯に浸かっていた。

 それが根古親司の、仕事が終わった後のいつもの時間だった。


---


**第1章 完**



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