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飛騨金山巨石群、そして根古が動く

---


 十二月の飛騨は、可児より寒かった。


 岐阜県下呂市金山町。飛騨川沿いの山あいの町に、巨石群があった。


 正式には「金山巨石群」という。

縄文期の遺跡とされる石の配置が、山の斜面に残っていた。夏至と冬至に、太陽光が特定の石を正確に照らす??石で作られた暦、という説がある。

誰が、なぜ、この配置で石を置いたのか、今も謎だった。


 鳴海美佑は、その謎が好きだった。


---


 「飛騨金山の巨石群、取材します!」と美佑が言い出したのは、一週間前だった。


 ロドリゲス斎藤が「行きます」と言い、フェルナンド村田が「俺も行く、霊気がビッグやと思う」と言い、千紗都がシロで送迎を引き受けた。


 工藤と江戸川は「ついでに現地調査を」ということになった。


 ついでに秋月小五郎が「暇だから」と言ってついてきた。


 安藤が「なんかあったら連絡してください」と言い、可児に残った。


 麻尋が飛騨金山の地形図を手書きで作ってきた。

「撮影ルートはここがいいと思います」と言い、それも一緒に行くことになった。


 ジョセフという若い男が、出発の朝、可児の工藤事務所に来た。


「北村さんから聞いて来ました」と言った。「一石さんが、現地で合流します」


「一石さんが」と工藤は言った。


「飛騨金山の巨石群に??イスラエル側で、調査したいことがあると」


「わかりました」と工藤は言った。


---


 飛騨金山に向かう前、工藤は太田に電話した。


「根古さんに伝えてもらえますか。今日、飛騨金山へ行きます。一石さんが合流します」


「わかりました」と太田は言った。


 折り返しは??来なかった。


 それはいつも通りだった。


 根古が黙っている時は、動いていない時だ??工藤はそう思っていた。


 後に、それは間違いだとわかる。


---


 飛騨金山巨石群は、山の斜面に静かにあった。


 観光地というほどではなく、研究者と地元の人間が主に訪れる場所だった。石と石の間に、冬の草が枯れて残っていた。風が通ると、草が揺れた。


 美佑がカメラを構えた。ロドリゲスが配信を始めた。麻尋が地形図と現地を照合していた。千紗都がシロを麓に停めて、ミケを抱いて巨石の前に立っていた。


「ビッグな霊気です」とフェルナンドが言った。


「毎回言いますね」とロドリゲスが言った。


「毎回ビッグなんや」


 工藤は巨石を見ていた。夏至と冬至に太陽が当たる石。

誰かが、何千年か前に、この配置を計算した。

なぜ??という問いに、工藤は答えを持たなかった。

ただ、計算した人間がいた、ということは確かだった。


 江戸川が隣に来た。「ユダヤと関係あるんですか、ここが」


「一石さんに聞いてください」と工藤は言った。


「一石さん、まだ来ていませんね」


「来ます」と工藤は言った。


---


 来たのは、一石ではなかった。


 十人以上の男たちが、山道の上から下りてきた。


 中東系の顔立ちだった。

服装は旅行者のようだったが、動き方が違った。目的を持った動き方だった。


 先頭の男が、美佑のカメラに手を伸ばした。


「撮影をやめてください」と男は言った。日本語だった。訛りがあった。


「なぜですか」と美佑は言った。カメラを引いた。


「この場所の撮影は許可されていません」


「許可は取っています」と麻尋が言った。

地形図を持ちながら。「事前に確認しています」


「その許可は無効です」


「無効の根拠は」と工藤が前に出た。


 男が工藤を見た。背が高く、目が細く、何かを測るような目だった。


「あなたは関係ない」と男は言った。


「関係があります」と工藤は言った。


 男が後ろに合図した。


 残りの男たちが、散開した。


---


 江戸川が安藤に電話した。「今すぐ来てください、飛騨金山です」


「どれくらいかかりますか」と安藤は言った。


「一時間以上」


「近い人間を呼んでください」


 江戸川は電話を切った。


 秋月が前に出ていた。元刑事の立ち方で、重心を低く、腕を広げた。


「動くな」と秋月は言った。


 男たちは動いた。


 秋月が一人を止めた。工藤が一人に対応した。

江戸川が二人を相手にした。しかし??十人以上だった。数が多すぎた。


 千紗都がミケを抱いて後ろに下がった。美佑がカメラを守りながら岩の陰に入った。ロドリゲスが「配信??今は??」と言いかけて、男に肩を掴まれた。


 フェルナンドが「ビッグビッグビッグ、助けてくれ!」と叫んだ。


---


 江戸川がスマートフォンを取り出した。


 三人を相手にしながら、片手で根古に電話した。


「根古さん!」と江戸川は言った。

「飛騨金山です。10人以上に囲まれています、すぐ来てください」


 電話口が少し静かになった。


「飛騨金山ぬく森の里温泉に来ていました」と根古は言った。


 江戸川の手が、一瞬止まった。


「え?」


「ヤマトが行きたそうだったので、今朝から来ていました」と根古は言った。

「巨石群まで、歩いて十分です。今から行きます」


「根古さんが??」と江戸川は言った。


「江戸川さん」と根古は言った。


「はい」


「電話を切らないでください。ヤマトが、もう感じています」


---


 三分後。


 山道の下から、人影が来た。


 五十代後半の男だった。背は中くらい、体格は普通だった。

黒いコートを着ていた。腕に??黒猫を抱いていた。


 黒猫が、男たちを見た。


 低く、唸った。


 男たちの一人が振り返った。来た人間を見た。「誰だ」と言いかけた。


 根古が立ち止まった。


 何も言わなかった。


 手を動かすわけでもなかった。武器を出すわけでもなかった。


 ただ??見た。


 男たちを、順番に、静かに、見た。


---


 江戸川には、何が起きたかわからなかった。


 後で何度思い返しても、わからなかった。


 ただ??根古が来て、立って、見た。


 それだけだった。


 なのに??男たちが、止まった。


 一人目が、動きを止めた。立ったまま、目が虚ろになった。


 二人目が止まった。


 三人目、四人目。


 波のように、順番に、止まった。


 十人以上が、十秒もかからずに、全員、止まった。


 倒れてはいなかった。立っていた。ただ??目が、遠くを見ていた。

自分がどこにいるか、わからなくなったような目だった。


 秋月が固まっていた。


 工藤が固まっていた。


 フェルナンドが「……ビッグ」と言った。今回は小さかった。


 ロドリゲスは配信を止めていた。止めたことに、本人も気づいていなかった。


---


 根古がヤマトを抱いたまま、工藤の隣に来た。


「少し疲れました」と根古は言った。静かに。「温泉に戻ります」


「根古さん」と工藤は言った。


「はい」


「今、何をしたんですか」


「……うまく説明できません」と根古は言った。

「ただ??悪意のある意志は、一時的に外に出せます。ヤマトが教えてくれます、どれが悪意かを」


「魂を、外に」と工藤は言った。


「戻ります」と根古は言った。

「三十分くらいで、元に戻ります。その間に、雨月さんに連絡してください」


「根古さん」と江戸川が来た。「根古さんは??引きこもりじゃなかったんですか」


 根古がヤマトを少し抱き直した。


「ヤマトが行きたそうだったので、来ました」と根古は言った。


「でも??外じゃないですか、ここは」


「温泉は外ではないと思っています」と根古は言った。

「ただ、今日は少し歩きました。ヤマト、寒かったですね」


 ヤマトが根古を見た。


 何も言わなかった。


 それで十分だった。


---


 秋月が根古の前に立った。


「秋月です」と秋月は言った。「元警視庁刑事」


「知っています」と根古は言った。「工藤さんから聞いていました」


「あんたが根古か」


「そうです」


「……思ったより、普通の人間だな」と秋月は言った。


「そうですか」と根古は言った。


「もっとでかいかと思っていた。体が」


「FXと温泉で生きているので、体は普通です」


「そうか」と秋月は言った。しばらく根古を見た。「猫は」


「ヤマトです」と根古は言った。


「なついているか」


「私にはなついています」


「俺には」


「猫は、人を見ます」とroot古は言った。


 秋月がヤマトに手を伸ばした。


 ヤマトが、秋月の手を嗅いだ。


 少し間を置いて??頭を押しつけた。


「なついたな」と秋月は言った。


「秋月さんは、悪意がないので」と根古は言った。


---


 一石が来たのは、それから二十分後だった。


 護衛のジョセフを連れていた。


 止まった男たちを見た。根古を見た。ヤマトを見た。


「根古さんが来るとは思いませんでした」と一石は言った。


「ヤマトが行きたそうだったので」と根古は言った。


「それは??巨石群へ、ですか。それとも、この場所へ、ですか」


 根古はヤマトを見た。ヤマトが巨石群を見ていた。


「どちらもかもしれません」と根古は言った。


 一石が巨石群を見た。「彼らが、ここを守ろうとした。何かがある」


「何がありますか」と根古は言った。


「日ユ同祖論の物証になるものが、この巨石群の中にある可能性があります」と一石は言った。

「失われた十支族の痕跡。この配置は??ヘブライ暦の計算と一致する部分がある。私が長年調査してきた仮説の、鍵になるかもしれないものが」


「それを隠したい人間がいた」と工藤は言った。


「宗教的・政治的に、公開されると困る人間がいます」と一石は言った。

「今日来た彼らは??その人間に雇われた」


「ユダヤと日本の繋がりを、消したい人間がいる」と江戸川は言った。


「消したい、というより??まだ早い、と思っている人間が」と一石は言った。

「準備が整うまで、公開されたくない」


「準備とは」


「それは??私にも、まだわかりません」と一石は言った。


---


 ジョセフが根古に近づいた。


「根古さん」とジョセフは言った。

「あなたが??あの人たちを止めたんですか」


「そうです」と根古は言った。


「どうやって」


「ヤマトが教えてくれます」と根古は言った。


 ジョセフはヤマトを見た。「猫が」


「猫は正直です」と根古は言った。


「一石さんから、根古さんの話は聞いていました」とジョセフは言った。

「信じていませんでしたが??今日で、信じました」


「信じなくても、構いませんでした」と根古は言った。


「なぜですか」


「起きることは、信じていなくても起きます」と根古は言った。

「ヤマトが唸れば、私は動く。それだけです」


 ジョセフは少し間を置いた。

「……イスラエルにも、あなたのような人間の記録があります。ユダヤの伝承に」


「一石さんと同じことを言いますね」と根古は言った。


「一石さんの弟子ですから」とジョセフは言った。


「そうですか」と根古は言った。ヤマトを抱き直した。

「では??記録の解釈は、あなた方に任せます。私は温泉に戻ります」


---


 根古が山道を下りていった。


 ヤマトを抱いたまま、ゆっくりと、確実に下りていった。


 全員がその背中を見ていた。


 フェルナンドが「……配信、してたらよかったかな」と言った。


「してなくてよかったです」と美佑は言った。


「なんで」


「根古さんが映る配信は??根古さんが嫌だと思います」


「そうか」とフェルナンドは言った。「そうやな」


 ロドリゲスが「チャンネル??」と言いかけて、止めた。


 今日は、それを言う気になれなかった。


---


 飛騨金山ぬく森の里温泉は、山あいの静かな宿だった。


 根古が湯に浸かった。


 ヤマトが湯船の縁に座った。いつも通りだった。


 江戸川が隣の湯船から声をかけた。ついてきていた。


「根古さん」


「はい」


「温泉は、週三回来ているんですか。ここに」


「ここと、御前湯と、もう一ヶ所を週三回です」と根古は言った。


「それは??外ですよね」


「温泉は、外ではないと思っています」と根古は言った。


「どういう意味ですか」


「湯の中にいる間は、どこにいるかわからない」と根古は言った。「外でも、家でもない場所にいます。だから??外に出た気がしない」


 江戸川は少し考えた。


「それは??引きこもりの定義を、根古さんが自分で決めているということですか」


「そうです」と根古は言った。


「じゃあ、今日は」


「今日は少し歩きました」と根古は言った。「ヤマトのせいです」


 ヤマトが根古を見た。


「……ヤマト、悪くないと思いますよ」と江戸川は言った。


「悪くないです」と根古は言った。「ただ、疲れました」


「何人でしたっけ」


「十三人でした」と根古は言った。「一人ずつより、まとめての方が楽ですが、それでも疲れます」


「まとめてやったんですか」


「波のように」と根古は言った。「ヤマトが全員の悪意を感じ取ってくれたので、一度でできました」


「ヤマトがすごいですね」


「そうです」と根古は言った。「私はヤマトがいなければ、何もできません」


 ヤマトが湯船の縁で、少し胸を張ったように見えた。


---


 夜、工藤が太田に電話した。


「根古さんが、今日、外に出ました」と工藤は言った。


 電話口が、少し静かになった。


「……そうですか」と太田は言った。


「驚きましたか」


「驚きました」と太田は言った。「二十年ぶりかもしれません」


「二十年」と工藤は言った。


「温泉以外で、外に出たのは」と太田は言った。「温泉は外ではない、と根古さんは言いますが??今日の巨石群は、温泉ではなかったでしょう」


「そうです」と工藤は言った。


「ヤマトが連れ出したんですね」と太田は言った。


「そうだと思います」


「……よかったです」と太田は言った。


「よかった、というのは」


「根古さんが、外に出た。それだけで??よかったです」


 工藤は電話口の太田の声を聞いた。


 二十年、毎日ラクカを開けて、根古のカップを出してきた男が「よかった」と言った。


 その言葉の重さを、工藤は手帳に書き留めなかった。


 書くより、覚えておく方がいいと思った。


---


 夜の飛騨金山に、星が出ていた。


 巨石群が、山の斜面に静かにあった。


 一石がジョセフと並んで、巨石の前に立っていた。


「根古さんは」とジョセフは言った。「また来ますか、ここに」


「わからない」と一石は言った。「ただ??ヤマトが来たがれば、来るでしょう」


「ヤマトが決めるんですね、根古さんの行動を」


「そうかもしれない」と一石は言った。「ただ??」


「ただ?」


「根古さんは、ヤマトに従っているのではなく」と一石は言った。「ヤマトを通じて、世界を読んでいる。ヤマトは根古さんの??アンテナだ」


 ジョセフは巨石を見た。「この石を置いた人間も、何かを読んでいたんですね。太陽の動きを」


「そうだ」と一石は言った。「何千年も前の人間が、宇宙の動きを読んで、石を置いた。根古さんが、ヤマトを通じて人間の悪意を読むように」


「読む人間が、いる」とジョセフは言った。


「いつの時代にも」と一石は言った。「形は違っても」


 星が、巨石群の上に、静かに降っていた。


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 ぬく森の里温泉の湯の中で、根古が目を閉じていた。


 ヤマトが縁で丸くなっていた。


 疲れが、湯の中に溶けていくような気がした。


 今日、外に出た。


 二十年ぶりに、温泉以外の場所に、立った。


 怖かったかどうか??根古には、よくわからなかった。


 ただ??ヤマトが行きたそうだったので、来た。


 それだけだった。


 ヤマトが、ぼんやりと目を開けた。根古を見た。


「疲れましたか」と根古は言った。


 ヤマトが目を閉じた。


 そうかもしれない、そうでないかもしれない??どちらとも取れる閉じ方だった。


「来年も、来ますか。ここに」と根古はヤマトに言った。


 ヤマトは答えなかった。


 根古は目を閉じた。


 湯が、温かかった。


 それで、十分だった。


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*??引きこもりと黒猫 根古親司の事件簿 第一話「飛騨金山巨石群、そして根古が動く」了??*


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