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旧知の持ち込み 帰り道のエミネム

現場を離れた根古の軽自動車に、江戸川が乗っていた。


エンジンをかけた瞬間、スピーカーからビートが流れ出した。


エミネムだった。


江戸川が固まった。


「……根古さん、これ」


「Lose Yourselfです」と根古は言った。


シートベルトを締めながら、ごく自然に。


「知っています。なんで根古さんがエミネムを」


「移動中に聴きます。テンションが上がる」


「テンション、上がるんですか。根古さんが」


「上がります」


江戸川は助手席でしばらく固まっていたが、やがて窓の外を見た。


御嵩の山道を、エミネムのビートに乗せて軽自動車が走る。


??なんか、いい。


根古は小さくリズムを取りながら??といっても指先がわずかにステアリングを叩く程度だったが??山道を抜けた。


曲が変わった。今度はレゲエだった。


「レゲエも聴くんですか」


「ボブ・マーリーです。落ち着くので」


「エミネムで上げて、ボブ・マーリーで落ち着かせる」


「そうです」


「……理にかなっていますね」


根古はハンドルを切りながら言った。


「体調管理の一部です」


江戸川は手帳を取り出した。


「書いていいですか、これ」


「何を書くんですか」


「根古親司の体調管理法。温泉と、エミネムと、ボブ・マーリー」


「書かないでください」


「もう書きました」


根古はため息をついた。ボブ・マーリーが流れ続けた。


しばらくして、今度は曲が変わった。


四つ打ちのビートが流れ出した。


「……これは」と江戸川が言った。


「TRFです」


「TRF!」


「Overnight Sensation。好きな曲です」


江戸川はしばらく画面を見て言った。


「根古さんって、何年生まれですか」


「五十八歳です」


「TRFの全盛期、ちょうどリアルタイムですね」


「そうです。よく踊りました」


江戸川が止まった。


「……根古さんが、踊っていた」


「昔の話です」


「想像できない」


「若い頃は、誰でも踊ります」


Overnight Sensationのサビが流れた。


根古の指先が、また少しステアリングを叩いた。


江戸川は窓の外を見ながら、小さく笑った。


??この人のことを、まだ全然知らない気がする。


全員が戻ってきた。


太田が全員分のコーヒーを出した。今日は数が多かった。


十七杯だった。太田は一度も表情を変えずに出し続けた。


北村がデータの概要を話した。


「取引記録は過去八年分。関係者リストにはアジア十二カ国の人名。


日本国内の関係者は二十三名に増えました。現役の政財界人が十一名含まれています」


「公表できますか」と雨月が聞いた。


「証拠として有効です。ただし、公表のタイミングは上の判断になります」と安田が言った。


「上というのは、どこまでですか」と垂井が聞いた。いつの間にか来ていた。


「警察庁と、外務省の一部が関与します。NSAとの情報共有も含めて」


スティーブが英語で言った。


「We'll coordinate from our side. This is big.」


遠藤が通訳した。


「うちのサイドで調整します。これは大きい、と」


安藤がコーヒーを飲みながら言った。


「確保した二名は今、可児署にいます。雨月さん、取り調べはいつ始まりますか」


「今日の午後から。安田警視に立ち会ってもらいます」


安藤は頷いた。それから根古を見た。


「根古さん。帰りの車、TRFが聴こえました」


江戸川が吹き出した。


「窓、開いてましたか」と根古は言った。


「少し。Overnight Sensationでしたよね」


「……好きな曲です」


「俺も好きでした」と安藤は言った。「全盛期、リアルタイムで聴いていた」


「安藤さんも?」と山本が目を丸くした。


三十六歳です。ちょうどTRF世代です」


平が小声で千紗都に言った。


「TRFって何ですか」


「知らないんですか」と千紗都が言った。「DJ KOOがいるグループです」


「DJ KOO……」


「後で教えます」


澪が根古を見た。


「根古さん、意外とノリいいんですね」


「移動中だけです」


「じゃあ次の移動、乗せてもらえますか。私も聴きたい」


「断ります」


「なんで!」


ラクカに笑いが起きた。


安田がコーヒーを一口飲んで、静かに言った。


「……本当に、不思議な場所だ、ここは」


「ここが根拠地なので」と根古は言った。


「根拠地、というのは」


「太田さんのコーヒーが飲める場所です。それ以上でも、それ以下でもない」


太田がカウンターの中で、静かに微笑んだ。


帰宅すると、ヤマトが玄関で待っていた。


根古はヤマトを抱き上げた。重い。温かい。


布団に座って、スマートフォンを開いた。プレイリストを出した。


エミネム、ボブ・マーリー、TRF、それからUB40、スヌープ・ドッグ、globe。雑多なリストだった。


??今日は、よく動いた。体調が良かった。


御嵩の地下で感じた痛みが、まだ少し残っていた。名前のない人たちの記録。それがデータとなって眠っていた場所。


??これで、少し報われるかもしれない。データが証拠になれば。名前が明らかになれば。


根古はイヤホンをつけた。


再生ボタンを押した。


流れてきたのは、TRFのOvernight Sensationだった。


ヤマトが根古の膝で丸くなった。


根古は目を閉じた。指先が、布団の上でわずかにリズムを取った。


??第四章は、まだ終わっていない。データの処理、取り調べ、政財界への波及。これからが長い。


??でも今日は、ここまでだ。


曲が続いた。


ヤマトが根古の手に顎を乗せた。


一月の可児の午後が、静かに流れていた。







-----------------------


【 中間報告 】


御嵩の地下サーバーのデータは、愛知県警・警察庁・NSAが共同で解析を開始した。

処理には数ヶ月かかる見込みだった。


確保された二名の取り調べが始まった。組織の上部構造について、少しずつ情報が出始めた。


政財界への波及については、安田警視が上と調整中だった。公表のタイミングは未定だった。


スティーブ・ヘイブンスは一週間、可児に滞在することになった。

毎朝ラクカに来てコーヒーを飲んだ。カルロスはコーヒーを飲んだ。ホセは今日も断った。


北村唯は可児市内にアパートを借りた。

データ解析の拠点が必要だという理由だったが、縁側のある物件を選んだ。理由は聞かれなかった。


遠藤成気は江戸川探偵事務所に時々来るようになった。なんとなく居心地がいい、と言った。


根古親司は今日も引きこもっている。ヤマトは重い。

温泉には週三回。移動中はエミネム、ボブ・マーリー、TRF。

体調のいい日だけ、少し特別なことができる。

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