表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
27/56

旧知の持ち込み アメリカ人が来た

【 一月 某朝 根古の家 】

ヤマトが玄関の方を見た。


根古はまだ布団の中にいた。朝八時。冬の朝は起きるのが億劫だった。

FXの画面をスマートフォンで確認してから、また目を閉じた。


ヤマトがにゃあと鳴いた。警戒音ではなく、興味津々の声だった。


??誰かが来る。


右肩の古い霊が、珍しく笑っているような気配がした。

懐かしい、という感触。


三十秒後、インターフォンが鳴った。


根古は布団から出て、受話器を取った。


「ネコ、俺だ。スティーブだ。開けてくれ」

英語だった。低い、陽気な声。

根古は少し目を閉じた。


??スティーブ・ヘイブンス。三十年ぶりか。


ドアを開けると、大柄な白人男性が立っていた。五十七歳、銀髪、体格がいい。スーツはよく見ると高級品だった。後ろに二人の護衛??カルロスとホセ、と根古は後で知った??がついている。


スティーブは根古を見て、満面の笑みになった。

「ネコ! 全然変わってないな!」

「あなたは変わりました」と根古は日本語で言った。


「太ったか?」


「白くなりました。髪が」


「お互い様だろう」


スティーブはそのまま部屋に入ろうとした。根古が少しドアを狭めた。


護衛の二人は、外で待ってもらえますか」


「安全上の問題が??」


「ここは可児市です。安全です」


スティーブは護衛を振り返り、日本語で言った。


「ちょっと待ってて」


日本語が上手かった。当然か、と根古は思った。


スティーブが一人で入ってきた。


ヤマトがスティーブの足元に寄っていった。スティーブはしゃがんで、ヤマトの頭を撫でた。


「猫を飼っているとは知らなかった」


「ヤマトです。十歳です」


「ヤマト。いい名前だ」


ヤマトはしばらくスティーブの手に顔を押しつけてから、根古の布団の上に戻った。


??ヤマトが警戒しない。それは、この男が根古にとって危険ではないということだ。ヤマトの判断は、たいていあっている。


根古がスティーブをラクカに連れていったのは、話を聞く場所として自分の部屋より適切だと思ったからだ。護衛の二人も、外のベンチに座らせた。


太田はスティーブを見て、一瞬だけ目を細めたが、何も言わずにコーヒーを淹れた。


スティーブはコーヒーを一口飲んで言った。


「うまい。本物だ」


「太田さんのコーヒーは本物です」と根古は言った。「それで??なぜ来たんですか」


「会いたかった。それだけじゃだめか」


「NSAの幹部が護衛を連れて可児市まで来る理由が、それだけのはずがない」


スティーブは少し笑った。


「相変わらずだな、ネコ。大学の頃から、君は人の言葉の裏を読む」


「あなたが裏を持ちすぎるんです」


「それが仕事だから」


スティーブはコーヒーをもう一口飲んで、少し表情を変えた。


「ネコ。君の能力のことは、昔から知っている」


「……知っていましたか」


「大学の頃、君は時々、起きていないことを知っていた。私は気づいていた。何も言わなかったが」


根古は右手を膝の上に置いた。熱くはなっていない。スティーブは嘘をついていない。


「それが、来た理由と関係しますか」


「関係する」とスティーブは言った。声が少し低くなった。「ネコ。私の部下が二人、行方不明になった。日本国内で。三週間前から連絡が取れない」


「警察には」


「動かせない案件だ。公式には動けない」


「それで、私のところへ」


「君なら、見えるかもしれない。行方が」


根古はしばらくスティーブを見ていた。


??三十年前の後輩。今はNSAの幹部。護衛を連れて、可児まで来た。


??右肩の霊が、静かに押してきた。「聞け」という感触だった。


「部下の名前と、最後に確認できた場所を教えてください」と根古は言った。


スティーブの顔が、少し緩んだ。


「ありがとう、ネコ」


「お礼は後にしてください。それと??」


根古はコーヒーを一口飲んだ。


「私のことをネコと呼ぶのは、ここでは控えてもらえますか」


「なぜ? 大学の頃からずっとネコだろう」


「今はラクカのお客さんたちに聞こえています」


太田がカウンターの奥で、かすかに笑った。


「……わかった。根古さん、と呼ぶ」


「ありがとうございます」


スティーブが帰った後、根古は布団に戻った。


ヤマトが膝の上に来た。重い。温かい。


??スティーブ・ヘイブンス。大学時代、根古の一年後輩だった。国際教養学部の交換留学生で、日本語が異様に上手かった。明るく、頭が良く、人を好きになる才能があった。


??卒業後は米国に帰り、いつの間にかNSAにいた。連絡が来たのは十年前が最後だった。「君はまだ可児にいるか」という短いメッセージ。「います」と返した。それだけだった。


今日また現れた。護衛を連れて。


??行方不明の部下。日本国内で。公式には動けない案件。


右手がじんわりと熱くなってきた。体調は悪くない。


スマートフォンに、太田からメッセージが来た。


??「護衛の二人、コーヒー飲みますかと声をかけたら、一人は飲みました。もう一人は断りました。律儀な人たちですね」


根古は少し笑った。


返信した。


??「ありがとうございます。しばらく、また賑やかになりそうです」


太田からすぐ返信が来た。


??「豆は多めに仕入れておきます」


根古はスマートフォンを置いた。


ヤマトが根古の顔を見た。黄色い目が、何かを言っているようだった。


「わかっている」と根古は言った。「体調のいい日に動く。それだけだ」


ヤマトはもう一度にゃあと鳴いて、また丸くなった。


一月の可児の空が、窓の外に広がっていた。


外出したのは夕方だった。


コンビニへ行く途中、路地で見知らぬ若者二人と鉢合わせした。


一人は二十六歳くらいの女性??北村唯、と後で知った??小柄で、目が鋭い。もう一人は二十八歳くらいの男性??遠藤成気、黒人との混血らしく、彫りが深い顔立ちをしていた。


ふたりは根古を見て、立ち止まった。


根古も立ち止まった。


右手が、すぐに反応した。


??スティーブの部下だ。行方不明のはずの。


北村が先に口を開いた。


「根古さんですか」


「そうですが」


「ヘイブンス幹部から、あなたを訪ねるよう言われていました。でも??今日、幹部がここに来たことを知りませんでした。先を越されたみたいで」


遠藤が頭を下げた。


「遠藤成気です。北村唯と一緒に動いていました。三週間、可児周辺を調べていましたが??限界を感じて、あなたに頼ろうと思いました」


根古は二人を交互に見た。


??スティーブが「行方不明」と言っていた部下。だが、目の前にいる。つまり??スティーブに黙って、独自に動いていたということか。


「スティーブさんに連絡しましたか」と根古が聞いた。


北村と遠藤が、目を合わせた。


「……していません。連絡できない事情があります」


根古は少し間を置いた。


??スティーブは部下を探している。部下はスティーブに連絡できない。その間に、何がある。


右肩の霊が、強く押してきた。


「コンビニに行くところでした」と根古は言った。「一緒に来てください。その後、話を聞きます」


北村が少し目を丸くした。


「……コンビニ、ですか」


「ヤマトのえさが切れています」


遠藤が、小さく笑った。


ヤマトというのは」


「猫です」


三人で、冬の路地を歩いた。





コンビニでヤマトのえさを買い、三人でア家に戻った。


根古が部屋に入れたのは北村だけだった。遠藤は広すぎて、六畳間が更に狭くなる気がしたので、玄関の外の廊下に椅子を出した。遠藤は文句を言わなかった。


ヤマトがえさを食べ終わると、北村の膝に乗った。北村は少し驚いたが、撫でた。ヤマトはそのまま動かなくなった。


猫に好かれますね」と根古は言った。


「……珍しいです。猫には警戒されることが多いので」


「ヤマトの判断は信用しています」


北村は根古を見た。それが褒め言葉だと理解したらしく、少し表情が柔らかくなった。


北村はリュックから薄いノートPCを取り出した。起動すると、画面にいくつものウィンドウが開いた。地図、通信記録、データベースのような画面が並んでいる。


「三週間、この地域の通信パターンをAIで解析していました」と北村は言った。「私の専門は情報収集と分析です。フィールドは遠藤の仕事で、私はPCの前にいることが多い」


「三週間、どこにいたんですか」と根古が聞いた。


「美濃加茂市内に借りた部屋です。可児と美濃加茂を行き来していました」


「スティーブさんには連絡せずに」


北村の手が、一瞬止まった。


「……連絡できない理由は、幹部の通信が傍受されている可能性があるからです」


根古は北村を見た。右手は静かだった。嘘はない。


「傍受、というのは??NSAの内部ですか」


「わかりません。ただ、幹部の動向が事前に漏れていた案件が、過去に二件ありました。私と遠藤は独自に調べることにした。幹部を信用していないわけではない。ただ、幹部の周辺に??問題があるかもしれない」


廊下から遠藤の声がした。


「根古さん。少し入っていいですか。寒くて」


「どうぞ」


遠藤が入ってきた。やはり部屋が狭くなった。遠藤は壁際に座り、膝を抱えた。


「続けてください、北村」


北村がPCの画面を根古に向けた。


「三週間で判明したことを説明します。この地域に、特定の通信パターンを持つグループが存在します。暗号化されていますが、AIの解析でパターンは見えています。発信源が三箇所??可児市内、御嵩町、そして美濃加茂市内に点在している」


「それが、スティーブさんの仕事と関係しますか」と根古が聞いた。


「おそらく。幹部の任務の内容は私たちも完全には知らない。ただ??このグループは、エスメディカルの残党と繋がっている可能性があります」


根古の右手が、じん、と熱くなった。


??エスメディカル。持田勇二は逮捕されたが、組織のすべてが潰れたわけではない。残党が動いているとすれば??


「AIで何がわかりましたか。具体的に」と根古は聞いた。


北村は迷わず答えた。


「通信の頻度から、この三箇所は週に二回、決まった時間帯に連絡を取り合っています。内容は解読できていませんが??量と頻度から、何かの輸送スケジュールを調整していると推測されます」


「輸送」


「人か、物か。千歳楼の件と同種の可能性があります」


遠藤が静かに言った。


「根古さん。あなたの能力で、何か感じますか。この地域で」


根古は右手を見た。熱い。ただし、今夜は場所が特定できるほどではない。


「体調のいい日に、集中して確認します」


「体調次第、ということですか」と北村が言った。


「そうです」


北村はPCに何か打ち込みながら言った。


「……AIと似ていますね」


「何がですか」


「条件が揃ったときだけ、精度が上がる。リソースと状態に依存する」


根古は少し考えてから言った。


「……そういう見方もあるかもしれません」


遠藤が小さく笑った。


「北村は何でもAIで例えます」


「わかりやすいので」と北村は言った。表情は変わらなかった。



全員を集めるのに、一時間かからなかった。


根古、江戸川、安藤、雨月。それから星野と麻尋。太田はコーヒーを淹れ続けた。


北村はPCをテーブルに置いた。


「AIの解析結果を共有します」と北村は言った。全員を前にしても、声が揺れなかった。「まず地図を見てください」


PCの画面に、可児周辺の地図が表示された。三点に赤いマーカーが立っていた。


「この三点が通信の発信源です。頻度と量のパターンから、輸送スケジュールの調整と推測されます。次に??」


北村は別のウィンドウを開いた。


「エスメディカルの残党と思われる人物のSNSおよび通信パターンをAIで追いました。現在、この地域に少なくとも三名が滞在しています。顔写真と推定居場所が、こちらです」


鮮明な写真が三枚、画面に並んだ。


雨月が顔を近づけた。


「……一人、見覚えがあります。持田の会社の元社員です」


「それが確認できれば、照会できます」と安藤が言った。


「令状なしでここまで調べられるんですか」と江戸川が北村に聞いた。


「公開情報とAIの組み合わせです。違法なことはしていません」


「どこまでが公開情報なんですか」


「……広い意味での公開です」


江戸川は手帳に書きながら、それ以上聞かなかった。


麻尋が静かに言った。


「北村さん。三点の発信源のうち、一点??御嵩町の場所、私が歩いて確認できます。先週も近くを通りました」


「座標を送ります」と北村は即座に言った。スマートフォンに情報が届いた。


星野が根古を見た。


「根古さん。スティーブ幹部には、いつ話しますか」


「今日の午後、会う約束をしています」と根古は言った。「北村さんと遠藤さんのことも含めて、話します」


「北村さんたちは??」と江戸川が北村を見た。


「幹部に会います」と北村は言った。少し間があった。「逃げるつもりはありません。ただ、今日ここで見た情報を、幹部に渡す前に??根古さんに判断してもらいたい」


全員が根古を見た。


根古は右手を見た。熱い。判断しろ、と霊たちが言っている。


「渡してください」と根古は言った。「スティーブさんは信用できます。ただし??彼の周辺については、慎重に」


北村は根古を見た。


「……わかりました」


遠藤がコーヒーを一口飲んだ。


「うまいですね、これ」


「太田さんのコーヒーは本物です」と根古は言った。


「根古さんが言うと、すごく説得力がある」と江戸川が言った。


太田がカウンターの奥で、静かに微笑んだ。


スティーブとの会話が終わり、根古はまた布団に戻った。


ヤマトが来た。膝の上に乗った。重い。


??スティーブは北村と遠藤が生きていることを知って、安堵した。そして怒った。連絡しなかったことを。だが怒りより安堵の方が大きかった。それは、あの男がまだ人間だということだ。


北村の言った言葉が残っていた。


??「幹部の周辺に問題があるかもしれない」。


NSAの幹部の周辺。その「問題」が、エスメディカルの残党と繋がっているとすれば??これは可児だけの話ではなくなる。


??規模が大きくなってきた。


根古は目を閉じた。


守護霊たちが、静かに、しかし確かにざわめいていた。


??まだ、始まりに過ぎない。


ヤマトが根古の胸に顔を押しつけた。


根古は黒猫の背中を撫でながら、窓の外の一月の夜空を見た。


星が、よく見えた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ