片方の靴 ②
第5話:プロの流儀
夕闇の中、ポケットに手を突っ込んだまま佇む西野千紗都(23)。
その場に張り詰めた殺気に、大工の鏑木がいつでも飛びかかれるよう身構え、探偵の江戸川は息を呑んだ。
しかし、千紗都はふっと張り詰めた空気を緩め、呆れたようにため息をついた。
「勘違いしないで。私たちはこの男を刺してない。むしろ……『助けよう』としたのよ」
「助けただと?」
長曾我部が眼鏡の奥の目を細める。「血のついたナイフを持っていたのは君たちの仲間(古田麻尋)だ。
言い訳にしては苦しいな」
「あれは、この男の傷口に刺さったままだったナイフを抜いて、応急処置をしただけ」
千紗都はポケットからゆっくりと手を抜いた。
握られていたのは武器ではなく、警察の無線機のような小型の通信端末だった。
「信じないなら、そこにいるお医者様か動物の先生にでも診てもらえば? 私たちが本気で殺そうとしたなら、その男、今頃もう骨も残ってないわよ」
親司は腕の中のヤマトを見た。
ヤマトは先ほどまでの警戒を解き、フンと鼻を鳴らして親司の胸に顔を埋めている。
猫は嘘を見抜く。この娘の言葉に、今は敵意がない。
「……本当みたいだな」
親司は鏑木をなだめ、すぐに携帯を取り出した。
「太田の店に連絡する。楓先生(医者)と木下先生(動物病院院長)をここに呼ぼう。下手に動かすとマズい」
10分後、茶店から駆けつけた楓幸恵(38)と木下千恵(53)によって、倒れていた男の応急処置が素早く行われた。幸いにも刃物は急所を外れており、命に別状はないという。
処置が終わる頃、アパートの暗がりに、最年長の星野由紀子(40)と、ナイフを持っていた古田麻尋(23)も姿を現した。
「さて、おじさんたち。少しお話が必要みたいね」
由紀子が静かに微笑む。彼女たちの纏う空気はやはり堅気のものではなかったが、そこに冷酷な悪意はなかった。
江戸川の探偵事務所に場所を移し、親司たち一同は3人組と向き合った。
「私たちは確かに、関東の……まあ、そういう『裏の組織』にいたわ」
由紀子が紅茶をすすりながら、淡々と語り出す。
「でも、引退してこの静かな街に隠住みに来たの。
本当よ? もう誰も殺したくないからね。なのに……」
「なのに、何があったんだ?」親司が尋ねる。
「あの鉄塔で死んだ和泉と、今刺されていた同僚の男」
麻尋が、血を拭き取った例のナイフを机に置いた。
「あの二人、私たちの『昔の組織』の金を横領して、この街に逃げ込んできてたのよ。
和泉の営業会社なんて、ただのマネーロンダリングの隠れみの。組織は怒って、彼らを消すために『現役の殺し屋』をこの街に送り込んできた」
「じゃあ、和泉を吊るしたのは……!」江戸川が声を上げる。
「そう。私たちがここへ越してきたのは偶然だけど、組織の刺客がこの街を荒らすのは見過ごせない」
千紗都が冷たい目で窓の外を見据えた。
「和泉は先を越された。でも、もう一人の男は私たちが間一髪で刺客から奪い取ったの。……おじさんたち、警察にチクるなら止めないわ。
でも、警察じゃあの組織の『本物のプロ』は防げないわよ?」
和泉の死は自殺ではなく、恐ろしい裏の組織による「処刑」だった。
そして、次の標的である同僚の男は、いまこの場所にある。
可児の平穏な街に、本物のプロの刺客が潜伏している――その事実におじさまたちは戦慄した。
第6話:街に潜む「プロ」を追え
「本物の刺客がこの街にいる……ねえ」
茶店「太田」に戻った親司たちは、残っていたメンバーに事の顛末を話した。
元殺し屋の3人組が味方(あるいは中立)になったとはいえ、相手は和泉を鉄塔に吊るし、もう一人の営業マンをも手にかけようとした現役のプロだ。
うかつに警察を動かせば、人質を取られるなどの大惨事になりかねない。
「敵の正体が分からんことには、動きようがないな」
マスターの太田豊が腕を組むと、会計士の長曾我部が不敵に笑った。
「いや、こういう時こそ、あいつらの出番ですよ」
長曾我部が呼び出したのは、バイヤー兼YouTuberのロドリゲス斎藤(52)と、地元の人気カレー店長、イエンガー・ムハンマド(55)だった。
「お呼びですか、長曾我部さん! いやー、さっきやすらぎの森で警察にドヤされちゃってさ。
何かスクープでもあるんですか?」
カメラを片手に現れたロドリゲス斎藤に、大工の鏑木が凄む。
「おめえの再生数稼ぎの話じゃねえんだ。大真面目な話だ。ロドリゲス、お前、最近この街に変な車だの、不審なバイヤーだのが入ってきたって情報はないか?」
「え? 変な車……あ、そういえば」
ロドリゲスはカメラを置き、真面目な顔になった。
「ここ数日、関東ナンバーの黒い高級ワンボックスが、可児駅の周辺ややすらぎの森の近くをうろついてるって、僕の動画のリスナーからDMが来てました。
中古車市場でも見かけない、特殊な防弾ガラス仕様っぽい特注車です」
「それ、ワタシも見たヨ!」
ムハンマドが大きな身振りで割り込んできた。
「昨日ノ夜、ウチのカレー店に、その黒い車から降りてきた男が三人、入ってきたヨ。ものすごく無口で、カレー頼んだけど全然喋らない。
でも、一人の男の袖口から、本物の銃のホルスターみたいなのがチラッと見えたネ。
ワタシ、母国でそういうのよく見てたから、すぐ分かったヨ!」
「間違いない。組織の刺客は三人、黒いワンボックスで移動している」
親司は確信した。
「彼らが探しているのは、西野さんたちが匿っている、あの刺された営業の男ね」
弁護士のミーコ(垂井美智子)が冷静に分析する。
「男が生きていると知れば、彼らは必ずもう一度襲ってくる。……だったら、逆にそれを利用して、罠に嵌めるのはどうかしら?」
「罠か。いいねえ」
ラーメン屋の織田信暢がニヤリと笑う。
「ちょうど、明日はうちの店の定休日だ。
店の裏の倉庫は、外からは死角になってる。あそこに『瀕死の男が隠されている』って噂を、ロドリゲスとムハンマドに流してもらおうじゃねえか」
おじさまたちの悪知恵と、情報通たちのネットワークが一つに繋がった。
ロドリゲスはさっそく「可児市内で怪しい男たちが暗躍中!?」という思わせぶりな生配信の準備を始め、ムハンマドは店のお客(実は警察の協力者でもある情報員)にそれとなく噂を流し始めた。
その夜、親司は愛猫のヤマトを抱きながら、織田のラーメン屋の裏手にある薄暗い倉庫を見つめていた。
元殺し屋の3人組――西野千紗都たちも、闇の中に潜んで牙を研いでいるはずだ。
「ヤマト、明日は大仕事になるぞ」
ヤマトは静かに、しかし鋭く、夜の闇を睨みつけて「ニャア」と短く鳴いた。
第7話:片方の靴と、職人の罠
決戦の舞台は、定休日を迎えた織田のラーメン屋。
その裏手にある薄暗い資材倉庫だ。情報通のロドリゲスとムハンマドが流した「刺された営業マンがここに隠されている」という偽情報は、狙い通り組織の刺客たちを動かした。
深夜2時。可児の街が深い眠りに落ちる頃、ラーメン屋の敷地に、ライトを消した黒いワンボックスカーが静かに滑り込んできた。
車内から現れたのは、夜の闇に同化するような黒い服を着た3人の男たち。ムハンマドが言っていた通りの、冷酷なプロの刺客だ。
彼らは足音一つ立てず、標行が潜むとされる倉庫へと近づいていく。
先頭の男が、ピッキングツールで倉庫の鍵を鮮やかに解錠し、ゆっくりと扉を開けた。
中は暗黒。奥の簡易ベッドには、毛布にくるまれた「人影(身代わりの人形)」が横たわっている。
刺客のリーダー格の男が、懐からサイレンサー付きの拳銃を抜き、ベッドへ歩みを進めようとした、その時――。
「――そこまでだ」
頭上の梁の上から、冷ややかな声が響いた。
元殺し屋の西野千紗都だ。
それと同時に、倉庫の壁際に潜んでいた大工の鏑木が、職人技で細工しておいたロープを力任せに引いた!
ガシャアアン!!
天井から吊るされていた大量の鉄パイプや一斗缶が、凄まじい音を立てて刺客たちの頭上へ崩れ落ちる。自動車屋の加藤が仕掛けた高輝度LEDの作業灯が一斉に点灯し、フラッシュバンのように刺客たちの視界を奪った。
「くそっ、罠か!?」
プロの刺客たちもさるもの、即座に散開して応戦しようとする。
しかし、そのうちの一人、大柄な男が激しく体勢を崩した。
「がっ……!?」
男が足元を見下ろすと、そこには「一足の、泥に汚れた革靴」が不自然に転がっていた。
それは、昼間にやすらぎの森の鉄塔で首を吊っていた和泉建が、死の間際に脱ぎ捨てた(あるいは犯人が落とした)はずの「片方の靴」だった。
大工の鏑木が、床の一角に絶妙な角度でその靴を固定しておいたのだ。
突進しようとした刺客の足先が、その頑丈に固定された和泉の靴に見事につまづき、男は派手に前のめりに転倒した。
和泉の怨念が、自分を殺した組織の刺客の足を引っ掛けたかのような、
因縁の瞬間だった。
「ヤマト、いけっ!」
親司の声が響く。
転倒した刺客の顔面に向けて、暗闇から黒い弾丸が飛び出した。黒猫ヤマトだ。
ヤマトは鋭い爪を剥き出しにし、男の顔面を容赦なく引き裂いた。
「ギャアアアッ!」と男が悲鳴を上げて悶絶する。
視界を奪われ、足元をすくわれ、猫の奇襲を受けた刺客たちに、プロとしての連携はもう残っていなかった。
闇から躍り出た古田麻尋と星野由紀子の2人が、電光石火の体術で、残る二人の刺客の手から拳銃を取り上げ、一瞬で床に組み伏せた。
「チェックメイトね、おじさんたち」
千紗都が梁から軽やかに飛び降り、銃を突きつけられた刺客たちを見下ろして不敵に微笑んだ。
床に転がった和泉の「片方の靴」が、作業灯の光を浴びて鈍く光っている。
地方都市のおじさまたちの悪知恵と、元プロの技術、そして一匹の黒猫の連携が、本物のプロの刺客を完全に制圧した瞬間だった。
最終話:可児の平穏、いつも通りの午後
夜が明ける直前、織田のラーメン屋の倉庫前には、頑丈な荷締めベルトで芋虫のようにぐるぐる巻きにされた3人の男たちが転がされていた。
その手元には、サイレンサー付きの拳銃と、証拠品となる関東ナンバーの黒いワンボックスのキーが並べられている。
そして、その男たちの真ん中には、あの鉄塔の遺体が履いていたはずの、泥に汚れた「片方の革靴」がぽつんと置かれていた。
「よし、これで片付いたな」
大工の鏑木が満足そうに手を叩き、自動車屋の加藤が「証拠はバッチリ残したぜ」と不敵に笑う。
闇の中から、西野千紗都ら3人組が静かに姿を現した。
「本当に警察に引き渡して、私たちを逃がしていいの?」
星野由紀子が尋ねると、親司は小脇にヤマトを抱え直して微笑んだ。
「あんたたちはこの街の住民だろ。それに、和泉の件は自殺じゃなく殺人だって、あの靴が証明してくれるさ」
3人組は顔を見合わせ、ふっと柔らかい笑みを浮かべると、朝靄のなかに溶けるように去っていった。
彼女たちはこれからも、この街で静かに暮らしていくのだろう。
親司は公衆電話から(念のため声を少し変えて)岐阜県警へ匿名通報を入れた。
「――可児の織田ラーメンの倉庫裏に、鉄塔の件のホシが転がっとるぞ」
◇
数時間後。
可児市内は、昨日以上の大騒ぎになっていた。
テレビのニュースでは「可児市の殺人事件、急展開。
謎の匿名通報により、関東の広域暴力団関係者の男3人を逮捕。
現場には被害者の遺留品が遺されており、警察は決定的な証拠とみて捜査を……」と報じられている。
手柄はすべて、現場にいち早く駆けつけた榊原警部、雨月警部補、そして山本彩織巡査長たちのものになった。
彩織は内心「あの靴、確か現場から消えていたはずなのに、なぜここに……?」と首を傾げていたが、街の平和が守られたことに深く安堵していた。
その頃、茶店「太田」には、いつものメンバーが揃っていた。
「いやぁ、俺の仕掛けたLEDライト、最高に効いてたな!」
自動車屋の加藤が自慢げにビールを煽る。
「何を言うとる。和泉の靴をあそこに固定した、俺の職人技のおかげだて」
鏑木が胸を張れば、ラーメン屋の織田が「おいおい、俺の店をタダで貸し出した功績を忘れるなよ」と特製のチャーシューを大盛りにした。
会計士の長曾我部、神主の松平、弁護士のミーコ、そして医者の楓や動物病院の木下まで、みんなが笑顔でグラスを合わせている。
探偵の江戸川勉も、ようやく緊張が解けたのか嬉しそうにジュースを飲んでいた。
「みんな、お疲れさん」
マスターの太田が淹れたコーヒーを飲みながら、親司はカウンターの端を見つめた。
そこには、今回の最大の功労者――黒猫ヤマトが、お皿に盛られた高級な猫缶を満足そうに平らげている。
「ヤマト、お前のおかげでこの街は今日も平和だ」
親司が頭を撫でると、ヤマトは満足げに「ニャー」と喉を鳴らし、再び美味しそうに食事を続けた。
可児の空には、もう不穏なサイレンは響かない。
いつもの仲間と、いつものお茶。おじさまたちの少し騒がしくて誇らしい日常が、再びこの街に戻ってきたのだった。




