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24/57

片方の靴 ①

『可児の空に、サイレンは響く』

可児花木センターの広場は、週末の賑わいを見せていた。

色とりどりの苗木や花が並ぶ中、特設テントの前にはひと際長い列ができている。保護猫の譲渡会だ。


「……お前、自分以外の猫には興味ないか」


根古親司(58)は、小脇に抱えた相棒――黒猫ヤマト(10・♂)の頭を撫でた。ヤマトは「フン」と鼻を鳴らし、我関せずといった風に緑豊かな場内を見回している。親司がここに来たのは、ただの散歩と、少しばかりの目の保養のためだった。


「あら、根古さん。奇遇ですね」


声をかけてきたのは、私服姿の若い女性だった。

ロングヘアをすっきりとまとめ、ジーンズにジャケットというラフな格好だが、その鋭くも澄んだ瞳には見覚えがある。

岐阜県警の巡査長、山本彩織(28)だった。


「山本さん。

仕事か? ……いや、私服だな」

「お休みですよ。私も猫が好きで、一度譲渡会を覗いてみたくて。それにしても、ヤマトちゃんは相変わらず男前ですね」


彩織が指先を差し出すと、ヤマトは珍しく機嫌よさそうにその匂いを嗅いだ。

普段は事件の最前線で榊原警部たちと張り詰めた空気を纏っている彼女も、今日ばかりは年相応の優しい笑顔を見せている。


のどかな週末の、ありふれた一コマ。

しかし、その平穏は突如として破られた。


ウーーー――ッ!


遠くから、空を切り裂くようなサイレンの音が響いてきた。

一台ではない。複数だ。

花木センターのすぐ脇を走る道路を、激しいスピードでパトカーが次々と通過していく。

赤い回転灯が、昼下がりの木々を不気味に照らし、走り去っていった。


彩織の表情から、一瞬で「休日の顔」が消えた。

彼女のポケットで、スマートフォンが激しく震え出す。


「……はい、山本です」


電話に出た彩織の顔が、みるみるうちに強張っていく。

すぐ隣にいる親司にも、受話器の向こうから聞こえる雨月警部補の緊迫した声が微かに漏れ聞こえた。


『――至急、可児やすらぎの森へ向かってくれ。鉄塔で首吊り遺体が発見された。榊原警部も現場へ向かっている』

「了解、すぐ行きます」


通話を切った彩織は、親司に短く「すみません、仕事が入りました」と言い残し、弾かれたように駐車場へと走っていった。


「やすらぎの森の、鉄塔か……」


親司は、パトカーが消えていった山の方角を見つめた。

胸に去来する、得体の知れない胸騒ぎ。腕の中のヤマトが、低く小さな声で「ニャア」と鳴いた。

それはまるで、これから始まる奇妙な事件の幕開けを告げているかのようだった。




可児やすらぎの森の鉄塔の噂


「可児やすらぎの森」の鉄塔といえば、地元や一部のマニアの間でまことしやかに囁かれている、いくつかの「奇妙な噂」があります。


のどかな自然公園であるはずの場所ですが、今回の事件を前に、改めてその不気味な噂が浮き彫りになってきます。


1. 「呼ばれる」鉄塔の噂

やすらぎの森の敷地内、または隣接する山道から見上げる巨大な高圧電流の鉄塔。

普段はハイキングコースの一部として見過ごされていますが、「心が弱っている人があの鉄塔を見上げると、吸い寄せられるように近づいていってしまう」という噂があります。

ある種の精神的な「磁場」があるのではないか、と不気味がる者もいます。


2. 「事故を予知する温泉お友達」の言葉

親司の温泉仲間である「事故を予知する友人」が、以前こんな不吉な予言を口にしていました。


「可児の山にある大きな鉄の塔にな、黒い影が3つ巻き付いとるのが見えた。あれは近いうちに、あそこで誰かの命が震える合図やて……」

この「3つの黒い影」が、最近江戸川勉の近くに引っ越してきた**東京からの謎の3人組(西野、古田、星野)**を指しているのではないか、と後になって繋がってきます。


3. 深夜の「見張り番」の目撃談

バイヤーでありYouTuberでもあるロドリゲス斎藤が、以前「深夜の心霊スポット配信」をしようとやすらぎの森に忍び込んだ際、鉄塔のふもとで「じっと動かずに山の上(あるいは鉄塔)を見上げている不審な人影」を目撃したと動画で語っていました(真偽は不明ですが、再生数稼ぎのホラ話として片付けられていました)。




第2話(事件現場編)


『可児の空に、サイレンは響く』

第2話:鉄塔の黒い影

「可児やすらぎの森」の奥にそびえ立つ高圧電流の鉄塔。

地元では、心が弱った者が「呼ばれる」場所として、まことしやかに囁かれている不気味なスポットだった。


親司の脳裏に、いつだか温泉仲間が湯船の中で呟いた不吉な言葉がよみがえる。

『可児の山にある大きな鉄の塔にな、黒い影が3つ巻き付いとるのが見えた。あれは近いうちに、あそこで誰かの命が震える合図やて……』


「……まさか、な」


胸騒ぎを抑えきれず、親司は軽トラックを走らせて現場近くの山道へと向かった。

助手席の黒猫ヤマトは、いつもと違う主人の緊張感を察したのか、低く喉を鳴らしている。


現場一帯にはすでに黄色い規制線が張られ、物々しい雰囲気に包まれていた。

榊原警部が鋭い大声を張り上げ、雨月警部補が慌ただしく鑑識官に指示を出している。

先ほど花木センターで別れた山本彩織巡査長も、神妙な面持ちで現場の保存にあたっていた。


鉄塔の無機質な骨組みから吊り下がっているのは、仕立ての良いスーツを着た男の遺体だった。

――和泉建(57)、営業職。

なぜ彼がこんな場所で命を絶たねばならなかったのか。警察は自殺と事件の両面で捜査を始めたようだった。


「おいおい、やっぱり『噂』は本当だったってわけか?」


規制線の外側、野次馬のなかに見覚えのある顔があった。

派手なジャケットを着た男――バイヤー兼YouTuberのロドリゲス斎藤だ。

彼はカメラを回そうとして、すかさず平圭巡査長から「これ以上近づかないで!撮影も禁止です!」と鋭く一喝されている。


親司が小さくため息をつき、その場を離れようとした時だった。

腕の中のヤマトが、ピクリと耳を立てて特定の方向を睨みつけた。


ヤマトの視線の先――少し離れた木陰に、場違いなほど洗練された雰囲気を纏う3人の女性が佇んでいた。

西野千紗都(23)、古田麻尋(23)、そして最年長の星野由紀子(40)。

東京から引っ越してきたばかりという、あの「行動が怪しい」と噂の3人組だ。


彼女たちは怯える風でもなく、ただ冷徹な、値踏みするような視線で鉄塔の遺体を見つめている。

その姿はまさに、温泉の友人が予言した『鉄塔に巻き付く3つの黒い影』そのものだった。


「……やっぱり、お前たちも来てたか」


ボソリと呟く声がした。

3人組の背後、少し離れた茂みから姿を現したのは、私立探偵の江戸川勉(25)だった。

江戸川は彼女たちのすぐ近くに事務所兼自宅を構えて以来、その不審な動向をマークしていたのだ。

江戸川の鋭い視線が3人組の背中に突き刺さるが、彼女たちは気づいているのかいないのか、静かに身を翻して山道を下っていった。


ただの自殺か、それとも「関東の殺し屋」と噂される彼女たちが仕掛けた冷酷な殺人か。

静かだった可児の街に、どす黒い陰謀の気配が広がり始めていた。


探偵・江戸川からの相談:

3人組を尾行していた江戸川勉が、親司のもとを訪れる。

「あの3人、和泉が死ぬ直前に接触していました」と、決定的な目撃談を話し出す。


地元の個性派メンバーたちが、それぞれの視点から事件の裏側に迫っていきます。


第3話:茶店「太田」の作戦会議


やすらぎの森の騒ぎを後にした親司は、愛猫のヤマトを連れて、馴染みの茶店へと向かった。

マスターの太田豊(58)が営むその店は、地元の悪友たちが集まるいつもの溜まり場だ。ガラガラと引き戸を開けると、すでに店内は独特の熱気に包まれていた。


「おウ、親司! お前もやすらぎの森のほうへ行ってたんだろ?」


声を張ったのは、大工の鏑木俊哉(60)だ。使い込まれた太い指で湯呑みを弄んでいる。


「ああ、見てきたよ。和泉のやつ、本当に鉄塔で……」


親司が椅子に腰を下ろすと、カウンターの中からマスターの太田が熱いお茶を差し出した。

ヤマトは手慣れた様子で空いた椅子に飛び乗り、丸くなっている。


「やっぱり和泉だったか」

帳簿から目を上げたのは、会計士の長曾我部圭吾(59)だ。

眼鏡の奥の目を険しくさせている。

「彼の会社、最近かなり資金繰りが怪しかったんだ。

営業といっても、あちこちで無理な投資を勧誘して、恨みを買っていたという噂もある」


「いやいや、それだけじゃねえだろ」

お盆にのせた餃子の試作品をテーブルに置きながら、織田信暢(53)が身を乗り出してきた。

近くでラーメン屋を営む彼は、街の噂話に一番耳が早い。

「例の、東京から来たネーちゃん3人組だよ。

西野だか星野だかってやつら。あいつら、和泉が死ぬ前日、織田のラーメンを食いに来たんだ。

その時、和泉の会社のパンフレットをじっと見てたぜ」

「……あの3人組か」

神主の松平秀麿(55)が、静かに顎を撫でた。

「最近、あの娘たちがうちの神社にも参拝に来てな。

だが、神前での佇まいが普通ではない。

まるで、これから大仕事を控えた武士もののふのような、凄まじい殺気を隠し持っておった」


「殺し屋、って噂は本当なのかねぇ」

自動車屋の加藤敬三(60)が頭をかく。

「江戸川の坊主の事務所の近くに引っ越してきたってのも、偶然にしちゃ出来すぎてる。それに、ロドリゲス斎藤の動画でも『関東の組織から逃げてきたプロ』なんて煽られてただろ?」


おじさまたちの議論が白熱する中、店の奥の席で静かにコーヒーをすすっていた女性が口を開いた。

弁護士の垂井美智子、通称ミーコ(44)だ。

「皆さん、噂だけで彼女たちを犯人扱いするのは早計よ」

美智子は書類をまとめながら、鋭い口調で釘を刺した。

「でも、もし和泉さんが彼女たちに『消された』のだとしたら……これは単なる地方の自殺騒動じゃ済まなくなるわね」


その時、茶店のドアが勢いよく開いた。

入ってきたのは、血相を変えた私立探偵の江戸川勉(25)だった。


「みなさん、ここにいましたか! ……大変です。

さっき、隣の3人組の部屋の勝手口から、古田麻尋が『血のついたナイフ』を持って出てくるのを見ました!」


江戸川のその一言に、茶店の中が静まり返る。

和泉は首を吊って死んでいたはずだ。それなのに、なぜ「血のついたナイフ」なのか?

事件は、おじさまたちの予想を超えた複雑な広がりを見せようとしていた。


第4話:血痕のルート


「血のついたナイフだって!?」

大工の鏑木がベンチから跳び起き、茶店「太田」の空気が一瞬で氷結した。

和泉建の遺体は、やすらぎの森の鉄塔で首を吊っていたはずだ。絞殺や自死であれば、大量の血が出るはずがない。つまり、古田麻尋が持っていたナイフの血は、和泉のものではない――別の「誰か」の血だ。


「江戸川の坊主、それは見間違いじゃねえだろうな」

自動車屋の加藤が厳しい目で問い詰めるが、探偵の江戸川勉は激しく首を横に振った。

「間違いありません! 彼女、白いスニーカーにもべっとりと赤黒いシミをつけて、裏口からゴミを捨てるフリをして、何かを隠そうとしていました」


「……もう一人、誰かがやられたってことか」

親司は腕の中のヤマトをきつく抱きしめた。ヤマトは低く、警告するように唸っている。


「だったら、警察に言わんと!」

ラーメン屋の織田が携帯を取り出そうとしたが、弁護士のミーコ(垂井美智子)がそれを手で制した。

「待って。確実な証拠がない段階で、あの3人組に警察が動けば、彼女たちはすぐに弁護士を呼んで口を閉ざすわ。もし彼女たちが本物の『プロ』なら、尻尾を掴む前に証拠を隠滅して逃げる可能性が高い。……まずは、その血がどこから流れたものか、現場を特定するのが先よ」


「それなら、俺の出番だな」

立ち上がったのは、会計士の長曾我部だ。数字のプロは、論理的思考のプロでもある。

「江戸川くん、彼女たちが住むアパートの裏手、どのあたりに血痕が残っている可能性がある?」


親司と江戸川、そして長曾我部、鏑木の4人は、ヤマトを連れて茶店を飛び出した。

他のメンバーは警察の動きを監視するため店に残る。


3人組の住むアパートは、江戸川の探偵事務所のすぐ隣、古い住宅街の路地裏にあった。

夕暮れ時の細い路地は人通りも少なく、ひっそりとしている。

江戸川が指差した勝手口の周辺を、鏑木が職人の鋭い目で凝視した。


「……おい、親司。こっちだ」


鏑木がブロック塀の隙間を指差す。そこには、アスファルトの地面に点々と続く、赤黒い点滴の跡があった。それは3人組の部屋から伸びているのではなく、「外から、3人組の部屋に向かって」続いていた。


「逆だ……」長曾我部がメガネの位置を直す。

「彼女たちが誰かを刺したんじゃない。誰かが刺されて、この部屋に逃げ込んだ……あるいは、運び込まれたんだ」

血痕を辿って、4人と一匹は薄暗い雑木林の境界へと歩みを進める。

ヤマトが突然、親司の腕からすり抜けて地面に着地した。

そして、激しく尻尾を揺らしながら、ある茂みに向かって「シャーッ!」と威嚇の声を上げた。


「ヤマト、どうした!?」


親司が駆け寄り、鏑木が太い腕で生い茂る草をかき分ける。

そこにあったのは――。


「うわああああっ!?」


江戸川が短い悲鳴を上げた。

草むらに倒れていたのは、胸のあたりを鮮血で染めた一人の男だった。

まだ息はあるようだが、意識はなく、顔面は蒼白だ。

「おい、これ……和泉の会社の同僚の、営業の男じゃないか!?」


長曾我部が男の顔を見て息を呑む。

鉄塔で死んでいた和泉建。そして、そのすぐ近くで刺されて倒れている同僚の男。

東京から来た謎の3人組は、この男を殺そうとした犯人なのか、それとも――。


その時、背後の暗闇から、カツ、カツ、と静かな靴音が響いた。


「あら。見つかっちゃった?」


冷徹で、どこか楽しげな声。

振り返ると、そこには夕闇に紛れるような黒いコートを着た、西野千紗都(23)が立っていた。

その手には、何も握られていない。

しかし、ポケットの奥に隠された右手が、不気味な形状を浮き上がらせていた。



「3番:3人組の真の目的が明かされる」へと進みましょう。


怪しい殺し屋と思われていた女性たちの口から、驚くべき事実が語られます。


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