幸せなひととき〈小雪〉
朝食の後、旦那様は書生さんたちを引き連れ仕事でお出掛けになり、代わって五十嵐さんが私たちに明日からのスケジュールを説明して下さいました。
お屋敷の中もあちこち案内されて、入ってはいけないお部屋と場所を教えられました。それを破ったら孤児院に送ることになるからね、とやんわり脅して来ました。
約束を破るつもりはないけれど、私はお兄ちゃんと一緒だったらどこでもいいから脅しにはならないのにね。お兄ちゃんと目が合って密かに鼻で嗤ってしまったよ。
相変わらず大人の人は私たちの気持ちなんてわかってないね。
それにしても、ここはおトイレがお水で流れてびっくりです。蛇口からお湯が出るのも驚きです!
奥様のお部屋にも行き、ご挨拶も済ませました。
奥様は顔色は優れなかったものの伏せっているわけでもなく、普段はお部屋で静かにお過ごしになっておられるそうです。
奥様は私を見て、
『小雪ちゃんというのね? まだこんなに小さいのに私のために働かせるなんて、盈月さんたら何を考えているのでしょう‥‥‥』
などと困惑顔をされたので、私はどうしていいのかわからなくなってしまい、どぎまぎしてしまいました。
奥様は まるで映画の看板の絵から抜け出て来たような人で、今まで私の周りでは見たこと無い、きれいでお上品な人だったし緊張してしまったのです。
『あの‥‥‥わ、私、ごめんなさい。奥様』
思わずペコリとお辞儀をしました。
『まあ! 小雪ちゃんがいけない訳じゃないのよ。私は突然のことで戸惑っているだけなの。私のためを思ってしてくれたのでしょうけど‥‥‥‥。ここでは盈月さんが決めたことはどうせ変えられないわ‥‥‥仕方がないわね‥‥‥では小雪ちゃんは明日からよろしくね。呼んだ時だけ来てちょうだい。大鏡くんも無理しないようにね』
私と兄にやさしく微笑んでくれました。
なんだか私たちが働くことをよく思っていないみたい‥‥‥
私のことが嫌いだと言うわけではないみたいだけど。私は明日から奥様に何をして差し上げればいいのかな?
でも、優しそうな奥様でよかったな。風間さんみたく怖い人だったら悲劇だよ。
それから、お屋敷で働いている人のお仕事を見て回って説明を受けてから、キッチンで賄いの昼食を頂き、午後は自分たちの部屋を調える時間になりました。
私たち、昨日のお昼から今までで4回も温かい美味しいごはんをいただきました。とても幸せです。
今まではお母さんが持ってきた干し芋と川原で摘んだヨモギとノビルとタンポポの塩味の汁ものばかり食べていたんだもん。
たまーにお兄ちゃんがどこからかニワトリを持ってきて絞めて潰して食べるのが唯一のご馳走だった。
ニワトリって首を切り落としてもタッタカ走って逃げて行くんだよ? 頭を置いて逃げたって無駄なのにね。うーん、もしかして逃げ切れたらまた生えて来るのかもしれないね。
お昼ごはんを梅子さんたちと頂いた後、二人で使用人部屋に戻って驚いてしまいました。
なにやら部屋の中に箱やら大きな袋やらでんと置いてあります。
袋の中には、普段着から下着からタオルに洗面器まで用意されていたし、いつの間にか洋服をしまうチェストや物置台まで壁際にセットされていました。お茶を入れる道具や、お茶っ葉のカンに食器も少し箱に入っています。
中古品みたい。誰かが使っていたものかな。そういえば、書生さんが1人出て行ったばかりだと言っていたね。そのお下がりかも知れません。
兄と二人で用意された物を開けて見ていたら梅子さんがやって来ました。
「見た? これは風間さんが物置から出して用意しておいてくれたものよ。足りないものがあったら言ってちょうだい。さて、雑巾とバケツとホウキも持って来たよ。これからは自分たちでちゃんとお洗濯もお掃除もするのよ。いいわね? 汚くしていたら風間さんに怒られちゃうよ! 風間さんは潔癖症なんだから」
「はい、わかりました。いろいろ用意してくれてありがとうございます」
「えっ、あの鬼ばばが用意してくれたのか‥‥‥」
梅子さんが苦笑いしながら、お兄ちゃんの頭を撫でました。
「こら、そんなこと言ったらダメよ。じゃ、お片付けが終わったら晩御飯まで休んでいていいわよ。慣れない事ばかりで疲れたでしょう? 今日の晩御飯は鶏メシよ。楽しみにしていてね。時間になったら呼びにくるね。じゃ、私忙しいから戻るからね」
私たちに手を振って、せっかちに走って戻って行きました。
私とお兄ちゃんは梅子さんの言いつけ通り、お部屋をお掃除し、家具を拭いて、引き出しの中もきちんと拭いてから用意されていた衣類をしまいました。食器も棚にしまい、井戸に行って雑巾をすすぎ、昨日お風呂で使ったタオルと手拭いを洗いました。水は冷たいけど、今までだってやっていたことだから自分たちで出来ます。
もの干場の紐にかけてしまえばお仕舞いです。今夜は雨は降りそうにありません。
「‥‥‥これでいいだろ。すっげーな! あれ、俺たちの部屋だぜ? あの納屋とは段違いだな。すきま風もちょっとしかこないし、ハエも蛇もいねーし」
「うん、クモも今んとこ壁にちっこいのしか出ないね。小雪あのおっきいクモ嫌いだったんだ。天井に何匹も張り付いてて怖かったもん。たまに床にも来てたし。一度天井から小雪のお椀の中にダイブしてきたことあったよね‥‥‥」
「あはは、そんなことあったな。そいつ小雪に食って欲しかったんじゃね? そういや、夜中に青大将が布団の上に落ちてくるとかあったよなー、あれはビビったぜ。ま、ここならそんなことも無さそうだ」
おしゃべりしながら洗濯ものを干し終わる頃には、だんだん空が暮れなずんで来ていました。
「そうだ、ねえ、お兄ちゃん。今なら りるちゃんを取りに行ける!」
「おう! 今が絶好のチャンスだ! よーし、納屋まで競争しようぜ! よーい、どん!」
「えっ、待ってよー! ズルいよ! お兄ちゃんの方が速いってわかってるのにいー!」
どんどん離れてく赤く照らされたお兄ちゃんの背中を追いかける。
りるちゃん、待っててね。寂しくて泣いてるかも。今、小雪がお迎えに行くよ。
私たちは赤い夕日の中、冷たい風などものともせず、納屋に向かって全速力で走って行きました。
青大将(ヘビの一種)
昔は家屋の天井裏などに入り込むことしばしばだったとか。
爬虫類好き的には羨ましいよな。




