お兄ちゃんの温もり〈小雪〉
その日から私たちには離れのあの4畳半の使用人部屋を与えられ、清潔な布団とお洋服で暮らすことになったのです。
その日の夕食はまた梅子さんが用意して下さって、ごはんとお味噌汁に卵焼きまでついてきて、すごく感激しました。
「ねえ、お兄ちゃん、逃げ出すのやめようよ。私、もうちょっとここにいたいよ」
「‥‥‥そうだな。逃げるのにも準備が必要だしな。少し様子を見ようぜ。だけど、油断すんなよ? 大人ってのは信用なんないからな」
お兄ちゃんはあっという間にごはんを平らげてお白湯を飲みながら言いました。
梅子さんが食器を下げに来て、ついでに使用人宿舎の中の事を教えてくれました。
ここには梅子さんと書生のお兄さん二人、それにあの風間さんが入居しているそうです。
他の人は遅くまで仕事をしているので、たぶん早くて7時を過ぎないと戻って来ないわよと言いました。
入口から手前のふた部屋は男性の書生さんが使っていて、次の部屋は風間さん、その隣は梅子さん、そして私たちのお部屋となっています。その奥は今日、私たちが入ったお風呂場です。
書生さんの部屋の前廊下には蛇口が2つ並んだ横長の流しがあります。共同洗面台として使っているそうです。
「梅子さん、今日はありがとうございました。リボンもありがとうございました。おかげで私、新月お兄ちゃんにかわいいって褒められたよ。えへへっ」
「まあ、よかったわね。私もそう思ったよ、小雪ちゃん‥‥‥」
かがんで私と目線の高さを合わせて微笑んだのだけれど、なぜだかちょっと寂しそうな顔になりました。
「梅子さん、私、お片付け手伝うよ。食器くらい洗えるよ」
こんなにお世話になって申し訳なくなって申し出ると、梅子さんは私の頭を撫でました。
「いいのよ、小雪ちゃん。今日はいろんなことがあってすごく疲れたでしょう? 歯磨きしてからゆっくりお休みなさい。お布団は押し入れに用意してあるよ。‥‥‥私ね、小雪ちゃんを見ていたら田舎の妹を思い出しちゃったよ。元気かな‥‥‥」
「梅子さん、1人でここに来たの?」
「そうよ、13の時に。ここに来てもう1年過ぎたかな。家が苦しいから奉公に出されたの。口減らしにもなるでしょう? じゃ、お休みなさい。また明日ね」
梅子さんはニコニコしながら私の頭とお兄ちゃんの頭を撫でて食器を持ってお屋敷のお勝手口の方に戻って行きました。
お兄ちゃんは撫でられた頭を押さえてぼんやり梅子さんの後ろ姿を見送っていました。
きっとお母さんのこと、思い出したんだ‥‥‥
お布団を二組敷いて、灯りを消して、いざ寝る時になってから、私が毎日一緒に寝ていた大切なお人形が今日はいない事を思い出しました。
「お兄ちゃん‥‥‥りるちゃんがいないよ」
「明日、俺が隙を見て取って来てやる。今日は暗いしもう無理だ」
「‥‥‥‥うん」
「1日くらい我慢しろ、小雪」
「‥‥‥‥‥うん‥‥‥‥‥クスン‥‥クスン‥‥‥」
「‥‥‥ったく、しょうがねーな、ほら来い」
お兄ちゃんが自分の掛け布団を半分めくりました。
私はすぐさま隣にもぐり込みました。だって、周りが暗いのにたったひとりきりで寝るなんて怖いよ。
「二人で寝るといつもよりあったかいね、お兄ちゃん‥‥‥」
「そうだな‥‥‥」
お兄ちゃんの腕の中までは、‥‥‥夜の怖さだってここまでは入って来られないの。
気持ちいい。こんなに柔らかいお布団で寝るのはいつ以来‥‥‥?
「‥‥‥お休みなさい、お兄ちゃん」
「お休み、小雪」
目を瞑っていたらお兄ちゃんからは、かすかに石鹸のいい匂いがしました。
「‥‥‥小雪、俺‥‥‥俺、ほんとはさ、すっげぇ泣きたかったんだ。母ちゃんのあれ、聞かされてさ‥‥‥」
「うん、私だって‥‥‥」
「‥‥‥小雪まで‥‥‥俺をおいてどっかに行かないよな?」
お兄ちゃんの腕に、ぎゅっと力が入りました。
「小雪はお兄ちゃんといつも一緒がいいよ」
「俺も‥‥‥」
私の髪をやさしく撫でました。
私は、いつの間にか深い眠りについていました。
夢さえ見ないくらいに。




