悪運
最悪なことに、その日はずっと頭痛に悩まされていた。
朝起きた瞬間からそうだった。いずれ気にしなくなると思っていたが、脳がずきん、ずきん、と絶えず痛みを伝えてくる。朝食のゼリー飲料を一気に飲み干してみても、何も効果はない。まあその程度で治ってたまるかという気分だが。
どうせ熱は無いのだろう。今日は出勤しないといけない。いっそ休日に痛くなってくれればいいのに、と思う。でもそれはそれで嫌か、とも思ってみる。そんなことを考えながら支度をしていたら、家を出る時間が迫ってきていた。朝から気が滅入る。
スーツのジャケットを羽織ったところで携帯が鳴った。見てみるが、知らない番号。
詐欺の電話だったら、と考える。だとしたら皮肉なことだ。
相手が刑事とは、詐欺師も運が悪い。
携帯を取ろうとして、手を伸ばして、止めた。
……いや、違う。
見たことがある番号。
これは誰だった?
ぴろりん、ぴろりん、と機械的な音を鳴らして震える携帯を、そっと手に持った。応答ボタンを押す。
「あああ、繋がった!かなちゃん!美姫知らないかしら?かなちゃんのお家に来てる?」
つい、ああ、と声をあげてしまった。そうか、美姫ちゃんのお母さんか。
あの瞳を思い出す。吸い込まれそうな、美しい瞳。
そうか、あの子の。
だいぶ焦っているような声だ。
家には来てません、最近は会ってないかも、と伝えると彼女はさらに焦るような、悲しそうな声を出した。大丈夫だろうか。
「そう、来てない……美姫は来てないのね……やだどうしましょう……」
嫌な予感がする。頭痛がさらに酷くなった気がした。
美姫ちゃんに何かあったのだろうか。
電話の向こうからバタバタと歩き回る音が聞こえる。……急いでいるのか?おばさんは私との会話を忘れているのかもしれない。それほどまでの非常事態なのか。
立派な刑事なら、ここで聞くべきなのだ。
何かありましたか?なんでも協力します。
そう言わなきゃ。
でも、聞きたくない。きっと、彼女に何かあったのだ。
あの笑顔を思い出す。
あの、怖いほど美しい笑顔を。
心臓がばくばくと鳴り止まない。うるさい。
不安そうな声を出す彼女を落ち着かせる前に、この鼓動を止ませるために、口を開いた。
だが、その前に答えは出された。
「美姫が昨日から家にいないの……昨日の夜、美姫一人にしてたんだけど……どうも帰ってきてもいないらしくて……」
きいん。
耳の奥が刺された。きっと、ぶすりと。
どうしよう、たすけてかなちゃん、と呼びかける震えた声に、答えることができなかった。
目の前にあの子が見えた気がした。美しい黒髪を揺らして、くすくす、と透き通った音を鳴らす美姫ちゃん。
家を出る時間はとっくに過ぎてる。動く気にはなれない。
後で署に来てください、そこで話しましょうとだけ伝えて切ってしまった。
暗くなった画面を見下ろすと、情けない顔が見つめ返してきた。
頭痛は未だ止まない。




